本当の豊かさ

高得点

多くの方の豊かさとは「マリオがコインをいっぱい集める」ことだと思っています。マリオが「コインを集めまくり超リッチになった」状態を目指します。いやいやマリオがリッチになっても全然面白くないですけど!!!!そうです、、全く面白くないのです、、ですから我々は全く面白くない人生を歩んでいるんです。??????マリオがリッチになるのは面白くないことを理解していてなぜ「人間はリッチになると面白い」と思えるんでしょうか?????謎です。

大大大勘違い

マリオをプレイする際に一番重要なこと「死んでも問題がない」これです。これしかゲームの醍醐味ってないのです。「ゲーム=楽しい」のはマリオが死んでも全く問題ないからです。これだけなんです、この世界とマリオゲームの違いは。「マリオがリッチになれるからゲームって楽しいよね!!!!」嘘です、、大嘘です。この人生も全く同じ、、リッチになれれば幸福!!って嘘です、大嘘です。強がりでは??????なってみれば分かります、実際に高得点、高収入になっちゃえば分かります。

「死んでも大丈夫」を思い出す

一番大切なことはここなんです、「マリオが死んでも問題がない」これぞゲームの醍醐味であり、、この人生も全く同じ「この体が死んでも問題がない」ここを腹の底から思い出すことなのです。ここでいう問題がないというのは「体を粗末にしても問題ない!!!!」とはまるで違います。もっと深い深い意味での「問題ない」です。

何も決めてなかった

「自由意思がない」これは人類にとって「最も聞きたくない内容」の一つです。それこそが我々の唯一の特権「自由意志」これがないんです!!!!は死刑宣告と同じレベルのショックです。ですがこれを受け入れる、これを完全に受け入れますと「人生」の重みがなくなります。だって何も決めていないのならば「失敗」「成功」って嘘ですよね??????「ないじゃん!!!!!」になりませんか?????そうです、ないんです、成功失敗って。

だから

マジのマジの「どうでもいい!!!!!!」が起こります。マジの「どうでもいい!!!」は卑屈な方じゃないです。「どうにもできない!!!!!」ということの完全理解です。完全完璧だった、、、という理解です。だからもう「私の選択」に苦しまなくていいのです。「選択という言葉」は存在しなかったのです、この世界には。「選択する」というのは幻想です、幻です、、、幻としてちゃんとあるんです。

悟りたいという欲求

起こらない

基本的に「悟りたい」という欲求は起こりません。「ノンデュアリティを体現したい」という欲求これが起こりません。ですからこの欲求が起こっている時点で登山9号目です。この欲求は簡単には起こらないのです。悟りに関心がありまして、、ほぼほぼ聞かないのです。苦しいから「悟りに興味が!」は欲求としては弱い、、あらゆることを成し遂げてきたがもうこの先目指すものはないし、、、、その時「悟りへの欲求」が起こります。

起こるだけで奇跡

悟りへの欲求は起こるだけで奇跡です。人間から起こる欲求としてこの欲は起こりにくい、、だからTVを観ていてもCMでこれに関するものがない、あるわけがない。。となるのです。つまりこの欲求が起こっただけで奇跡です。半端なく奇跡です。そのことを喜んでいいぐらいです。何としても世界から貧困を無くしたい!!!この欲求が芽生えている時点で奇跡なんです。

神は見えなくていい

見えてもいい

祈りに祈っていたら神が現れたんです!!!!龍神がある日突然現れて!!!観音様が突然現れて道を指し示してくれたんです。なんでも起こり得ます、ここは幻が現れては消える場所ですから。幻想が現れては消えるこの場所に不可能はありません、幻想ゆえに。霊媒師に観てもらうと「後ろに天照大神がついているといつも言われます」そうでしょうそうでしょう、、ここは幻が現れては消える場所ですから何でも現れます。それでいいのです。

だがしかし

その全ては幻です、その神様の全ては幻です。100体の神様がついていてもそれが幻です。そしてその神様を毎日見ることができてもそれは幻です。しっかりと明確に見えても幻です。とんでもなく守られているという実感が起こってもそれも幻です。10人の霊媒師に天照大神が守っていると言ってもらってもそれが幻です。その霊媒師も幻です。ですが実感は100%起こります。

