ルール

ルールを作るとそのルールで苦しむ

「朝は毎日六時に起きて勉強する」このようなルールを作ると、、、そのルールを守れない自分が現れそのルールによって苦しみます。「お世話になったら絶対に感謝を態度で示すべき」このルールを作れば、、全くお礼を言ってこない友人が現れそのルールで苦しみます。「お店には敬意を示すべき」このルールを作れば敬意を示さない客が現れそのルールで苦しみます。

この世界にルールはない

この宇宙空間にはルールは本来ありません。にも関わらずルールを決めれば、、それを守れない人間(私、友人、相手)が必ず現れそのルールで苦しむことになるのです。だからルールは決めてはいけないのです。ルールを決めるのは真実から反しています。真実ではただ現象が全く誰のコントロール下にもなく、、起こるのです。ルールではなく現象に浸るのです、ただ行動の起こりに身を任せるのです。

判断しない

あいつはこういう行動を取っていないからダメなやつだ、、あいつはこういう行動を取れないようだからダメ人間だ、、、これらは人生ルールです。この人生ルールを決めればそのルールに反した人間が必ず現れるか、自身がそのルールを達成できずに苦しむことになります。どこまでいってもルールは平等にその人を苦しめるのです。

自我はあってもなくても

所詮は言葉

自我とは言葉です、、言葉とは指し示す記号です、、、自我が何か????明確な基準などありません。つまり今私が私を感じているならばそれが「自我」です。千差万別、、それぞれの自我がいるはずです。だから自我は完全個別です。そしてこの「私」という認識これはいったい誰が起こしているのでしょうか?????「私」ですよね??????それだけはないんです「私」は「私」だけは認識できないんです。青は青を認識できません、赤は赤を認識できません、光は光を認識できません、音は音を認識できません、「私」は「私」を認識できないんです。

じゃあ「意識」では???

意識を認識しているのは誰でしょうか????意識を認識できるのは「意識」ではありませんよね。意識は意識だけは認識できないんです。つまり非意識だけが意識を認識できるのです。つまり我々の本質は、、思考でもなく感情でもなく概念でもなく体でもなく色でもなく光でもなく意識でもない存在「それ」だけです。自我の認識を起こしているのもその「それ」です。

それを「空」「絶対」「不変の自己」と呼ぶ

今現象界で認識できるのもに嘘はありません、、認識が起こったのですから、、、幽霊だろうと、宇宙人だろうと、半魚人だろうと、、、、認識は全て認識です。。。ですがなぜその認識が起こったかといえば、、、非幽霊、非宇宙人、非半魚人、、、である「それ」の存在があるからです。それとは「空、絶対、不変の自己」と呼ばれます。色即是空、空即是色です。

青いサングラス

もしも

もしも我々が青いサングラスをつけて生まれてきたならば、、「青い」という色を発見することは不可能です。青いサングラス越しに青のグラスを観て見てください。黒く写ります。つまり青は青だけを認識できないのです。周囲はあなたに青いサングラスを付けているのだから、、青をちゃんといつも観ているよ、、と言うでしょう。ですが、、それが青だ!!!!という認識は起きようがないのです。これがこの現象界の絶対的ルールです。

この世界の全現象は非全現象しか認識できない

つまりこの世界で起こる色、香、温度、風、思考、感情、、概念全ては、、そうでない存在でしか認識できないのです。今ここでその認識を起こしているのは非全現象です。青でもなく赤でもなく、色でもなく、光でもなく、熱でもなく、時間でもなく、空間でもなく、意識でもない、、「それ」が認識を起こしています。そして我々の本質は間違いなく「それ」です。

この自分

この自分、体の中にいる自分、自我、私を認識しているのは「自分」「自我」「私」ではないもの「それ」です。ですからこの世界に誕生した「私」は偽物です。。認識できるということは「非私」が「私」を認識しているのです。その非私とは、、色でもなく、思考でもなく、感覚でもない、、「それ」です。認識がこの現象界で起こるということは我々の本質は「非認識」でもあります。空が「不変の自己」と呼ばれるのはそういう意味です。

空を感じる

徐々の徐々に空に迫ってきました。自我だと思っていたのが「意識、大我、真我」に変わり「意識、大我、真我」だと思っていた存在が実は空、不変の自己であったという認識に変わっていきます。空を感じれるようになります、、常に現象を通じて、意識を通じて、、空を感じるのです。空感体験、、からの空体験です。

青い光は青い光を認識できない

青いサングラス

青いサングラスをかけて全く同じ色のグラスを手に取ってみてください。青いグラスが黒に見えますよね。。。つまり青い光は、、、青を認識できないのです。アーという音を爆音でスピーカーから流し、、全く同じアーを小さく横の部屋で流してみてください、、、隣の部屋のアーという音は聞こえませんね。何がいいたいか、、、青は青を認識できず、、アーはアーを認識できないのです。

