意識と空

意識と空は別なのか????

我々が今100%の自信を持って「在る」と言い切れる存在それが「意識」です。意識だけは100%あると言い切れます、、、そして意識には大きさがありませんからこの見える世界は全部「意識」でできていることになります。目の前のコップが意識の外にあるならば、、意識には大きさがあることになってしまうのです。つまり全部意識の中で起こる現象です、コップも、カップも、、テーブルも、思考も、、感情も、行動もです。そして全部は意識ですから現象化すれば「意識」されます。意識されない現象は存在しません。では意識を生み出す存在「空」は意識とは違うのか??????空は不変の自己です、、、ですが意識と、空が別々ならば、、、意識にはやはり大きさが作り出されてしまいます。つまり意識と空は全くもって同じです。

意識の中に空があり空の中に意識がある

意識と空が全く別の存在ならば、、、、意識には大きさが生まれてしまうため、、、意識は空であり、、空は意識です。色即是空、空即是色がここで登場します。ここまでくると空という存在を「意識」できるようになります。空はどこか別の場所にあるのではなく、、、間違いなく、、いまここに「空」があるのです。絶対です、、なぜならば意識が意識できない場所に空があるならば、、、意識には大きさがあることになるからです。意識と空は分離などできるはずがないのです。

今ここに意識を生み出す「空」がある

意識はいまここに100%存在し、、それを100%実感できいるならば、、、ここに空が存在することを実感できるはずです。なぜならば意識が及ばない場所に「空」が存在することはできないからです。今ここで意識を生み出している「空」がここにあります。100パーセント自身を「意識」であるという実感が湧いた時、、そして見える世界全てが「意識」であるという実感が湧いた時に、、、そこに100%存在する空を実感できます。

完全詐欺

この世界

この世界は「意識」による完全詐欺が行われています。「分離した自分」が居る世界という完全詐欺です。そして多くの方がこの完全詐欺にまんまと騙され、、、騙されたまま死んでいきます。なんなら騙されたまま輪廻転生をして来世を作り上げてでも継続されます。そのぐらいにこの詐欺は完全犯罪なのです。この世界に唯一実在している存在、、それが「意識」です。。。。この意識が「完全犯罪」を犯し、、、、「この体の中には自分がいる」という感覚を作り上げました、、、その原料材料は「意識」です。これによって分離した世界を意識によって登場させたのです。この分離感覚の原材料は「意識」です。だからこの犯罪は意識による完全詐欺なんです。

騙されるのも「意識」

ただし完全犯罪者が意識だとして、、、、犯罪の被害者も、、、意識以外にはありえないのです。。。だってここには「意識」しか存在しないのですから。。。ということで加害者「意識」被害者「意識」という自作自演の意味不明なドラマが今ここで起こっているというおかしな現象が起こっています。では意識はなぜそのような自作自演の完全犯罪を犯しているのでしょうか????それは、、、無限の体験を作り出すためです。分離体験という無限の体験を作り出すために、、、、分離している、、という感覚までをも意識は作り上げたのです。

つまり

この世界は、、、無限の体験を作り出すために、、あえて意識が分離感覚を作り出し、、、分離経験をうみ出しているだけとなります。だから、、、誰も悪くない、、、となるんです。ですがこの分離体験は苦しいので、、、終わらせたい、、が起こるのです。それも意識の現れです。そしてこれを終わらせるには、、完全なる「見抜く」が必要になります。完全なる実感としての「見抜く」が必要になります。

「意識」の範囲

分離はない

意識がここからここまで、、、って範囲があったら怖いですよね??????おまえの意識って小さいよね????聞いたことないですよね。。。お前の意識は今日大きいね??????そんな会話も起きないわけです。つまり意識って大きさがないんです、、、、、でも100%ありますよね。。。。。。大きさがないにもかかわらず100%存在する存在、、それが意識です。大きさがないとするとですよ、、、、目の前のコップは私の「意識」とどういう関係なんでしょうか?????困りますよね。。コップには大きさがあるのに、、意識には大きさがないんですから、、、どう捉えていいか。