関心がなくなる

どのような色鮮やかな神様が見えても幻、どんなに神々しい女神が見えても幻、香りがしようと熱を感じてもそれも幻です。この世界は幻こそが五感で認識される世界です。だから神様は見えてもいいし見えなくてもいい、全部が幻だからです。そして何もかもが幻であるという認識が起こりますと、関心が薄れ、、現れ出なくなります。

真実は逃げない

どこにも

真実は常に常にここにあります。真実は生まれて死ぬまで常に常にここにあります。我々は真実から逃げられたことは一度もなく常に真実というカゴの中に居るのです。真実というカゴの中から出ることは不可能であり全ては真実の中、そして真実の現れです。だから今究極に不幸であってもそれも真実の中です。なぜ真実の中で不幸になれるのか?????真実とは関係なく「不幸になれる存在」は存在しません。ここは真実であり真実以外になれる存在は存在しないのです。

では

なぜ真実の中で不幸という感情が起こりえるのか?????ここ最重要です。真実の中で不幸という感情は起こってしまっていいのでしょうか?????起こっていいのです、実際に起こっていますから。不幸という感情は良くないというのは思考です。不幸は完全に起こっていいのです。不幸という感情は真実の中で完全に披露されたのです。悲しいも不幸も辛いもしんどいも真実の中で常に常に披露されます。

不幸が起こるメカニズムを知る

我々は真実のカゴの中から一度も出たことがなく、よって今も常に真実の中に居ます。居ますといっても真実から離れた独立した存在は存在しえないので我々自身が真実そのものなのです。ですがその中で私は真実は違った独立した存在であるという思考は起こることはできます。この思考が起こった時だけ「違和感」「分離感」という感情が起こります。ただこれだけです。「私は真実とは異なった独立分離した存在である」この思考が起こった時だけ「違和感」が生まれます。そして「真実とは異なった独立分離した存在である私は真実を見つけないといけない」という思考が生まれた時だけ「違和感」が絶え間なく続くのです。

違和感

違和感とは幻です、この幻は「真実とは異なった思考の内容」が認識された時に起こり認識されます、幻として。違和感、苦しみとは、、、真実ではない内容の思考が認識された時に起こる幻想です。幻想ではありますがその幻想はしっかりと認識されます。違和感という幻想は今起こっているならば「思考」が起こったのです。ではどうしたらこの違和感、苦しみを排除できるか?????真実ではない内容の思考が起こらなければいいのです。そのためには真実に触れその起こりを止めます。

ドミノが倒れる

腑に落ちる

全てが幻想であることを本当の意味で理解が起こりますと、、ドミノが倒れます。ドミノがバコッと音を立てて倒れ始めます。というよりも全部の辻褄が合ってしまうのです。全辻褄です。自分が居ない、全ては一つ、時間も空間もない、自分が居る、全てはバラバラ、時間も空間もある、、、全部が嘘じゃないことが分かってしまうのです。どう嘘じゃないか???????この幻想は実感できるということから実感できる人にはこの幻想は実在だということです。

分離も孤独も不幸も

全ネガティブな感情は幻想として感じることができます。全思考、ありえないほど悲惨な思考すらも幻想として感じることができます。全行動、ありえないような卑劣な行動も幻想として認識できてしまうのです。全ては幻想だから何でも起こるのです。だから分離は絶対にないという実感も分離は絶対にあるという実感も起こります。幻の出現によって全部起こるわけです。見かけ上の覚者が伝える内容が全く異なってしまうのも、、この幻想によってです。

あるけどない

こういう表現になってしまいます。幻想としては100%ある、、ですが幻想だから本当はない。これは究極のパラドックスなんです。ですが事実だからしょうがないのです。幻想として100%実在する世界、、これが大前提なんです。この大前提の中にこの体が生まれ落ち、この大前提ゆえにあらゆる勘違いが起こり、、勘違い人生を歩んでこれたのです。とんでもないパラドックスという土台の上に、、乗っかったこの体に、、勘違いに勘違いを重ねるという現象が起こりました。

「苦しい」を感じれなくする

なぜ苦しいのか??????

