言葉

現代の言葉

これは方便です。現代の言葉は、、天動説をベースにした言葉です、、天動説をベースにした言葉で地動説を伝えるというのは不可能です。天動説時代にできた言語で、、地動説を説くのは難しいのです。悟り、ノンデュアリティを説明する際に、、拒絶にあうのは、、この言葉が旧悟り時代の言葉だからです。ゆえに悟りを正確に伝える言語ではないのです。

覚者の言葉がこうも伝わらない理由

悟りが見かけ上の「私」に起こり、、、改めて覚者の本を読んで行きますと、、、これじゃあ伝わらない、、と思います。不可能です。分かりやすく説明しているつもりが全く難解な文章に、、絶対に無理です。だから悟り解放ノンデュアリティ がメジャーになることはないでしょう、本屋でベストセラーにもなりません。だってこの言語自体が悟り解説に全く向いていないのです。

だから狂った挑戦者だけが辿り着く

私は恐らく狂った挑戦者です。なぜか二十代前半で、、答えはこれしかないことを悟り、、そこから二十年間近く悟りの理解に挑戦してきました。全くもって生活に応用できないにも関わらずただひたすらに悟りの理解にチャレンジしてきたのです。二十代前半で社会的には豊かな生活安定した生活を手に入れそれでも全く満たされない状況に陥った時にもうここしか救いがないことを悟りました。だからここから本当の意味で目を逸らすことはなかったのです。

自我はストーリーを作る???

ストーリーを作れる何かは居ない

自我という言葉ほど、、紛らわしい言葉はありません。覚者ですらもこの言葉を正確に表現できない、、なぜかと言えば、、どうしてもこの言葉を使って現代の文法で表現せざるをえないのですが、、現代の文法自体が、真実の表現に合わないのです。ですからどうしても言葉でこれを支えようとすることで聴く側の混乱を招きます。分かっている側は分かりやすく伝えようと心がけるわけですがそのことが逆に混乱を招くのです。

「自我」が、、、という表現

どうしてもこの表現をしてしまうのですが実際には自我が何かを感じる、する、、というのは不可能なのです。自我とは認識される側なので、、自我が主語になることはないのですが使わざるをえないケースがあり、、そのため読者は混乱に陥ります。自我もストーリーも、私も自分も、、全現象の全てはただ認識されるだけです。マリオもクッパもピーチ姫も、、認識される側であって、、、マリオがクッパに気づく、、、はできません。

これを受け入れるわけにはいかない

この話が全体、スクリーン、神に「受け入れられる」が起きた時、、、悟りが開きます、覚醒、解放です。ゆえにこの話が簡単に受け入れられることは100%ありません。このブログも何千と書いていますが、、、読んでもらって「なるほど!!!」とはならないことは百も承知です。ですが真実は一つなので諦めずに書き続けます。

無我夢中

その時はいい

無我夢中になって目標達成、、、この期間はいいんです、、まさに無我ですよね、、自我がでしゃばる暇がないから。自分のことなんて構っている時間がないんです。その時は実は苦しくない、、、自分活動ではなく無我活動ですから。。。。。ところが、、、目標が達成されてしまった瞬間、、、、自我がでしゃばるんです。さてとこの功績を私が持ち帰り、、この功績で私活動をしっかりとやろうと。。。。ここからが苦しみの始まりです。

功績を見せびらかしたい自分

金メダルを取ったら、、、まわりがチヤホヤしますから、、、私活動が始まります、、、どうですか????金メダルを取った私は?????です。もうここでは無我夢中はさっぱり終わってしまい、、自我夢中です。自我夢中は苦しいんです、、、、金メダルを無我夢中で取れたのですから、、次は悟り夢中、自己超越夢中になれればいいのですが、、そうはいかないんです。なぜならば、、、それを決めることができる「自我」など存在しないのですから。

自我夢中

自我夢中期間は最も辛い時期です、、自我がどんどん肥え太っていきます。「私」を中心にした人間活動が盛んんになるのです。ところがこの私活動が苦しいわけです、、なぜならばこれえは嘘ですから。本当は全経験、全努力、全思考、全感情が神から勝手に起こり、神が全部を経験していたんです。それを経験した「私」は存在しません。「私」すらも神が経験していたんです。「私が居る」という経験を神がしていたんです。これが真実です、そしてこの真実に気づくまで苦悩は続くんです。

悟ったのは俺だ!!!