答え

意識には大きさがない、、目の前のコップには大きさがある、、、、つまりこのコップも意識の中で起こった現象なのです。コップと意識の間にはギャップがあるならば、、、意識はここまでという制限ができてしまいます。意識とコップには差、ギャップ、区別はあるわけがないのです。つまりコップも100%意識でできています。100%です。意識でできたコップと、意識でできた体が触れると、、感じるという意識活動が起こります。

意識の遊び

意識には大きさがなく、、ゆえにコップも、テーブルも、、思考も、感情も、、行動も全部意識できています。友人の誘いも意識でできていて、、友人の笑顔も、、友人の体も意識でできています。だからここには意識しか存在していない、、にも関わらずこの体、あの体と、、、そこには分離があるように感じることができる、、、この分離感覚すらも意識によって仕立てられたものです。この世界が「神の遊び場」と呼ばれるのはそういう意味です。

実在

100%の存在

この体は100%あるって言い切れますか????視覚触覚嗅覚、、五感の全てを尽くしてあることを説明はできますが100%ではないですよね。。太陽の存在も月も、このテーブルも、、幻想だと言われてしまったらそれを覆す方法って100%では不可能なんです。ところが、、、、100%あるって言い切れる存在がこの世界には唯一あります。それが「意識」です。。。。これだけなんです、、、これ以外は100パーセントはないんです。そしてその「意識」はどこからどこまであるんでしょうか????体の中ですか????本質的に分離ってないので、、、意識はどこかに収まることはできません。意識はいまここに広がっています。では意識とこのテーブルは別物でしょうか?????それでは分離が起こってしまいます。つまり全部が意識の現れなのです。

「私」が向かうところ

見かけ上のこの「私」が向かうところに、、、意識が向かうところに、、あらゆる現象化をした意識が現れ、、、気づかれていきます、意識に。現れたのを意識が気づくのではなく、、、現れそのものが「意識」なんですから現れた現象そのものが「意識化」されるのです。そもそもが意識ですから。だから今ここ以外では何も起きていない、、もしも起きているならば、、、意識化されますよね。

意識が意識の現れを意識する

意識が100パーセントあって、、その意識は分離などしないので、、、この見える世界は全部意識であり、、ゆえに今ここ以外で何かが起こっているはずがないのです。いまここの意識とは全く別で何かが現象化されているならば、、意識には境界線があることになってしまいます。ゆえに「いまここしかない」は100パーセント真実なんです。だから地球の裏側では、、あんなことやこんなことが、、、、、は妄想です。100%妄想です。

実在を確認する

100パーセントの実在「意識」

我々が絶対に疑わない存在が世界にはあります、、絶対に疑ったことがない存在です、、、絶対にその存在を疑えない、、、存在、、、、それが「意識」です、、、、朝起きたけれど、、意識が今日はないなーは絶対に絶対にない、、、、死にたくなるほど忙し過ぎて、、昨日は意識も無かったです、、、、もない。。。「意識」だけは何があってどんな状況でも、、、、「なかった」がないんです。。。これだけが100パーセント信用できる確固たる存在、、、実在です。

分離もない

意識、、、この存在だけが確実にあって、、、かつ世界には分離はないのですか、、、、全部が意識の現れです、、、それしか説明のしようがない。意識は100%あってしかも誰しもがそれを実感している、、、、とするならば、、、見える全ては意識の現れです。証明が終わりました。そして意識の現れに気づくことで、、我々は意識し続けることができます。意識の現象化が意識をあり続けることができます。だからこの世界には「意識」しかないんです。

意識を作り出す存在「空」

意識が100パーセントあって、、その意識に分離がないのですから、、、この世界は意識の現れであり、、意識の現れゆえに現象化は100%意識化されます。現れでる全ての現象は100%意識されるのです。だから今ここ以外では何も現象化されていない、、、だって現れでた現象は全てに気づく意識ですから。で??????その意識による意識活動はどこで起こっているんじゃ?????ですよね。空です。

