地動説に慣れる

地動説を考えない

天動説を信じている人に地動説を説明する際に、、、重要なこと。完全な理解が起こるまでは考えさせないことです。中途半端な状態で考えれば天動説に戻ります。何十年間天動説でやっているのですから当然です。だから考えさせてはいけない、、地動説で話す内容を天動説のまな板の上で理解しようとすると混乱するだけです。混乱すれば当然また天動説に逆戻ります。

この世界

この世界には自分が居て、自分を取り巻く環境があって、、、時間の中で私が進んでいくというのは地動説です。この地動説は実はノンデュアリティ説の前の説なんです。だからノンデュアリティ 、非二元を考察する際は完全に今までの常識を捨てる必要があるのです。ただただノンデュアリティのメッセージに触れてください。真実に触れ続ける以外に切り替えは起きません。

目の前

目の前にはたった一つの世界が広がります。これ以外には世界はありません。たった一つの現実が今ここです。ここに全部があります、この「私」も頻繁には現れますが、、その時のみです。それ以外は完全な今がただ流れているのです。世界はこんなにも広いのに「私」は何をやっているんだ!!!!は要らないんです。このたった一つの世界がここにあってそれ以外は存在しません。

全体がこの体を感じるという実感

体のコントロール、心のコントロール

体を完全にコントロールできますと心も同時に完全にコントロールできるようになります。体と心は何が違うのか?????心も体の機能の一つですからこれは当然です。雑念とは勝手に起こる思念であり、、これが起こるということはコントロールできていないということです。体が欲しくもない食事を食欲で食べる時、、この食欲は無駄な食欲であり、、この延長線上が雑念です。

つまり体の絶対的コントロールを先ずは実践するのです

体の完全なコントロールは心の完全なコントロールであり、、心の完全なコントロールは悟りです。雑念が全く起こらないのならば、、、、もう悟りでしょう。悟りとは意外と近い場所にあるのです。欲しくもない感情、欲しくもない思考が湧かないようにしてしまえばそれで終わりですよね。そしてそこから本当の私、空の実感へと入っていきます。先ずは心の絶対的支配をこの場所でやってしまうのです。

心のコントロールは

体をコントロールする時自分って存在しますか????全くいません。思考をコントロールするのに自分って必要でしょうか???全く必要ありません。そうです。体も心も、、動かしたい時に動かせればそれでいい、、、ところが思考は全く必要ない時にいきなり現れます。動きたくない時に、、、勝手に動けば大怪我します。思考は毎回大怪我を起こしているのです。つまり無駄な思考が起こらない体にしてしまえばいいんです。無駄な思考が全く起こらない時、、至福が始まります。

実感とは

実感とは何か???

実感とは誰が何と言おうと、、、感じていることです。間違いなく見た!!!これは実感です。この実感が伴っているか否かは非常に重要です。体を動かす時に、、先ずは動いていない箇所を探します。あれ???この動きできない、、です。ここで先ずは完全に実感するのです、動かないという実感です。そしてその部位が動くようにヨーガをやっていきます。本当に少しずつ丁寧に丁寧に動かしていきます。

全部位を感じる

ヨーガにあらゆるポーズがあるのは、、動かない場所を探すためです。動かない場所は感じれていない場所です。感じ尽くせていない場所です。その場所を探し感じる体に切り替えていきます。全ポーズが完成するということは全箇所が動くということ、、動くと言うことはその場所は感じる体になったということです。全部位を感じているのは誰でしょうか?????本当の私です。本当の私が体の全部位を感じているんです。

感じ続ける

全部位を動かせる体にしますと、、その体は常に感じることができる状態(本当の私)になります。この体を常に感じています、その存在が。一点の曇りなしにこの体を感じているのです、本当の私が。その本当の私はこの体だけでなく何もかもを感じます、全ての現象をありのままに感じることができます。観念抜き、概念抜き、信念抜きのありのままの姿を感じる時、至福に入ります。

自分を感じ尽くす

この体

この体をヨーガで感じ尽くします。ストレッチとヨガの違いは、、、ヨーガの目的は悟りです。悟るためになぜヨーガが必要なのか?????それはこの体を感じることが感じ尽くすことが悟りだからです。体を感じ尽くすのは誰?????本当の私です。感じ尽くせるのは「本当の私」以外に居ません。だからヨーガで体を感じ尽くすのです。

本当の私はこの体以外も感じ尽くす

本当の私としてこの体を感じ尽くしますと、、、全現象を感じ尽くす状態に至ります。全現象を観念抜き、概念抜きで見ることができます。大人は価値観をベースに世界を眺めています。本当の世界が完全に歪められて生じるため全く居心地が良くないのです。ですからこの世界から抜け出します、、どこに????いまここです。歪んだ世界からいまここにシフトするんです。どうやって????体を感じ尽くすのです。

本当の自分をこの体から剥がす

感じるためには、、、この体から本当の私を剥がす必要があります。本当の私がこの体にめりこんでしまい、、、この体を感じれなくなっているんです。ですから剥がします、剥がれたという実感が湧くまで剥がします。剥がしまくります。剥がれるという実感が芽生えますと、、、この体を同時に感じれるようになります。この体を完全に感じれる時、この世界を感じるという状態に入ります。

体を感じる

誰が????

