いつかどこかで

その思いこそが悟りの表現

全表現はいまここで起こります、「いつかどこかで悟りたい」この思考も悟り、解放の中で今起こるのです。今は本当に苦しいけれど、、いつかどこかで悟るんだ!!!この思考が悟り、解放の中で今起こっています。理解できますか????つまり我々は今どこにいようと悟り、解放の中にいるんです。悟り解放以外の場所に住んだことなど一度もないのです。悟り解放の中で、、私は孤独で苦しい存在だという悟りの表現である思考が起こっただけです。

悟り、解放を出たことなど一度もない

私たちは悟り解放の中にいつも居て、、その中で孤独を想像しています、悟り解放は全思考を受け入れますから「私は孤独で悲惨で地獄だ」という思考も起こり、、それがイメージ化されるんです。その思考に善悪は全くなくただ悟りのアートとしてそれが起こるのです。個人が居るという思考も、、その個人が幸福なるという思考、そのために頑張るんだという思考も全部が全部悟りのアート、表現です。

悟りは概念ではない

悟りは概念ではありません、、、悟りはいまここ、、このスペースのことであり、、このスペースで起こる現象、思考、感情の全てです。概念とは悟りのアートのたった一部でしかないのです。悟りとはどのような信念でもなく、、その信念を支える全てです。全信念、全思考、全概念、全感情を生み出す大元です。

体感する

悟りとは全部であって全部を支える空です。これは概念ではないのですから感じる以外に悟りはありません。ではどうやって感じるのか??????見かけ上のこの私は「呼吸法」「断食法」をお勧めしています。これらは実は行為ではなく、、、、、思考しない、余計に食べないという行為を終わらせる行為です。雑念を起こし続けるメカニズムを呼吸法、断食法で打破した時に残るもの、それが悟りです。

神の定位置

神はどこに居る????

神の居場所ってどこでしょうか?????ここ以外ですか????もしもここに神が居ないとしたら、、、、神は一部にしか住めないことになり神の監督不行届けです、つまり神は監督能力がないということになります。つまり神は100%ここに居るんです。ではここのどこに居るんでしょうか?????どこに神が居るか探してください。この場所、全体じゃないんですか????そうだとしてその実感がありますか????神が居るという実感がないとしたら、、この感覚はなんなんでしょうか????神の感覚と、私の感覚は別でしょうか????

「在る」という感覚

「在る」という感覚はいつでもどこでもありますよね????この感覚と神が居るという実感がズレていたら、、この「在る」は神とは全く関係ない実感となります。そんな感覚が存在してしまったら全知全能の神は全知全能ではなくなってしまいます。つまりこの「在る」という感覚こそが神の感覚なのです。「神が居る」という感覚が今もかつてもずっとあったこの「在る」という感覚なのです。

だとしたら??????

今ここに「在る」「在る」という感覚こそが「私は神だ」という感覚ならば、、、何もしなければ「神」のままですよね??????そうです!!!!その通りです!!!!!!何もしなければ「私は神だ」のままなんです、、つまり真の安らぎ、真の平和、真の愛そのものなんです。え?????だとしたらなんで今その感覚がないんですか????全くないですよ、、そんな感覚。。。。それは湧き上がる思考、雑念に取り込まれてその思考雑念が見せる映像に釘付けになっているからです。思考雑念が紡ぎ出す映画に夢中になり、、楽しんで苦しんでいるからです。

思考を観察しちゃえば????

「在る」だけで真の安らぎに入れるならば、、、、もう思考に入り込まなくていいんじゃないですか????雑念を本気にしないでいいんじゃないですか??????マジでのめり込むの辞めちゃえばいいんじゃないですか?????つまり「在る」として思考をただ観察するだけでいいんです。映画館に行ってただ映画を観察するだけでいいんです、前のめりなって映画に入り込んじゃうと、、、もう映画の中です。そこは真の安らぎが一切ない世界です。

外部環境のエージェントスミスは大したことはない

映画マトリックスとの相違

この世界の住人、登場人物は全てエージェントスミスです。彼らは思考の世界にどっぷり浸かっているなど全く気づいていないですから、、、当然こちらにも同じ感覚で話しかけてきます。この感覚を共有しようよ!!!です。ですがこれがまさにマトリックスの世界に入れ込む罠なのです。自分が居ないとか何言っちゃってんの???のノリでマトリックスの世界に誘います。