我々の本質

この現象界に起こる全色、、これを認識できるのは全色ではないものです。この現象界に現れる全音、、これを認識できるのは全音ではないものです、、、この現象界に起こる全思考、、この全思考を認識できるのは全思考ではないものです、この現象界に起こる全感情、これを認識できるのは全感情ではないものです、、この現象界に起こり続ける「意識」これを認識できるのは「意識」ではないものです。

空とは何か?????それは非光であり非色であり非熱であり非現象であり非思考であり非感情であり非意識なのです。これがあるからこの現象界はこれほどまでに鮮やかで熱を帯びそしてそれを意識するが起こるわけです。だから空は絶対に存在します。これがなければこの世界から色が消え、音が消え、熱が消え、全部が消えるのです。

「在る」を実感できるのは「非在る」だけ

唯一の実在「在る」

意識って常にありますよね、、意識がないって不可能です。。。。。TVを観ていても、映画を観ていても、食事中も、、何をしていても「意識」だけは存在します。意識だけはあり続けます、、、この現象界はだから唯一の実在意識で構成されています。。。。。この意識、、、、いったい誰がこの意識に気づいているのでしょうか?????意識が在ると気づいている存在は誰でしょうか??????簡単です、、、非意識です。意識が同じ意識に気づくのは不可能なのです。「在る」が「在る」に気づくのは不可能です。つまり「非意識」、「非在る」だけが、、、、気づくのです。これを空、不変の自己です。

空とは

空とはつまり意識であらず、、在るでもない、、存在です。意識でないのだから、、、そこには100%意識はないのです。我々の正体は非意識です。そして非現象です。非意識であり非現象が、、、、我々の正体なのです。これを空と呼びます。我々は紛れもなく今空としてここに居ます。非意識、非現象、非時間、非空間として紛れもなくここに居るのです。

空体験

空を体験することを悟りと呼びます。もしも我々が空でないとしたら、、「在る」というこの揺るぎのない意識に気づくが起きないのです。気づいているのは空ではありません。ですが空なくして、、、意識は起きえないのです。なぜならば意識は意識を認識できないからです。つまり意識でない存在だけが、、意識を作り出せるわけです。

色と空は一つ

いまここ

色とは現象のことです、、この見える現象です、、、、この見える現象は幻想です、、現れては消えていくのですから、、、消えるということは、、実在ではありません。この体も何かに夢中になっている時、、消えますから、、これも現象、幻想です。思考は頻繁に消えますから、、これも現象、幻想です。この世界に消えて無くなるもので実在はありません。唯一実在するのが「在る」という感覚、意識です。これだけが全くもって消えてなくならない実在です。唯一の実在は意識です。

意識を生み出す存在

意識が絶対的に実在するならば、、、意識を作り出す存在も100%実在します。つまり「空、不変の自己、絶対」は絶対に存在します。意識という100パーセントの実在を作り出す存在は100%存在するのです。そして意識には大きさがありませんから意識は空をも飲み込みます。ですが同時に意識は空が生み出すのですのですから空よりも大きいということもありません。この二つの実在は一つなんです。

意識と空は一つ

意識が及ばない場所

意識には大きさがありません、確実に「在る」にも関わらず大きさがないんです。多くの方はこの意識は体の中にスッポリと収まっていると思っていますが、、、この体の中に入るコンパクトサイズならば、、、意識には大きさが在るということになってしまいます。ですがこの世界は本当は分離などしていないので、、、この体に収まってしまうならば意識も幻想ということになります。ところがこの意識は生まれて死ぬまで、、熟睡時以外、、必ず存在するのですからこれは実在です。となると実在する意識はこの体には収まっていないことになり、、意識の中でこの現象が起きているという結論に至るのです。

部屋を見る

部屋を見てください、、あなたの視界の中の現象は意識の中から今現れたのです。外を見てください、、その瞬間に意識の中に現象が現れました。そして意識の中に現れた「人」が声をかけてくることで、、しかもこの現れている体に声をかけてくることで、、、意識はこの体の中に「在る」という勘違いが始まったのです。本当は意識の中で現れた現象が、、やはり意識の中で現れたこの体に声をかけるというやはり現象が起きたのです。

どこまでいっても

どこまでいっても意識の中で全現象が起こっています。どこまでもどこまでも全現象が意識の中に起こります。そして意識はこの意識を生み出す「空」という存在、、、「不変の自己」すらも含んでいます。なぜならば空には意識がないならば意識には大きさが生じてしまうからです。つまり空も意識なのです。不変の自己すらも意識の中にあるのです。ですが同時に意識は空から生じていますから意識も空の中にあります。つまり空と意識は一つなんです。つまり空と現象は一つであり、、、つまり空と色は一つです。

