昨日何やってた????

昨日は、、、、、

昨日という存在はありますか?????ありますよ!!!!なぜならばクラス全員に「昨日は何をしていたか????」と聞けば、、、50人中50人が「昨日は〇〇してました」と答えるでしょう。つまり昨日はあるのです。。ところが、、ところが、、、重要なことは、、、「今」昨日というイメージを起こしているということです。全員がイメージで昨日を起こし今それを認識しています。「今」というのは昨日の延長線上にあるのではなく「今」に日付をつけイメージしたのが昨日です。昨日も明後日も明日も明々後日も一昨日も、、「今」イメージされる日付されたイメージです。

今以外は

今以外は全部イメージです、、昨日明後日明日は全部イメージです。今はイメージではなくこの現象です。今は現象です。昨日明日は今起こす現象としてのイメージです。もっと正確に言えば今起こった「昨日というイメージ」が「昨日」です。なぜこの話題が重要かと言えば、、我々は実は時間という中には存在していないのです。真実を言えば「時間」はありません。今という移ろいゆく現象を繋げて「時間というイメージ」をイメージしたのです。

この私

この体とこの体の中の「私」が100%存在していると信じているから存在が在籍する「時間」が実在であるという認識が生まれていきます。ですがこの体も幻想として現れては消える幻として存在し、この私も然りです。ゆえに「この体この私は存続し続ける時間の中で」というのは幻の上に乗っかったさらなる幻です。幻の積み上げが起こっています。この幻の積み上げは『違和感』を起こすため「苦しみ」がセットで付いてくるです。

紙一重

真実と勘違いは紙一重です。この体は100%あるように感じます、この私もあるように100%感じます、そして時間も100%あるように感じるのです。「感じる」から実在しているのだ!!!!!は盲信です。「感じる」だけです、、「感じる」以外は何も起こっていません。真実はそこを突きます。感じる=実在ではないですよ。。となります。真実はこの「感じる」はどこから起こっているんだ????と突きます。「私」「私の体」「時間」を「感じる」は何から起こっているのか????を突くのです。そこがポイントです、究極です。

「あなた」は幸せですか????

質問自体が勘違い

悟ってみて「あなたは幸せですか????」という質問に対して「はい、私は幸せです」とは答えられない。なぜか????その答えは質問者に嘘をつくことになるからです。嘘とは「幸せではない」ということではないんです。間違いなく「幸せ」です。ですが肝心の「私」が幸せではないんです。「私とは幸せに絶対になれない存在だった」と気づくことで、、「苦しみ」が終わったんです。だから質問の答えに「私は幸せです」は絶対にありえないのです。

ストーリー

質問者は「私には人生があって今はまだ苦しい日々だけど悟ればいつの日にか至福の辿り着くだろう」という大前提の元「悟と幸せになれますか????」と質問します。正解は「その大前提こそが勘違いでありその大前提が勘違いであると完全に把握することが悟りです」となります。私という存在、私の人生という存在は完全に幻想幻であり、その幻を続けることで「苦しみ」が起こり続けています、、というのが正確な答えです。

だから

真実に触れるしかないのです。真実はどうなっているか、、を徐々に徐々に認識し続けるのです。そして勘違いの氷を徐々に徐々に溶かしていきます。何が真実で何が幻想かを明確に再定義していくのです。真実はたった一つです、、、全ては現象であり幻想でありそれを色と呼びます。色は空から現れ消えていきます。空即是色、色即是空がただ起こり続けていきます。色の中にはこの「私」この「体」この「思考」この「行動」この「感情」この「五感」が含まれます。

質問に戻る

あなたは幸せですか????このあなたとは現象として現れては消える色です。あなたの人生とは現象として現れては消える色です。これらは全ては空から現れては消えていく幻です。よって私は絶対に幸福になることはできません。現れては消えていく私、私の人生が幸福になるって構造的に不可能なのです。だから最初から無理ゲー、、無理ゲーの質問に気を使って答えれば「私は幸福です」にはなりますが、、質問者は苦しみからは出れなくなります。