最も辛い時期

どの業界でもトップを取った人間が必ず陥るのがこれです!!!!悟ったのは俺だ、、、です。サッカー、野球、芸能界、モデル、役者、、、、、全分野で極めた人は悟った人は、、、「俺が悟った」という精神状態に陥ります。悟った瞬間に俺が悟った!!!という思考の渦が立ち込め、、強引に俺ストーリーを維持されます。サッカーを悟り、、次に悟りを悟られてしまったら、、自我は消滅します。ゆえに自我システムが維持されるもっとも強力な動きが起こるのです。悟りとはこの「自分」という存在を嘘と見抜くことですがそこに至っていないところ(弱点)が完全に狙われるのです。

常に不愉快

全盛期のイチロー選手、中田英寿選手、ビートたけし、松本人志、、、、恐らく全員が現場でピリピリしていたはずです。なぜか????悟ったのは俺だ!!!!病です。悟ったのは俺だぞ!!!がガンガン湧いてきます、、そしてこれは苦しいんです。。しんどいんです。自己実現をしたらそのまま自己超越にシフトできれば悟りは完成ですが、、そうは問屋が卸しません。自己実現をした俺様、、がガンガン湧き上がり、、苦しむのです。

俺の嘘

悟るというのは何かの分野を完全に理解するという意味ですが、、、何かの分野を完全に理解したならば、、次は真実を完全に理解しよう、、に移るのが健全です。ですがそうはいかない、、これを成し遂げた私体験をさせられることがほとんどです。ですが本当は成し遂げた私すらも神の経験でしかなく、、その経験者は神です。神によって勝手にある分野の悟りが起こり、、それを成し遂げた私を体験されられているのです。そのことに気づくと急に笑ってしまいます。なんだ、、、、勝手に全部やらされていたんだと。

自由意志すらもない

全員が全員俺様になるのは、、自由意志があってそれを行使する俺が居ると信じているからです。ですが実際は行動、思考が勝手に起こり、、その経験者も「俺」ではなく神です、、、全部神が経験してきたのです。神から勝手に起こった言動を神が経験していたんです。それを全部俺がやってきたという勘違いが起こりそれすらも神が経験していたんです。どこに「俺」はいるんでしょうか?????いないんですよ。

分かれば分かるほどに

自分が出しゃばる

経験を次々に積み、、、分かれば分かるほどに悟れば悟るほどに、、、分かったのは「私」だ、悟ったのは「私」だが起こります。理解悟りを「私」が奪い去り、、、「私ストーリー」が維持されます。最終的には宇宙の心理を理解したのは「私」だが起こり教祖になります。分かるとは悟りのことですが、、次への悟りではなく、、悟った「私」活動にシフトします。この期間は非常に辛い、、、自我と悟りの攻防戦です。

偉業を成し遂げれば

偉業を成し遂げるとは、、、何かの分野を悟ったのです、、ならば次を悟ろう!!!になればいいのですが、、、そうは問屋が下ろしません。。。悟ったのは「私」だ!!!!にシフトします。。。有名人、芸能人のスキャンダルが絶えないのは悟ったのは私だ!!!!活動です。悟りの分野でもこの活動は当然起こり、、悟った私活動も絶えません。

イチロー選手

イチロー選手は野球を完全に悟りました、、すると悟ったのは「俺」だ!!が起こります。そして、、プロ野球選手ならばこのぐらいの努力はすべき!!というルールを作り出します。。すると、、宇宙にはそのようなルールがないのでそのルールで本人が必ず苦しみます、、、周囲の選手が同じように努力してくれない、、と苦しむのです。天才打者、天才選手が周囲とのコミュニケーションに問題を生みやすいのはこのためです。