この見かけ上の「私」の体を感じているのは誰でしょうか????本当の私です、本当の私がこの体をいまも感じています。本当の私がこの「私」をしっかりと感じる時、、、本当の私は本当の私を感じているのです。だって感じることができるのは本当の私だからです。そして本当の私は全現象をありのままに感じます、概念抜きでそのままに現象を感じることができます。本当の私に概念価値観って存在しないんです。だから現象を現象そのままに感じます。

インナーボディー

エックハルトはこのことをインナーボディーと表現しました。ですがこの表現では不十分です。本当の私にしかこの体を認識することができないのですから、、、常にこの体を感じることができる状態(本当の私)にするのです。この体と本当の私の二人三脚状態を作ります。どうやって?????マッサージ、ヨガ、ストレッチ、太極拳、水泳、、なんでもいいのです。その方に合った方法を自身で模索してください。

感じる

健康とはこの感じるをアップすることだったんです。感じるが「上がる」=体と本当の私の二人三脚状態です。常に常に本当の私を実感しています。つまり悟った状態です。悟りとは完全に空(不変の自己)になった状態です。ここを目指すのです。本当の空を実感した時に、、ありのままの現象をそのままに感じます。観念抜き、概念抜き、信念抜きのあるがままです。

ただ現れる

本当は

本当は本当は、、、いま完璧な流れで現象が起きます。この現れをピカソの芸術と気づけれか否かです。実はこの目の前の現象はピカソの一億倍半端ない芸術なんですがそれを気付けるか否かは、、個人の概念次第です。朝起きてピカソが作った芸術が浮かび上がったら、、、感動しかないですよね???そこが試されるわけです。ピカソが描いた芸術と気付けるか、、、、ただの現実と思うかは「私」にかかっています。

好きにすれば

目の前の現実をピカソの芸術と捉えるか否かは個人の概念に依存します。ここに何の差別区別は存在しません。目の前の現実がピカソの芸術と気づければ人生はパラダイスです。ですがそうは問屋が卸さない。簡単ではないのです。目の前の現実をピカソの芸術と気づくには、、、全観念を落とす必要があるのです。

最高

大いなる存在が起こす現実を完璧と感じることができないという事実が不完全なわけです、、、、完璧と感じる方がナチュラルです。つまり我々は完璧の世界に今も存在しているにも関わらず完璧と感じないようにさせられているのです。この誤解錯覚を解けばいつでも至福に至るのです。ただしそこに至れる努力を行使できる個人はいません。

過去とは違う現れ

その情報とは絶対に違う

面白いことをお伝えしましょう、、ぐるなびに書いてあるお店の情報ってありますよね??????そのお店の情報が、、、、その全情報と、、そのお店は違います。正確に正確に記載されているその全てが確実に違うのです。なぜか??????新しい現れは、、変化だからです。変化がその時その時現れるのです。化学反応です。昨日こうならばそこに化学反応が起こったのがいま現れるのです。ですから今日見るお店は、、今日の変化が現れるのです。笑っていいとものゲストです、、昨日この人ならば、今日はこの人は絶対に絶対にないのです。

人は

人は失敗したくないんです、、、だから過去を綿密に綿密に調査して、、、、そのお店に赴くんです。ところが微妙に必ず変わるんですよ、、、だから毎日そのお店いに通えるような人も現れるのです。何の調査もせずに、、毎日通いたくなるようなお店が増えた方が良くないですか????そしてそして、、究極のことを言ってしまえば、、いまそのままにそのお店を見えるようになるとそこに愛を感じるんです、真の安らぎを感じるんです。

あの芸能人も、、、

あの芸能人も、この芸能人も通う、、、、という知識、観念をしっかりと持ってその店に通いますと、、そこに真の安らぎが消えます、真の平和が消えます、、、、だから結局、、、本当の良さを感じずに違うお店を転々とするのです。だからといってぐるなびを使うな、、という話ではありません。事実はそうなっているというメッセージです。

大いなる存在

ここから始まりここに消える

大いなる存在は、、完全に新しい現れを毎回この見かけ上の「私」の前に、、登場させます。毎回です、一回たりとも使い回しがないんです、、、その瞬間に新しい出現を起こします。全現象がそうです。小さい子供はその感覚を理解し、、毎日おもちゃや家具に触ります。道を歩けば葉っぱ、花、植物、虫、、完全な新しい現れに魅了されていきます。人間は思考を起こすようになり、、過去の記憶を再三に蘇らせ、、記憶越しの現れをみるようになります。これによって、、記憶というフィルターを通した出現だけをみるのです。結果全ては薄汚れ霞んで見えるのです。