「私」は苦しみを手放せない

全部を手に入れても

宝くじ3億円、最高のパートナー、高級マンション、最高の家族、最高の仲間、最高の会社、、、全部手に入れても残念ながら幸福になれません。信じられないですよね?????信じられないですが本当のことです。全部を全部を手に入れた「あなた」は半年後その状況で退屈しています。そしてまた「苦しい」と嘆いています。生きる価値を見出すことができません。

幸せの構造

最重要な真実、、、元々元々、、、幸福なんて手に入れなくても至福でしかなかったのです。何にも手に入れる前、、至福でしかなかったのです。幸せとはそもそも手に入れる必要すらなかったのです。ところが「自分」という存在が現れそれをリアルに「感じる」ようになってから「苦しみ」が増えていったのです。その「自分」がこうならないと幸福になれないと嘘を信じ込まされるようになって益々「苦しみ」が増えていったのです。実は生まれてから「苦しみ」が増え続ける日々を過ごしているのです。

苦しみを止める

ですから重要なこと、、それは幸福を手に入れるのではなく「苦しみ」を解放するのです。幸福を手に入れて幸福を足し算するのではなく「苦しみ」を引き算するのです。「苦しみ」を一枚一枚引き算で減らしていきますと、、気づくと「至福」を感じ始めます。隠れていた至福が湧いてきます。ではどうやって「苦しみ」を解放していくのか????「真実」に触れるのです。「真実」に触れ続けて勘違いの氷を溶かしていきます。氷河のように突然「ボコ」っと崩れるのを待ちます。そこまで溶かし続けます。

悟り

悟りとは「勘違いの氷を溶かし続け、、溶かし続け最終的に勘違いという氷河が全部崩れ去る」ことです。勘違いという「苦しみ」を生み出す氷河が総崩れすることが「悟り」です。私が悟るんではないんですか?????違います。「私という感覚」こそ勘違いを起こす「氷河」の一部です。「苦しみ」を取り除くという引き算に目覚めていきますとまさかの「私」も苦しみを生み出す氷山であることに気づくんです。これが悟りです。

ずっと一緒

朝起きて寝るまで

朝起きて寝るまでひたすらに人と一緒に居ないと気が済まない人っています。通学は友人と一緒、帰りも一緒、トイレも人と一緒に、です。常に常に人と一緒じゃないと苦しい。これって何が起こっているのでしょうか???ストーリーです、マイストーリーの臨場感が半端ないのです。私はこの世界を生きているというストーリー感が起こったのです。ストーリーは起こっていません、ストーリー感が起こったのです。これによって孤独感、分離感が起こったのです。孤独、分離は起こっていません、孤独感、分離感が起こったのです。

宝くじ3億円

朝起きたら宝くじ3億円が当たっていた!!!そんなことが起こった時に「寂しい」は起こりません。「分離感」「孤独感」がぶっ飛びます。「分離、孤独」は最初からなく存在せず「分離感」「孤独感」しか元々なかったからこれが起こるんです。嬉しいことが起こったっ時にぶっ飛ぶのは分離、孤独ではない「分離感」「孤独感」です。つまりこれは思考感情なんです。

だったら

そうですこの「孤独感」「分離感」は無くせるわけです。。なぜならばこれは「マイストーリー感」が起こした「分離感」「孤独感」という現象だからです。マイストーリーがあるというのも「感覚」そこから生み出される「分離感」「孤独感」も感覚です。つまり全部これは幻想なのです。真実に目覚めれば、、マイストーリーが実は感覚でしかないことに気づきます。マイストーリーは実態ではなく感覚です。そこに気づきます。

悟り

悟りとは真実に目覚め誤解がなくなることです。「マイストーリーが実在としてある」これは誤解です。「マイストーリーは幻想としてある」これは真実です。「孤独」「分離」は実在としてある、、これは誤解です。孤独という感覚、分離という感覚、幻想だけはある、、これは真実です。「誤解という現象」が真実に目覚めこの世界から吹き飛んだ時「苦しみ」が消えます。

内側と外側???