あまりに簡単過ぎて自慢できない

公然の秘密とは

オープンシークレット、、覚者トニーパーソンズの本の題名ですが、、、この言葉は本当に的確な表現です。公然の秘密、、まさに悟りとは真理とは、、、完全に現れている秘密です。まったくどこにも隠れていないのに、、隠れている。人間の先入観、錯覚力、思い込み力は素晴らしく、、、、こうも真実を隠してしまうものかと驚かされます。ただあまりにシンプル過ぎて、、わかてしまっても自慢ができないほどです。

私は分かったぞ!!!!は嘘の発想

宗教法人をぶち上げてワシは霊格が高いぞよ、、、と宣ってしまうのは輩が現れてしまうのは、、、まだ分かっていないからです。。。。なぜかというとあまりにシンプル過ぎて、、自慢など怖くてできないのです。1+1=2を理解した小学生は、、周囲に自慢するでしょうか????あまりに簡単過ぎて自慢できないですよね?????ラスベガスのマジックショーのネタがあまりにも簡単であったならば周囲に自慢しませんよね????つまり悟りとはそのぐらい簡単なことだったのです。

気づけば一瞬

全部がここにあって今ここでしか何も起きていない、、起きていない現象はなく、現象の全ては起きては消え去る意識の変化です。これだけ、、これだけが真実です。だから「私」も「私の人生」も意識の変化ですから、、実態はない。。。実態があるのは「意識」だけですから全部が意識であり、、意識以外のものは存在しない。つまり私とは全部であり、、今までの「私」は意識の変化の一部だった。文章で書くとどうしても難解になりますが、、文章にできないぐらいにシンプルだということです。

意識が起こる前

そんなのない

意識が起こる前ってあるんでしょうか?????我々は意識がなくなった時などほぼなく生きています。思考がない時はいくらでもあっても「意識」がない時は一切ないんです。生まれてきた時から「意識」だけは確実にあって、、「意識」の中に思考がたまに現れます。「意識」から全現象、全思考、全行動、全体が起こるのです、そして意識がそれに気づきます。本当のことを言えば全現象自体が意識ですから全現象はそれ自体が意識化されるのです。その意識が生まれる始まる前はあるのでしょうか????ないんです。

空は最初から全て

空の中に存在しなものはないんです、、空は全部ですから、、、空の中に意識が生まれるとしたら生まれる前が誕生してしてしまいます。その瞬間空は以前は全部じゃなかった、、になります。だから空には最初から意識があったのです。ということでビッグバン以前は存在せず、、最初からこの宇宙は「在り」そこに意識も最初からあるということになります。

今も意識がある

多くの方は疑問に思っていませんが、、「意識」って完璧に今にあるんです、、意識が昨日はあったけど今日はない、、、明日意識ってあるのかな?????なんてことは起きないのです。意識はいつも今にあります。その意識の中で昨日という思考が現れ、明日という思考が現れ、、俺という思考、、俺という感覚、、が現れては消えます。

意識しかない

本当は意識しか存在しません、、意識の現れが今ここです、、この花もこの机も、、この体も、、この声もこの思考も全部意識から現れ消えていきます。、、、現象そのものが意識ですから現れに気づかない現象はないんです。現れたものは全て自身が気づくということです。だから見かけ上の「私」が公園を歩く時、、様々な意識が現象化され気づかれます。

サーファー

自由の象徴

サーフィンというスポーツは自由の象徴のようなイメージがあります。なぜでしょうか????サーフィンは一人ではできません、、波という自然と一緒じゃないと成り立たないのです。人間が波に合わせることで成り立つスポーツです。波は常に変幻自在に変わりそれに合わせるというスポーツなんです、、つまり自分がこうしようああしようを無くした状態が完璧なライドを起こすわけです。

完全に今にある

サーフィンが教えてくれること、、それは完全に今にあるということです、、、今に意識を向けなければサーフィンはできません。なぜならば波は毎回毎回形をかえるため予想、思考、概念を超えるからです。この現象は実は波と同じで毎回毎回形を変えます、、、これに合わせるのが無為自然な生き方です。現実は波でその波の形状は毎回変わるのです、、、これに合わせることが楽しいとなります。