経験(神)という粒子

全分子に埋め込められた

この現象界の中には経験を積むための粒子が詰め込まれています。そしてその粒子が全経験を回収します。この手がこのカップに「触れる」という経験がそこで起こるのです。その経験はその粒子に回収されます。間違っても「私」が経験したんじゃないんです。「私」は思考であり、、粒子に経験される側です。今椅子に座っているとしましょう、、お尻に感覚を集中してみてください、、、椅子の感覚が生まれますよね。。そこにある粒子が経験を回収したのです。そして「私が感じた」という思考が起こり、、その経験を粒子が回収します。

エアコンの風

エアコンの風が肌に当たります。。その肌の粒子がこの経験を回収します。水泳をします、、水の感覚、手の動き、体の感覚、、全経験をこの粒子が回収します。我々はこの粒子の感覚に浸っている時、、気持ちが良いのです。この経験を疑似経験者としての「私」が起こり、、あれやこれやと思考経験ばかりしていると、、、「苦しい」が起こります。私という経験者が居るという思考の内容は嘘なので、、苦しいが湧きます。

勘違い=苦しい

経験は全部粒子が回収するのであって、、この私ではないんです、、だから、、、この勘違いが生まれると苦しくなります。私が、、、と始めあれば、、嘘発見器がビヨーンと反応し、、苦しいメーターが作動します。苦しいとは嘘発見器のメーターです。私には未来があってそのためにこうしてああして、、あれもしなきゃ、、、嘘発見器メーターがビヨーンと伸びます。疲れた疲れた、、が起こるんです。

分かると人は興味がなくなる

分かった、、は悟った

これは神の神のための遊びの場所ですから、、分かった!!が起こると興味がなくなります。分かったは悟った、、なんです。だから次に次に興味が行きます。それでいいんです。分かっちゃった、、、は悟っちゃった!!です。そして次に向かいます。飽きていいんです、、、砂遊びを大人になってやっていたら病気なんです。そしてできれば最終的には悟りに興味を持ち、、悟りを悟るのです。ただしそれを自我が決めることはできません。

悟りを悟る

幼稚園に飽きて小学校に行き、小学校に飽きて中学に行く、中学に飽きて高校に、高校に飽きて、社会人に、社会人に飽きて、、悟り人に、、悟り人に飽きて、、あるがままの活動に移ります。これは方便ですがようは悟る続けていくのです。悟りとは理解であり、、、どんどん理解していくのです。悟りとは恍惚状態の無行動ではなく、、理解を深めに深めて活動が続くんです。

渇望がないから穏やかに見える???

全部が全部実は私じゃなくて神が経験していた、、、この勘違いすらも神がしていた、、、という気づきは、、渇望感を落としてくれます。この私が、、、全部やんなきゃ!!!はなくなります。なんだよ!!!俺じゃなくて神がやっていたのかよ!!!!です。じゃあ別に焦って何かやる必要ないっしょ、、です。悪いけど、、もう私のために無理するの辞めるわ!!!です。私の老後のために、、子供のために全部を犠牲に????勘弁してよ、、、そんなことは私ありきに決まっているんじゃん、、です。

神の一人遊び

この世界

この世界は神の一人遊びの場所です、、、ここで行われる全現象、全思考、全感情、の経験者は神です。神が全部を感じています、、、神以外に感じれる存在はいないのです。つまりこの「私」が経験されてきたことを味わっていたのは神であり、、周囲の人間の経験も全部神が味わっていたのです。あの愚かな行為を味わっていたのは神でした、、、この体は神が経験を積むための道具です。

神と神の会話

自我と自我の会話と思っていたのが、、それを感じるのは全部神であり、、自我経験の体験者は神なんです。。。ではいままでの経験者「私」はこれからはどうすれば?????違うんです、、それが神だったんです。だからその神はこの体には居ないんです、、、この全てに存在していて、、、経験を回収していたんです。この体がコップに触れる感覚があるのはその中に「神」が存在するからです。神無くして一つも経験なんて起きないんです。

みんな気付けばいいのに???