我々はこの体の中を内側、この体の外を外側とします。体の中は自由自在にコントロールが効く場所。そして体の外側は一切コントロールが効かない場所。こう捉えて生きています。実際にはどうか????実は体の内側も何一つコントロールが効かずに暮らしています、しかしコントロールが効くという勘違いの思考が湧くことでそのようには認識されていません。外側は当然コントロールが効きません。内側も外側も実は全くコントロールが効いていないのです。

感覚

そしてこの体は五感があって一日中五感が起こります。味覚嗅覚聴覚視覚触覚が起こり続けます。エンドレスにこれは起こり続けます。朝起きて熟睡状態に入るまでこれが続くのです。五感がひたすらに続き、さらに内側、外側に全くコントロールが効かない現象(思考、感情、行動、全部)が起こり続けています。そして五感も現象と捉える時、、、朝起きて熟睡するまで実は現象しか起こっていません。

内側と外側の垣根が無くなる

おさらいします。内側も外側も(思考感情行動、その他)の現象がただ起こり続けます、これは一日中、さらの五感の感覚が朝起きて熟睡するまで続きます。これを全部現象とします。ただただ現象が起こり続けています。その時体の内側外側の垣根はありません。つまりただ現象だけが熟睡時以外にあるだけなんです。これが死ぬまで続くだけです。

分離

分離がないとはまさにこのことです、、ただ現象だけが実は起こっているんです。五感という現象、思考という現象、感情という現象、行動という現象、、これが起こり続けているだけです。分離感(五感、思考)はあっても分離はありません。孤独感あっても孤独はないのです。色(現象)の中で、、内側、外側という思考(現象)が現れ、孤独感という現象、分離感という現象を認識しているだけだったんです。

悟り

悟りとは「この世界は実はただ現象が起こっているだけだった」という気づくことです。ただ現象が起こっているだけで、この世界も視覚という現象であるし、この世界があるというのも思考という現象の一つです、どこまでいっても現象しか存在しません。これを空即是色と呼びます。色とは(五感、思考、感情)であり、、これ以外が何も生み出されていないのです。だからこれをもって「何もない」という表現もあります。色という現象、幻想、幻しか起こっていないからです。ですが現象は確実に起こっていますから「ない」といっても確実に「ある」のです。これは言葉遊びです。

現実より思考???

思考辞めれない????

一日中思考しちゃってこの思考ってどうやったら止めれるんでしょうか?????無理です、だって現実に浸るのに飽きているから思考にハマっているのですから。現実が苦しいから思考に逃げているにも関わらずその思考には飽きないということから思考が止まらないのです。つまり思考は苦しかろうと楽しんでいるのです。本当に思考に飽きたならば思考を止めます。解決方法はたった一つ、現実に浸ることを楽しめるようになることです。

なぜ????現実が楽しくないのか?????

いつから我々は現実に飽き飽きしたのでしょうか????ただ散歩するのがなぜ退屈極まりないのでしょうか????なぜ自然に触れるだけでは退屈になってしまったのでしょうか????なぜ????それは「この世界には自分という天涯孤独な存在」が居てその存在が「存在以外のこの外部環境」を生き抜かなくてはならない、、と信じたからです。その瞬間から環境は仲間ではなく敵になったのです。だからこれは感動の対象ではなく敵になったのです。

本当は

本当は本当は「外部環境は仲間」です。外部環境も内部環境も完全自動で起き上がる現象です。外部環境に内部環境が反応し内部環境に外部環境が反応をするというラリーをただ延々にするのです。外部環境は敵ではなくラリーの仲間なんです。内部環境(私)は外部環境に対してどう反応するかを決めることが一切できません。外部環境も内部環境(私)に対してどう反応するか一切決めることができません。死ぬまでこのラリーが続くのです。

だからって楽しいのか????