答えが分かれば

答えさえ分かってしまえば、真実さえ分かってしまえば、、、周囲の人間は全く怖くありません。外部のエージェントスミスはなんてことないんです、、だって手の内が完全にバレてますから。。ただマトリックスの住人として当然の行動をとる、、、ただそれだけです。こちらはただマトリックスの住人として冷静に扱う、、これだけなんです。

怖いのは心の声

エージェントスミスの恐ろしさは外部環境ではありません、、心の声です。この心の声が半端なく最強です、、心の声は、、さも重要な内容のようかのように湧いてきます。この体にとって超重要な内容ですよ!!という切り口で湧いてきますから思わず、、、え?????となるんです。これで引き摺り込まれるんです。いつの間にか思考を観察する神ではなく思考そのものになってしまうんです。この状態が「苦しい」です。

心の声を観察する

心の声であるエージェントスミスは、、、観察されるだけで勢いを減らします。観察されるだけで、、、急に威勢が無くなるのです。観察とは、、、もはや思考そのものになっていない状態、、大いなる存在は大いなる存在そのものになっている状態ですから、、、その瞬間から思考は勢いを減らすのです。だからただ観察するだけでいい、、、何もしなくていいんです。何かをしようとする動きも罠です。

思考を観察してみる

呼吸を観察してみる

呼吸を観察してみてください、、驚くべき変化が起こるんです。何か?????呼吸が突然大人しくなるんです、、あれ????俺ってこんなに呼吸遅かったっけ?????です。呼吸に意識を向けるだけで呼吸って遅くなるんです、静かになるんです。そしてこれが正しいリズムです、神の呼吸です、大いなる存在の呼吸です。

では思考を観察してみる

では次に思考を観察してみてください、、、一気に思考が大人しくなります。ですが思考は決して止まることはないでしょう、、、、ですがそれでいいのです、、、全く気にしないでください。呼吸のリズムが遅くなっても決して呼吸が止まらないように、、思考も止まるなんてことはないんです。必ず思考も呼吸も湧いてきますからただこれをキャッチしてください、つまり気づいて観察してください。この行為を行うだけで思考が静かになることに気づいてください。

神の定位置

今あなたが呼吸、思考を観察しようと、、、決めたその場所、、、、そこが神の定位置です。神が神であるための場所です、、、この定位置を離れなければ全く苦しみは湧かないんです。神がこの場所を離れ思考そのものになってしまった時、苦しみが湧き上がります。神が思考に気づく存在から思考そのものになってしまってはダメなんです、、苦しみが湧き出します。

思考から神を剥がす

思考そのものが悪いのではないんです、思考に神が同化する、思考に神がへばり付く、思考に神が一心同体になっている状態が「苦しい」のです。ただこれだけなんです。だから神は常に定位置、思考に気づく場所に座るのです。思考に比べると呼吸に気づくのは簡単です、この呼吸に気づくという行為を通じて徐々に徐々に思考にも気づいていきます。神が神の定位置に座る時、、、真の安らぎが訪れます。

呼吸がどんどん深くなる

安心感がある時

安心感がある時、温泉に浸かっている時、、、人は呼吸が深くなります。リラックスは呼吸を深くするんです。この原理を逆に利用します、、、、呼吸を深くすることで究極のリラックスに至るのです。最初から究極のリラックスに持っていっちゃうのです。呼吸法を実践しますと、、ただただリラックスが起こるんです、、、呼吸を深くすることで最初からリラックスを起こします。

リラックスが呼吸を深くする

リラックスが呼吸を深くし、、深い呼吸がリラックスを起こします。我々は深い呼吸を意図的に起こせるわけですから能動的に深いリラックス状態に入れるのです。深い深いリラックス状態とは悟りですがこれを呼吸法で能動的に導けるわけです。そんな簡単に悟れるならば苦労はないよね!!!!その思考こそがトリック、戦略です。悟りとは究極のリラックスでありそれは呼吸で意図的に導けるのです。

意図して悟りに入る

意図して悟りに入れないのならば、、、悟りは全くもって奇跡になってしまいます。ですが実際は悟りは意図して入れるもなのです。悟りとは今入ろうとして今は入れないといけないのです。意味不明ですよね、、ですが実際はそうなんです。悟りとは意図的に入るものなのです、、偶発的ではなく能動的必然的に入るものなのです。いやいやそんな簡単に悟りに入れたら苦労はしないですよ!!という思考こそが自我の策略です。