ぐるなび

友人に誘われて料理を食べに、、人間はぐるなびを即座に検索、、、他人の評価を全部読み込み、、店に入る頃には人気の商品から内装、、、、全部が頭に入った状態で入店、、、はい嘘汚れた霞んだ映像がそこに現れます。完全な新しい出現をフィルター越しに見ます。。これがあの料理か、、これが一番評価が高いあれか、、、これが評価されてなかったあれか、、、、です。つまり人はその料理ではなく他人の評価をその料理を通じて確認するのです。

クラスメイト

友人の噂話、、あいつの家こうらしいよ、、あいつ前のクラスでこんなこと言われたらしいよ、、あいつあの人の付き合ってあんな振られ方されたらしいよ、、、、、、はい、、、その情報越しに全員のクラスメイトを眺めます。そしてその情報通りに感じ、、そしてその感じに合わせたコミュニケーションをとります。大いなる存在は毎回完全な鮮度でクラスメイトを出現させています。過去の現れた、、その人はもうそこには居ないんです。完全なピュア、、勿論陽気なキャラの太郎が、、、次の日陰気キャラに、、とはならない。ですがその瞬間に現れているという真実は確かです。だから前情報などを過信せず、、いま大いなる存在から現れたそのものを味わうのです。

毎日が新鮮

毎日が新鮮なのです、毎日が過去の影響を全く受けない、、そのままの現れが訪れます。構造上そうなっているのです。前情報を掴むなということではありません、、前情報とは関係なく、、いま大いなる存在から現れる現象をいま感じるという習慣をつけることで、、、誰よりもそのお店を楽しめるのです。楽しむためにお店に行くんですよね???だとすれば、、前情報がないのが、、一番楽しめます。

小さなルールの撤廃

宇宙にはルールはない

宇宙にはルールは存在しません。ですが我々はあまりにも多くのルールを自らに課しているのではないでしょうか。男ならば、、女ならば、家庭の長ならば、、長男ならば、、長女ならば、、日本人ならば、、あまりにも多くのルールを無自覚に持っているずです。このルールは勝手に持ち込んだルールです、そしてこのルールは不自然故に、、苦しみを生み出すのです。全ルールが撤廃されるまで「苦しみ」が続きます。

「私が居る」という最後のルール

悟りが解放と呼ばれる所以は、、、、苦しみからの解放なのです、、ルールからの解放なのです、、、そして私からの解放です、、、、この最後のルール、、「私が居るはずだ」を壊すのが悟りです。この最後のルールが無くなるまで、、「苦しみ」という雨が消えることはありません。

ラスボスは後回し

「私が居るはずだ」というルールはラスボスです、、、本来はこれはラスボスなので、、最後の最後です、、ここまで辿り付いたのでしたら、、もうそれだけで大称賛です。私は昇任しないといけない、私は評価を受けなくてはならない、私はもっと大きな家に住まないといけない、私はもっと、、、を先ずは辞めていき、、、最後に「私が居るはずだ」を無くします。

どうせ辞めない

真実に対する質問

この宇宙にはルールが実は全くなくて、、ここにルールを作ると苦しむんです。この内容を伝えれば「じゃあ私は働かないと食べていけないとルールを決めていたから、そのルールを撤廃して明日から働かないって決めちゃってもいいでしょうか???」という質問が必ずでます。私がお伝えすのは、、「働かないと食べていけない」というルールが確実にあなたを苦しませている、、という真実であって、、今後どういう行動をすればいいかではないんです。仮に働かないと食べていけないを捨てて、、先ずは働かないとしましょう、、、でも他にもいっぱいルールを持っているはずですからそのルールで恐らく苦しむのは変わらないのです。

公園で生活するのは良くない

仮に全く働かないとして、、、公園で住めますか????恐らく、、「公園で住むのは恥ずかしい」というルールを持っていますよね、そのルールを手放せますか?????無理でしょう。だからそれは時期尚早なんです。ルールはたくさんあってその多くを人は勝手に所有しちゃっているんです。だからたった一個のルールを捨てればそれでいいんじゃないわけです。

辞めれるルールから辞めていく

「働かないと食べていけない」というルールは宇宙には存在しません、ですからこのルールは本来捨てていんです。ですがこれを捨てるには「友人に食わしてもらうのは恥ずかしいこと」「親に食わしてもらうのは恥ずかしいこと」「女性に食わしてもらうのは恥ずかしいこと」などの他のルールも切り捨てる必要がでてきます。ですから先ずは捨てれるルールから徐々に捨てていきます。アイスを1日1個にしなきゃ、、タバコは一箱まで、朝は六時に起きなくては、、、これらを捨てていくんです、、こうやってルールを止めるコツを掴んでいき徐々に馴染ませていきます。