時間こそが今創造されたのだ
時間という幻想は実はありません、時間という幻想が「空から現象化」されてボコっと現れることはありません。「時間ってあるよね!!!!!」という思考はボコっと現れたんです。その瞬間だけ「時間というイメージ」が現れます。花のようにこの世界に幻としては現れません。「木」のように「鳥」のようにこの世界にボコっとは現れないんです。「時間」という幻がこの世界に現れるのではなく「時間ってあるじゃん!!!」という思考だけが幻として現れます。
五分遅刻した
友人が待ち合わせ場所に来ません、、五分後ようやくその友人が現れました。五分間という時間が現れたんではないんです、、、「五分という時間」という幻がボコっと現れたんではないのです。「〇〇さんが五分遅れたな」という思考が起こっただけです。時間という幻はこの世界に現れることは一切なく「時間がある」という思考の幻が現れるのです。
1時間の遅刻
友人が次の日に1時間遅刻をしました。半端なく苦痛の待ち時間を過ごした私は「1時間を半端なく感じたんです」ですがこの世界に「時間」という幻は出現しません。待つという行為が続くことで「1時間が過ぎた」という思考は湧いたのです。この思考は幻、幻影、現象です。
時間が先ずはあって????
時間という幻が先ずはあってその中で我々は人間活動をしている、、というのは嘘の思考です。今思考として「時間がある」と思考した時だけ時間は生まれます。時間は「思考の中身」でしかこの世界には登場できないのです。だから「私はこの世界に40年前に生まれ育ち今東京で暮らしている」というのは「思考の中身」であってそのような「幻想、幻影、現象」は実は起こっていません。「私はこの世界に40年前に生まれ育ち今東京で暮らしている」というのは事実ではなく「その内容の思考が起こった」この幻、幻影、現象が起こっただけです。この「内容の思考」が起こったことで、、、「それは事実だ」という思考が起こるのです。ですがそのような幻は一切この世界には起こっていないので「違和感」という感情が起こるのです。
思考の中身
私たちはいつしか「思考の中身」を真実と捉える動きが起こり「思考の中身でしかない」という事実を忘れているのです。これを夢といいます、、「夢とは真実ではないことを真実と捉える」ことです。もう一度説明します。「この世界に10年前に私は生まれ今幸せに暮らしている」というのは「思考の内容」です。真実では「時間はこの世界には幻として現れない」のです。時間が存在しないのですから「私も私の人生も全部」幻としては現れていません。幻として現れていない「私の人生」を「幻として現れている」と勘違いすることを「夢」と呼びます。「私の人生」は幻として一度もこの世界には現れていません。思考以外でこの世界には一度も現れていないこの「マイストーリー」「私物語」を夢と気づくことを目覚める、解放、悟りと呼びます。
花
花という現象は間違いなくこの世界に起こります、鳥も、この体も、椅子も太陽も、、この世界に幻として現象として起こります。ですが「私の人生」は一回たりともこの世界に起こったことがないのです。「私という存在」は時間が無ければ当然存在できないわけです。過去というのがあって初めて「自分」は生まれます。ですこの時間が本当は幻として存在しないのです。時間も存在しない、だから私も居ない、だから私の人生も幻として存在しないのです。
あなたは居る絶対に
友人にこの話をすれば「あなたは絶対に存在する、なぜならば私がそれを感じているからだ」と反論を受けるでしょう。ですがその友人は100%時間は存在すると信じています。だから過去に遡って「あなたは居る」と言い張るのです。この言い張る大前提が「時間」があると信じているからこそ起こるのです。ですが何度も何度も説明しますがその「時間」は幻として一度もこの世界に現れたことがなく「思考の中身」としてしかここに現れたことがないのです。