その反応が私にとって楽しいということではなく、、反応しか起こり得ない、、つまり敵でもなんでもなく、、ずっとこの現象が起こり続け死ぬということです。何も手を加えることもできずただ今まで生かされてきました、勘違いの思考も湧き続けていましたがそれも自動で起こったのです。その真実に目覚めた時外部環境はもはや敵ではなく仲間になるのです。その時、、、真の安らぎが流れます。もう倒すべき敵でもサバイブする敵でもないのです。

マジック

見えるし感じる

マジックって何も意織しなければ簡単に簡単に騙されますよね!!!!!!プロのマジシャンにかかれば簡単に簡単に騙されるんです。そしてこの世界も完全にそうなっています。鼻歌の選曲も、朝マックのメニュー選択も、発言の全ても、会議のプレゼンも、パートナー選びも、全部「自分」が決めたと思い込んでいます。これマジックです。プロのマジシャンみたいに簡単に騙されています。全部勝手に起こっているんです、種明かしすれば。だからこれまでの人生を後悔しないでください、そして未来に不安を感じないでください、、何もかもが勝手に起こっていくのです。

どうしよう????

多くの方は休みの日に行く「ランチ」一つにしても時間をゆっくりかけて下調べして後悔がないように後悔がないように動きます。ですがですが、、、、何に一つ自分では決められないのです、だったら後悔のしようがない。。よって「後悔しないための準備」はどう考えても無駄、、となります。「後悔はできない」のです。構造的に自分は決めることは不可能です。。これまで散々言われてきた言葉「なんでそれをやったの????」は嘘です、完全にマジシャンによって騙されてきたんです。

自分が決めようが決めまいが「美味しいランチ」を食べるための下調べは良いのでは?????

勿論です、、準備=無駄では全くない。。ただしただし、、「自分が決めていない」という新しい真実に目覚めた時、、、選択する動機が変わるんです。「前回は失敗したなー、前々回みたいな店だったら悔しいなー、なんか最近の私失敗多くない?????」という心の声が変わっていきます。実は実は決断について自己評価が絡んでいるわけです。だから準備の内容が変わってきます、準備が苦しくないわけです。

悟り

悟りとは「マジックの種明かし」です。問答無用でマジックを種明かしします。どのように見えようと感じよと「真実は一つ」ですから、、そこに立ち返ります。多くの方は真実を頭で直ぐに理解して「この世界に応用」しようとしますが、、、真実は「この世界の見え方そのもの」を変えてしまうので、、今の延長線上の人生は終わるのです。だから応用とか活用とかという発想自体が消えます。「1+1=10」が真実だという理解が突然起こった時これまで覚えた数学が崩れます。真実とはそのようなものです。

時給1200円ホールスタッフ募集

集まる

あなたが店のオーナーとしましょう、、バイトが必要になった。。ではバイトを募集します。「時給500円」誰も反応がない「時給1000円」反応ない「時給1500円」五人反応あり「時給5000円」30人反応あり「時給10000円」何するんですか????とメッセージ反応多数。このような反応を見て「当たり前」と感じるかもしれません、、この反応こそが、、、勝手に起こるのです。「個人の意思」ではなく勝手に起こります。

時給一万円

バイト募集の要項で時給10000万円と記載されていれば「え?????」が起こりますよね「何????」と。。。。この反応「自分」が起こしましたか????勝手に勝手に起こったんです。やってみようかな!!!が勝手に起こり、、やる!!!が起こる。。。。。つまり全部反射です。でも実際バイトが始まると「自分が決めたんだよね」という実感に変わっています。マジックです。全反応全反射を「自分」がやったに書き換えられていきます。

湧き上がる

湧き上がる思考感情を「ただ勝手に湧くんだ」という新しい認識が起こりますと、、思考感情との付き合い方が変わっていきます。湧いてくる思考感情に対し深刻に捉えることがなくなります。「私の思考感情」ではなくただ湧いてくる「思考感情」です。自然現象のようにそれと向き合います。さらに行動も同じ、、行動もただの自動反射ですから「あ、そうなったんだ」で終わりです。