意識が及ばない場所

ない

この絶対的実在「ある」という感覚、、この感覚は、、どこに存在するのか??????唯一の実在「ある」はどこにあってどこにないのか?????体の中でしょ、、、もしも体の中に「在る」が収まっているならば、、、「在る」には大きさがあるということになります。ですがあるわけがないのです、、分離した何かはこの世界には絶対に存在しないので。このコップは私が目を閉じれば消えますよね、、だからこのコップは実在ではないのです。消えたり現れたりする存在が実在という証拠は全くないわけです。つまりこの世界で唯一存在するのがこの「在る」という感覚なんです。

唯一無二

この世界で唯一無二の存在「在る」は、、、、形や大きさがないのですから、、、、全部に行き届いています。そして全部はこの「在る」の中に現れては消えていきます。この私という感覚も在るの中でたまに現れては消えていきます。この体も「在る」の中で現れては消えていきます。私にまつわる全思考は「在る」の中で現れては消えていきます。

全部が「在る」

この世界は「在る」から出る現象に過ぎません、、、現象には過ぎないのですが全部が「在る」そのものですから虚無とは全く違います。「在る」が「在る」としてこの世界に現れそれをそのままに認識できるならば、、現象は光り輝いてくるのです。「在る」が「在る」としてこの現象に関わる時、、世界が変わります。無駄な思考が全く湧いてこなくなり、、つねに「在る」の表現を「在る」が感じるという状態になります。

意識、意識、意識しかない

意識の自作自演

皆さんは本当の静寂を感じたことがあるでしょうか????本当の静寂って、、、凄いんです。。。本当の静寂って、、、全部が全部意識の現れだって気づいた時に訪れます。100パーセントの実感で、、、ここは意識しかない、、、と気付けると、、、、凄い静寂が漂ってきます。本当に本当にそれ以外のことがどうでもよくなります。というよりも、、、どうでもいいことが無くなってしまうんです。なぜならば全部が全部意識の現れであることを実感しているからです。

全部の嘘がバレた時

詐欺師が詐欺行為をし、、、その詐欺が、、、完全に相手にバレた時、、、、恐らくその詐欺師は静寂を味わうでしょう。詐欺を維持するための思考活動が終わるからです。全くこれは同じ、、、全部が全部意識の現れであると気づいた時、、、、静寂が漂います。。。。あれをしなきゃ、、、とかが襲ってこれない。だって起こる全てがこのここに100%存在する「意識」から起こっているのですから。この現象は嫌い、この現象は好き、、、という次元を超えます。

全部あなたが作っています

目を閉じます、、視界から景色が消えます、、、、真っ暗な景色の中で、、、、、音がなります、、声が聞こえます、、、この全てが意識から現れ意識の中に消えていきます。これを感じます、、、100パーセントの真実を感じるんです。理屈から実感に変わります。真実に触れる時間を作るんです、、、真実に毎日毎日何回も触れていきますと、、真実を実感できるようになります。

意識があって分離がない

簡単過ぎる

この世界には100%存在するものと100%存在しないものがあります。100%存在するのが「意識」です。。。。これは100%です。学校で生徒に向かって今日意識がない人いますか?????と問えば100%全員が「意識がある」と答えるでしょう。。。全人類にこの問いをすれば100%全員が「意識はある」と答えます。

分離

その反対に100%ないものがあります、、それが「分離」です。。。これは100%ないんです。この世界にもしも分離した「何か」が存在するならば、、、その何かを入れる器としての「何か」が必要になり、、その「何か」をさらに入れるための器が必要になり、、、これは理論として破綻しています、構造上実現できないのです。ですから分離はあくまでそう見える感じるだけであって100%存在しません。

そうなると

意識は100パーセントあって分離が100パーセントないとなると、、、、この世界は意識しかないことになります。意識と分離した何かは絶対に絶対に存在できないので、、、全部が全部意識ということになります。つまり目の前のコップ、机、体、思考、感情、、動きの全て、風、、、、太陽、、、何もかもが意識です。しかも100%意識です。

勘違いをする私の友人

じゃあそうは思っていない私の友人はどうなっているのか??????簡単です、、、私がこの体の中に100%居ると信じる感覚、思い、思考の全てが意識でできているんです。だからそう思えるのです、、全部が全部分離しているという思考感覚も意識でできています。つまり勘違いする人類そのものが意識なんです。そして意識が及ばない場所は存在しないので、、、いまここ以外には何も起こっていません。そしてそれを100%実感できます。