思考は大変と騒ぐ

思考はこれを大変と騒ぎます、、ですがサーファーは楽しいと言います。波の形状が変わった方が楽しいですよね???現状が変わった方が楽しいですよね????つまり今に生きる時、、、、現状の変化こそが最高なんです。楽しくなっちゃうのです。多くの方はそれを大変と言います、違うんです、、今を生きるサーファーにとっては最高に楽しいのです。波よりも現実の方がリアルでいいんです。

単純過ぎる

真実は超シンプルだった

真実って本当に本当に単純なんです、、単純過ぎてびっくりします。私はあらゆる方法で真実を説明しようと試みますが、、あまりにシンプル過ぎるがゆえに相手に伝わらない、、というジレンマです。「全てはいまここでただ起こっている」これだけなんです、これで終わりです、、、、この一行で終わってしまうのが真実。。。。シンプル過ぎますよね。。。。

全思考は起こっているだけ

見える全現象、全思考、全感情がいまここでただ起こります、、それだけです。これが真実です。私が居るという思考も起こり、認識され、、、私は被害者だという思考が起こり、認識され、、、私は働かないといけないという思考が起こり、、認識され、、、が起こり続けます。それをコントロールできる誰かもいません、、この体も頻繁に現象化され、、、行動も頻繁に現象化される。。。。

それでも生きていかなくては、、、が起こる

この単純過ぎる真実を聞けば、、、いやいや、、でも自分で考えて生き抜いていかないといけませんよね????という思考が起こります、、、それが今勝手に起こったのです。そんなことを聞いても帰るのバスには自分の意思で乗らないといけませんよね????が今起こりました。そんな話を聞いても楽になるわけないじゃないですか、、、が今起こったんです、思考として。

質問が無くなるまで

こういった質問が湧いてこなくなるまで、、、真実への気づきがエンドレスに続きます。でも、だって、そうはいっても、、が起こらなくなるまで続くんです。悟りとは完全な理解ですからそれでいいのです。完全な理解が続くまで悟り三昧でいいのです。理解し尽くして質問がでなくなった時、悟りです。

空(絶対)が進化する????

なわけない

空とは完全完璧無限です、、既に完璧なので、、空が気づく、空が進化する、空が発展する、、、などの動きが全くありません。そして「どこか」に在ることもなく進化するという時間ありきの存在でもありません。時間もなく動きもなく空間にも存在しない存在です。でも確実に在るのです。完全無欠で進化も退化もしない存在の中に、、、自身は無限の存在で在ると自覚する部分が存在し、、それが神、大いなる存在と呼ばれる存在です。ここには意識がしっかりとあり、、その意識の中に全現象が起こるのです。

無限の存在で在るという自覚が空を感じさせる

無限の存在であるという自覚は、、空の中で起こるので、、この自覚は空を引き寄せます。空に関心が起こるのです、、それはそのはず無限であるという自覚が空の中だからです。空との接点はこの近くの中で起こるのです。無限の存在であるという自覚を作るその場所こそが空です、、だから空を感じるわけです。ではどうしたら無限の存在であるという自覚を持つことができるのか????それは観察力です、、本当に自由意志ってないよね、、本当に自分って居ないよね、、、という実感は感じる以外にありません。この感じる力をつけていき真実に触れることができる状態を目指します。

自由意志がないことを自覚する

自由意志を手放し、、自由意志がないことを自覚すると、、、本当に楽なです。。楽すぎてびっくりします、、この楽は何なのか??????なぜこんなに楽なのか?????を考察しますと、、、そうだ、、真実だからだ、、、という気づきが起こるんです。本当に自分って居ないよね、、、の後にくるこの安堵感、、、なんだ????これは????そうか、、、真実だからだ。。という実感です。その時、、もう焦ってこれをしなきゃ、あれをしなきゃがないんです、そこに気づきます。これが全体として生きるということです。

全体として生きる

全体としていまここに居ます、、全体が主語で、、、全体の中で自分も起こり、現象が起こり、感情が起こり、、が続きます。全ては気づかれる現象として起こるだけ、、、私も起こり、体験されるが起こるのです。主語のない経験だけが起こり続け、、その後に「私」が思考されそれが体験される。。。この全体の起こりをただ観察します。本当にそこには自分も自由意志がないことも確認されます。全体だという自覚が芽生え、、空を感じるが起こり始めます。