多くの方がなぜ「苦しい」を感じ「孤独」を感じているのか?????それはこの世界をこの物質世界が100%存在すると感じているからです。100%の実感でこの物理世界があると信じています。なぜ?????なぜ信じれるのか????それはこの五感です、この五感こそがこの世界の存在を実感しているからです。だからこの世界の中でこの私はこの体を守りきらなくてはならない!!!!!という重責を背負ったのです。だから苦しい、しんどい、やっかい、、、です。

それ嘘だったんです、、この世界は100%感じることができる「幻想」です。100%感じることができるから「実在」ではないんです。100%感じることができる幻としての実在です。この音もこの冷たさもこの重力という実感も、、この光の眩しさも、、「感じる」ことができる幻なのです。だからこの体が何かの事故で死んでも幻想の「この体が消えた」だけです。勿論「意識」も消えますが、、現象、幻想としての「意識」が消えるだけで、、、この体とセットの意識が消えるだけで「意識」自体は絶対に絶対に無くならないのです。なぜか?????幻想が現れるところ「意識」が芽生えるからです。そしてこの現象、幻想、幻影、幻は永遠です。

永遠

なぜこの幻、この幻影、この投影が永遠と言い切れるのか???????それは「何の投影」かが分かれば納得なんです。この幻、幻影、投影は何の投影ですか??????見える全現象感じる全現象ではない「存在」です。この地球で絶対に現れ出ない「存在」です。非光、非熱、非香、非物質、非時間、非空間、非人間、非物質、非思考、非感情、非行動が「存在」です。だからこの「存在」の投影であるこの世界は永遠なんです。この「意識」も永遠です。

大切なこと

感情

期末テストが0点でショックで寝込んでしまう人も居れば全く問題ないとケロっとする人がいます。「あなたはニューヨークにビルを持っている」と両親から嘘を吹き込まれた子供は「0点だからって何も問題はない」と感じます。つまりこの世界で起こる現象は「どうにでも」感じることができるのです。悟りとは真実に目覚めることで「苦しい」という感情が湧かなくなることです。

親が死ぬ

そんなこと言ったって「親が死ねば」悲しいですよね?????そりゃそうです!!!!めちゃくちゃ悲しいです、半端なく悲しいです、死ぬほど悲しいです。。。。。ですがそれが「苦しいのない状態」で悲しいのです、悲しいどころじゃない、、でも苦しくない。。です。持ち家が地震で崩壊、、悲しい!!!!!半端なく悲しい!!!!!でもそれが苦しみの中でじゃないんです。

マリオ

あと一息、あと一息でラスボス「クッパ」を倒し「ピーチ姫」を救える!!!!!!最後の最後に手元が狂って「死亡」、、、、、、悲しい!!!!!!!!でも笑顔なんです。笑顔の中で「悲しい!!!!!!」が起こります。これが全部幻想であるという実感の中で「苦しい!!!!!!」って逆に思えない、、感じれないのです。マリオのプレイ中に「苦しくて苦しくて病気になりました」って聞いたことがない。

今ここで何が起こっている????

これが幻であると気づいた時「とんでもない事実」に驚愕します。ファミレスに行きます、、、よーくこの幻を観察します。常に常に常に幻は動いています。店員さんが動き、客が動く、ある客が立ち上がり、ある客が座る、ある客がお会計に行き、ある客が入店してくる、、、この多様性。一斉に10人の客が入店する、、が起こらない、、一斉に全客が帰る、、が起こらない。。。一斉に全客がトイレに走るが起こらない。。。絶妙過ぎるのです。絶妙としか言いようがない、、だから我々はこれを幻ではなく「実在」と信じているのです。違うのです、幻だからこれほどまでに完璧なのです。そして幻だから生まれて死ぬまでこれを幻と思えないのです。これは究極のパラドックスです。

「一時停止している幻」が居ない

宇宙のミスで「完全一時停止」しちゃった幻が起こらない、、あれあの人「一時停止」してるぞ!!!!!が起こらないのです。完璧です、完成です、、完璧に多少動いている。。。。だからこれを幻と見抜けないのです。生まれて死ぬまで一回も宇宙のミスが起こらずに死にます。お化けが見えた、宇宙人が見えた、何でも起こります、だって幻ですから。でも完全な一時停止「あれ????これただの画像じゃん!!!!」は起こらない。。この世界が「完全完璧」の投影、幻影、幻である証拠です。

