能力???

自由意志がないのに???

能力を伸ばしましょう、これからの時代はこんな能力、あんな能力が必要になります。?????ですがですがそれを伸ばすことを決めることができる「自我」が存在しません。何かを決定することができる「決定権者」自我が存在しないのです。自我は「感じる」ことができます、自我の存在は「感じる」ことはできます。ですが構造上「決定権者」にはなり得ないのです。

じゃあどうやって生き延びていけばいいのか????

この体の中に自分の能力を高めることを決める「決定権者」が居ないのならばどうやって生き延びればいいのですか?????大丈夫です。全員が全員そうなんです、だから能力は全部偶然身についたわけです。全能力は偶然です、、だから何も気にせず赴くままに能力を身につけていけばいいのです。何かが足りない何かが必要と嘆くよりも俯瞰する達観するのです。何一つ能動的に身につける必要はない、赴くままに身につけばいいということです。

努力が必要ない?????

というよりも努力するかしないかを決める決定権者「自我」が存在しないのです。自我とは「感じられる」のみの存在です。だから努力も勝手に起こり努力しないも勝手に起こるのです。隣人のお子さんが運動を努力するかしないかを「あなた」が決めることができないように「この体」に起こる努力も「あなた」は決めることができないのです。

悟り

悟りとは「能力」「努力」を否定することではなく、、それを決める「決定権者」はこの世界には居ませんよ、という話です。世の中の「努力」「能力」はまるで自然現象のように誰かに身につくのです、そこには努力も起こるでしょう、、、、ですが「決定権者」は居ないのです。私もあの人みたいな「能力」が欲しい。でもその私は身につけるかどうかの決断を起こせません。そのことを寂しいと捉えるか気楽と捉えるか?????どっちにしても気楽、安堵、愛が湧いてきちゃいます。

(Visited 5 times, 1 visits today)