断食悟り塾

実践実践実践

断食ファスティングを実践していきますと、、、、毎日毎日、、気分が変わっていくのが分かります。。断食とは何かをするんではなく食べないということです、、、何もしないにも関わらず気分がガンガン変わっていくのです。景色は輝き始め、音は鮮明になり、、雑念が消えていきます。人によっては断食だけで悟りを開く人がいるのではないか????そのぐらいの効果があります。重要なことはなぜ悟りに断食が有効なのか???ここを理解することです。なぜか????ここを理解しないと全ての結果を最後は自我は横取りします。

雑念は疲れる

一日中思考が止まらなくて、、、昨日は何も食べなかった、、、、そのような言葉はあまり聞いたことがないでしょう。それはそのはず、、、思考が止まらない時は思わず何かを口にしてしまう、、からです。甘いものが欲しくなります、唐揚げが欲しくなります、パンチが効いた物が美味しくなります。雑念は苦しみを作り出しますから、、人はむしろ食べ物を求めるのです。そして次の日はその余剰エネルギーが思考の餌、雑念の餌になるのです。

食事による雑念を無くす

生物学上、、、お腹が鳴ったら食べるというのが自然の摂理に合っています。お腹が鳴るということは、、食べる準備ができている証拠です。ですからこの自然の摂理に身を任せるのです。野生動物と同じライフサイクルに入ります。時間が来たから食べなくちゃ!!!は人間が作り出した不自由なルールです。これを辞めてしまいます。雑念のための餌を断つのです。

悟りと断食

マトリックスの世界は食事が必要

思考の世界、マトリックスの世界は非常に疲れるため食事が必要になります。暴飲暴食を重ねてしまうのは思考の世界マトリックスの世界が苦しく、、、この苦しみを一時でも取り除くのに食事が有効なのです。ところがこの有り余った余剰エネルギーは、、思考回転、雑念の餌として使われてしまうために次の日に雑念が酷くなるのです。結果マトリックスの世界にどっぷりと浸かるために、、また食事を暴飲暴食するという日々が続くのです。

食事から悟りに入る

まったくもって思考が回転しない、雑念が起こらないならばそれはもう悟りです。この状態を食事から入っていきます。朝食事を抜きます、昼にも食事を抜きます、、そしてお腹が鳴ったら、、、食事をスタートします。これを毎日続けます。。。お腹が鳴るまでは食べないそう決めます、、、すると最低限の栄養素しか得ないので、、そのエネルギーが雑念に向かないのです。つまり苦しみが消えるわけです。そしてお腹が鳴ればしっかりと食べていいわけですから栄養不足にもならないということになります。

呼吸法

断食中に呼吸法を実践しますととんでもなく頭がスッキリします、、、呼吸が深く深く入っていくため、、意識が思考から外れやすくなるのです。お腹が空洞状態であるために深い呼吸を妨げる要因がないのです。呼吸法の土台を断食で作り呼吸法で意識のコントロールに入っていきます。マトリックスの世界から出るのは直ぐです。マトリックスの世界は実はこの体が作り出しています、、思考に意識が意識することで毎秒ごとにマトリックスの世界を自身で作り上げているのです。この創造行為を根本から打破していくのです。

断食の極意

人にあった断食を行う

ファスティング、断食は危険であるような情報が出回っていますが危険であるはずがないのです。野生動物は調子が悪い時は食べ物を食べずに回復を待ちます。もしも今あなたが雑念も含めて調子が悪いならば断食をすればいいのです。夕食だけを食べる、朝だけを抜く、、週に二日は完全断食にする、、その方にあった断食で十分です。もしも本当に慢性病などがあるようでしたら断食を始めますと逆に食欲が全くなくなります、その症状が消え去るまで食欲が起きないのです。ですが実際には固定観念があり固定観念が食欲を作り出してそこまでスムーズにはいかないでしょう。

呼吸が自然と深くなる

断食を続けていきますと、、自然と声が大きくなっていきます。腹の底から声が出るのです、話をしているだけでお腹が響くのです。横隔膜が脂肪によって邪魔されずスムーズに動くのでしょう、、声が腹の奥から出ていくようになります。呼吸も必然的に深くなっていきます。呼吸法を実践する際にも深く深く息が入っていくためスムーズです。意識が明晰になり、、、小さな悟り状態に入っていきます。

思考に向かうエネルギーを断つ

断食の素晴らしい点は毎秒毎秒ごとに思考がクリアーになっていくことです、、無駄な思考が毎秒ごとに減っていくのです。それは当然、思考に使うエネルギーを根本から絶っているからです。体は体脂肪をエネルギーに変えてこれを消化していくわけですがこのエネルギーが雑念に奪われてしまったらたまったもんじゃないのです。ということで思考が消える体験を経験できるのです。思考が消えるといかに楽かを既に体現できるのです。この状態で呼吸法を実践しますと成果が圧倒的に早くなります。