悟り

悟りとは「全く新しい認識の取得」です。マジックと同じで見方が変わると経験が変わります。『「真っ二つに体が割れるマジック経験」を積むか、、「二人の人間がただ離れるだけ」という経験を積むか』は見方に左右されます。悟りとは真実の視座に立った時に「本当に何も起きていないんだ」が起こることです。真実の視座に立ったっ時に「全部あるがままだ」が起こります。世界は最初から平和でこれからも平和なんだな、、が起こります。

新時代

これからは

テクノロジーのハイテク化が進み、IT、AIが飛躍的に我々の生活を向上させる。その時我々はどう生きるのか?????大丈夫です、これまでも勝手に生かされ勝手に死んできたように、、これからも勝手に生かされ死んでいきます。何もかも自動運転、自動反射で決まっていきます。だから何も心配せず暮らしてください。「働き方が激変し会社は無くなって個人の時代になりますよ!!」どうぞどうぞやっちゃってください、、勝手に順応が起こっていきます。

手放さない

小学生でもわかるんです。全ての決断において「自我」は何もしていないのです。お箸を持つという動きには「手」の動きが必要になり「手」の動きを起こすには「腕」の動きが必要になり「腕」を動かすには「肩甲骨」の動きが必要になり「肩甲骨」の動きを起こすには「脳」の動きが必要になる「脳」の動きを起こすには「自分」とい動きが必要になり「自分」の動きを起こすには「何か」が必要になり「何か」を動かすには「さらなる何か」が必要になる、、、つまりこの世界では「初動の動き」が存在できないのです。「ここから」は不可能なわけです。つまり初動請負人「自分」は嘘です。

だから

あなたが絶大な信頼を置いている「自分」「自我」「エゴ」とやらは何もしていなかったのです。あまりにも明確に「自分が決めた」感があるために自我エゴは長期政権を維持してきましたが、、単純明快に不可能なんです。だからテクノロジー、IT、AIによる「新時代」が来ようとも我々は完全な受け身です。完全な受け身の中でただ「順応」が起こるのです。

悟り

TVをつければ「新しい時代にあなたはどう生きる????」みたいな煽りが多いでしょう。。。どう生きるかって言われても「決定権者」じゃないんだから「私」に言われても、、、、です。決めさせてくれるならば決めますけど!!!!!です。つまりつまり何もどうせ決めれないのだから「煽らないでください」です。これほどハイテク化の波が来ても「自我」を手放さない人間業界、、重要なことはこれです。

能力???

自由意志がないのに???

能力を伸ばしましょう、これからの時代はこんな能力、あんな能力が必要になります。?????ですがですがそれを伸ばすことを決めることができる「自我」が存在しません。何かを決定することができる「決定権者」自我が存在しないのです。自我は「感じる」ことができます、自我の存在は「感じる」ことはできます。ですが構造上「決定権者」にはなり得ないのです。

じゃあどうやって生き延びていけばいいのか????

この体の中に自分の能力を高めることを決める「決定権者」が居ないのならばどうやって生き延びればいいのですか?????大丈夫です。全員が全員そうなんです、だから能力は全部偶然身についたわけです。全能力は偶然です、、だから何も気にせず赴くままに能力を身につけていけばいいのです。何かが足りない何かが必要と嘆くよりも俯瞰する達観するのです。何一つ能動的に身につける必要はない、赴くままに身につけばいいということです。

努力が必要ない?????

というよりも努力するかしないかを決める決定権者「自我」が存在しないのです。自我とは「感じられる」のみの存在です。だから努力も勝手に起こり努力しないも勝手に起こるのです。隣人のお子さんが運動を努力するかしないかを「あなた」が決めることができないように「この体」に起こる努力も「あなた」は決めることができないのです。

悟り

悟りとは「能力」「努力」を否定することではなく、、それを決める「決定権者」はこの世界には居ませんよ、という話です。世の中の「努力」「能力」はまるで自然現象のように誰かに身につくのです、そこには努力も起こるでしょう、、、、ですが「決定権者」は居ないのです。私もあの人みたいな「能力」が欲しい。でもその私は身につけるかどうかの決断を起こせません。そのことを寂しいと捉えるか気楽と捉えるか?????どっちにしても気楽、安堵、愛が湧いてきちゃいます。