全幻

全幻には宿命があります、それが現れた場合いずれは消えるということです。この幻の現れは現れたら最後消える運命にあるのです。私は実は1000年前から生きています、、が起こらない。。現れたら消えるのです。この消えるのは「悲しい」ことでもない。現れたら消えるのです。だからこの体も必ずいつかは消えるでしょう。ですが幻という現れ幻として消えるだけです。

幻としての「自分」

感じる

この世界は全部幻です。100%幻です。ですがこの幻は感じることができるのです。もしも幻が誰からも感じられない時その幻は「存在」しません。幻とは「感じられて」初めて幻として存在します。幻は感じられないといけないのです。目の前のグラスは感じられるからそこに幻として存在しています。「私」も周囲から感じられることができるから「幻」として実在しています。だから「私」は幻として100%存在するのです。

周囲は星が地球の周りを

周囲の人は「星が地球の周りを回っている」と感じ、、、ガリレオは地球が星の周りを回っていると感じました。感じるには違いがあっていいのです。私は「私」の存在を感じないが起こってもいいのです。どこを探しても「私」が居ないんです!!!それ悟りです。周囲の人々の体の中に「自我」を全く感じないのです、はいそれ悟りです。自我は幻ですから「感じる」人も居れば「感じない」人も居ていいのです。

何度も言います

この世界の全ては幻なので、、感じても感じなくてもいいのです。全ての幻を全部感じています、、はないです。今ブラジルという幻を感じることは日本という幻の中ではできません。だから幻とは全部その場所でただ起こっているのが全てです。部屋に一日中居れば「部屋」という幻だけが見えたんです。私という幻も感じれても感じれなくてもどっちでもいいのです。「感じないようにしよう」は不可能です。「私を感じない」が起こることはあります。私も幻ですから当然です。

幻の「実感」と「実在」

幻はあるし感じる

プールで泳ぎます、全身を冷たい水の感覚が起こります、水圧を感じます、潜れば直ぐに息が苦しくなります、全身を「冷たい」が襲います。フワフワを感じます。感じまくるのです幻を。。。ですが実は「感じる」以外は何も起こっていません。100%「感じる」は起こりまくりですが「感じる」以外は何も起こっていません。我々は「水」という幻を感じまくりますし「空気」という幻想を感じまくるのです。そして「感じる」以外が何も起こっていないというこの事実がこれが「幻」の証拠です。

水という幻は100%ある

そうです、、水は100%幻として存在するのです。この「冷たい」という感覚が嵐のように起こるのですからあるに決まっています。ですがそれでも「感じる」しか起こっていないのだから水は幻なのです。水は幻として100%感じることができる実在です。幻として実在するのです。この世界は100%幻として何でも感じることができる世界なんです。

「感じる」は異なる

お化けを「感じる」人も居れば「感じない」人も居ます。「ピカソ」の偉大さを感じる人も居れば感じない人もいます。排気ガスの香りを感じる人も居れば感じない人も居ます。そうですこの世界の幻は「感じる」とセットなんです。「感じれること」=「幻として実在」です。全部が幻です、そして「感じる」は全人類80億人全員が異なります。

私を感じる人も居れば感じない人も居る

自我が抜け落ちるとは「私」という幻を感じる人と感じない人が居るということです。明日から「自我」を感じないようにしよう!!!これは不可能です。全部我々は受け身です。突然「自我」を感じないが起こる可能性がある、、ただこれだけです。天動説時代は全員が地球の周りを星が回っていると「実感」していたのです。地動説になり地球が自転していると「実感」しています。幻の動きが変わったのです。「私」も100%幻なので感じる人と感じない人が居るのです。

悟り

悟りとは『幻としての「私」を感じることができない』が起こることです。「私」という幻が消えるんです。お化けという幻を見えなくなる時霊媒師は霊媒師ではなくなります。「私」という幻を「実感」できなくなった時「悟り」「目覚め」「解放」と呼ばれます。呼び方は何でも良いのです。