ブッダを見かけたら殺せ

有名な言葉

道でブッダを見つけたら殺せ、、、有名な禅の言葉?でしょうか。。この意味実は深いです。この世界の全現象は空の現れです、意識の現れ、、、幻想です。この世界でブッダやキリスト、覚者と呼ばれる人々は居ますが、、彼らは何を見つけたのでしょうか????彼らはこの体は自分ではなく、、この体を認識する存在、意識こそが自身だったと気づいたのです。つまりこの体も現象の一部であり、思考も現象、名前も現象、、、全現象の一部でしかなくゆえにこの体についた名前は暗号、記号でしかない気づきを得たのです。だからブッダと道で会ったとしてもそれも現象でしかないという意味です。

現象は軽薄という意味ではない

全部が全部現象だからだから価値なんてないんでよ!!!であるならば悟りとは何の価値もないものになるでしょう、、そんなことを目標に悟りを目指すのは馬鹿げています。実際にはこの幻想は恐ろしいほどの輝きを持ち、綺麗で神々しいのです。音も、味も、手触りも、、全部が神々しいわけです。この幻に価値がないなどは全くありません。ただしその価値は「私」にとってじゃないんです、価値そのものなわけです。

思考も感情も軽薄ではない

悟りにおいてのラスボス、、雑念、、、この雑念も軽薄という意味ではないんです。思考は全部この空のアートであり、、アートしか存在しないのです。ですがこのアートはイメージ化した瞬間に苦しみにかわるため、、危険なアートなのです。現代人はこの危険なアート言葉を、、全くもって慎重に扱っておらずゆえに「人生は苦」と称されてしまうわけです。

呼吸法と断食

釈迦は山に篭って悟りを開いたと言われていますが、、、山に籠もれば、、必然的に粗食、断食状態になります。この時余分な栄養が思考に回されないがために我々の本質「意識」が思考から外れる可能性が高くなります。さらに瞑想に入ることで「意識」が「意識」そのものに「意識」が向き「分かった!!!」が起こるのです。釈迦が呼吸法を用いていたかは分かりませんが瞑想という意識そのものの状態に至ったのは間違いありません。

現象の正体

空の影

我々が今見ている現象って何で出来ているんでしょうか?????空です、絶対です、不変の自己です。。。いやいや不変の自己でできているならば、、、変化しちゃおかしいですよね?????そうです、、不変の自己の影なんです、、、影だから変化していいんです、、嘘だから変化していいんです、、、、でも影だとしたらそれはどこで影として存在しているんですか?????不変の自己の内部です。不変の自己は全部だから当然影も不変の自己の内部に存在するんです、影として。もしもこの現象が実在ならば不変の自己も変化してしまい、、それでは不変の自己は不変の自己ではなくなってしまうんです、、だからこの現象は100%影なんです、実在しないんです。

実在しないから変化できる

この現象(色)が実在ならば、、、これを作り出した空(絶対、不変の自己)は不変ではなくなってしまいます。。だからこの現象は幻想、影、反映、なのです、、しかも100%。その証拠に我々はこの現象の中で経験しかさせてもらっていません。景色を感じる、味を感じる、、音を感じる、、、、全部経験だけです。。。それを経験した実在がまったくどこを探しても存在しないのです。この体は実在でしょ?????いやいや、、、どこまでいっても実在しているように感じているだけです。

影(体)を調べると影が出る

いやいやこの体は、、、、切れば中から血が流れていますよ、、、それが影です、、、その血を顕微鏡で調べれば中には赤血球が、、、それが影です、、、その赤血球を調べると中には細胞が、、、、それが影です、、、影だからエンドレスに影を量産できるのです、、、影だからです。もっと調べようと「意識」するから「意識」が現象化したのです。

理屈ではいくらでも証明できるが

このように我々の本質は調べれば簡単に見つけることができます。。ですがこのことを頭の中で理解するだけではダメなんです、、、、それでは空、絶対、不変の自己を体感できないわけです。影(体)がどんなに影のメカニズムを理解してもそれはやはり概念、思考、イメージなんです。。。。これ(空、絶対、不変の自己)は概念、思考、イメージが抜け落ちた時に、、、感じるものです。そこで私は呼吸法や断食を勧めています。