大きなお世話なんです、、神が人間を使って自我体験を積んでいるだけで、、誰一人神から見放された人間は居ないんです。全部の粒子には神が宿っているんです。だから神の全自動です。人格と呼ばれる存在も神が人格を経験するために作ったのです。だからその経験も神が吸収します。神以外は誰も何も経験していなんです。

私の神とあの人の神は同じ????

全経験を全く同じ神が経験しています、、つまり私の意識もあの人の意識も全く同じ神です。意識も神の経験です。神以外には何も経験をできないのですから。猫の経験者も私の経験者も全く同じ神です。今起こる感情を感じているのは「私」ではないんです、神です。

自我との共存

全く問題ない

いかに自我の仕組みを暴き、、自我の動きを見破っても、、、周囲は自我前提の人間活度をしていますからそこに合わせる必要があります。真実ベースの発言では、、この世界では生きていけないのです。ですから分かったっとて、、、この体の中の「私」を演じる必要があります。一人の時にかつてのような雑念に襲われるようなことはないですが、、会話では当然自我を演じるわけです。

なぜ共存が可能なのか???

自我とは認識されなくては継続できない存在です。自我が自我を認識することは不可能です。自我を認識するのは真我、空、神と呼ばれるような存在であり、、、今までずっとこれをやっていたのです。神が自我を認識してきていたのです、そしてこれからは神が自我を認識していることを認識して生きていくのです。今までは神が自我を認識していることを認識しないで生きていたんです。

左利きと気づかず左利きをしていた

今までは左利きだと気づかないで左利きをしていました。だからどんなスポーツをしていてもなんかやりにくい、バッターボックに立っても打ちにくい、グローブも取りにくい、、、だったんです。これからは左利きと気付いて左利きをやるので、、ストレスがないのです。自我を認識していたのは神であり全感情、全思考を認識、経験していたのは神、空、不変の真我なのだという気づきの中で生きていくのです。

神だと気づかず神をしていた

認識、気づき、経験しているのは神、、、だと気づかずに人間活動をやっていたのを、、、これからは全部が全部神がやっていたんだという気づきの中で人間活動を行います。神が神を自覚して神をやるのです。その中で人間活動が起こり、コミュニケーションが起こり続けます。

覚者は自我の殺し屋

恐ろしい存在

覚者とは自らの自我システムの構造を完全に理解し、、自我システムの影響を受けなくなった存在です。ですから会いに来る方、相談者の自我を、、、構造上ストップさせる力を持っています。ですがもしも相談者が自我システムを放棄したくない場合(多くの場合そう)自我にとっては殺人のようなものですから、、恐ろしい恐怖心が湧きます。ですからいつの時代も覚者は疎まれ、罵られ、避難を浴びてきたのです。

自我システム

自我システムが機能するには、、システムの全貌が暴かれないという前提があります、、全てを暴かれてしまうともう自我システムは機能しないんです。なぜかと言えば自我システムは勘違いを元に構築しているからです。勘違いが解かれてしまうと、、もうこの体の中に自分を作り出せないのです。電気の供給が、、、コンセントからきていると知った後に、、自己発電しているという思い込みは消え去ります。

どのように暴いたのか???

私が知る限り、、全覚者は其々、、オリジナルな目覚め方をしています。どうやら、、これだ!!!という一つの方法はないように見えます。瞑想、ヨガ、呼吸法、断食、武道、太極拳、知識、、これらの組み合わせでその方オリジナルな目覚め方に至るように見えます。私の場合は、、知識5割、呼吸法4割、断食1割のバランスで気づきに至ったような感じがします。