私って短気だから

なんで気付けるの?????

私ってホラ短気だからさ!!!あなたも知ってるでしょ??????いやいや、、なぜ自分のことを自分で短気と知ることができるのでしょうか??????子供は自分の性格を自覚するということができません。ある時俺って短気かも????という自覚が突然起こります。間違いない俺って短気だ。。自分のことを俯瞰する視点が突然生まれるのです。誰が「自分」を観察したんでしょうか?????誰ですか????俯瞰したのは・・・

俯瞰だけが起こる

人間業界では自身を俯瞰できることを「大人」と呼びます。つまり自分で自分を俯瞰できるのだから大したもの、、と言います。ですがこのような超能力は人間には不可能です。実はこれ自分を自分で俯瞰したのではなく、、俯瞰だけが起こったのです。この体の活動を「俯瞰する」だけが起こりました。つまり私は私が思っている自分だけじゃないかもしれない、、という視点が起こったのです。これを自覚と呼びます。自ら覚める、覚るです。

私ってこうでああで

俯瞰した視点を私が持ったのではありません。俯瞰した視点だけが起こったのです。どこに????どこにじゃないです。。。俯瞰だけが起こりました。。。。それを人間業界は「私が俯瞰した」と勘違いしますが実は違うんです。するとどなるか?????自分と「自分以外」がハッキリと生まれます。ですが「自分以外」の視点の時があるのならば「自分」って何????です。自分じゃない自分が存在するとしたら自分って何なの????です。そうやって自分が崩れていきます。

後悔後悔後悔

後悔って完全に罠です。気をつけなくてはいけません。もっとこうしとけば!!!!何千回何万回このような思いが湧いてきたでしょうか?????この後悔の思いが「後悔」を生み出しています。ですが実際には人間には自由意志がないので「後悔」っておかしいのです、おかしな思考が湧いています。何千回何万回これをやれば気が済むのでしょうか?????

ストーリー

後悔は人生物語という夢を維持する大きな要素ですから「後悔」が消えていきますと「人生物語」という思考が湧いてこなくなっていきます。人生物語というのは後悔と一緒で思考です。人生物語という現象自体はないのです。現象の中に「人生物語」という思考が現れそれが解釈された時だけ「苦しみ」が起こります。「後悔」同様本来は起こることは「ミス」です。自由意志がないから「後悔」は「エラー」です、起こってはいけないのです。後悔が起こるから「人生物語」が起こる、、全部エラー、起こってはいけないのです。

比較比較比較

一日中やってませんか?????

学歴、容姿、家柄、人格、ファッション、、、、人は一日中実は比較比較比較をしています。表面上はしていないように見えても、、、ずっとやってますよね。。。グルナビ、食べログ、エアビー、、、全部評価サイトですよ、流行ってんの。なぜ?????大好きなんです、他人の評価って、自分と他人の評価、他人同士の評価、お店同士の評価。。。

自由意思

人には自由意思があって、、、、だから行動には結果が伴い、、その結果を比較して楽しむ。。。ところが、、、比較比較ばかりしていると「プレッシャー」感じませんか????そうです、、他人を評価比較をすれば同時に自分もそこに参加しています。そうすると怖いが出てくる、、参加できない、、傍観者でいい。。。評価されないように無難無難無難な人生を選ぼう!!!が起こります。

意味なし

比較も勝手に起こりますから比較が悪いとかじゃありません。ですが比較をする前提の認識が間違っています。自由意志はありません、ですから全員が勝手にそういう行動をさせられています。勉強、運動、ファッション、絵画、音楽、無趣味、無感動、無気力、、、全部勝手にそうさせられています。だから比較の奥にその大前提を忘れてはいけません。無駄な詮索、無駄な判断、無駄な評価が多くなります。真実はたった一つでありそこから離れると「苦しい」が生まれます。

結果

エゴ社会

結果とは「認識不足」の世界で重宝されるファクターです。綺麗事はいいけど結果はでたんですか?????御託を並べるのは結構ですが結果はでてます????ですよね。「自己責任、他己責任」があると信じている世界の中では「結果」こそ王様、キング、神です。ですが真実の理解は結果主義を一掃します。「結果って出る時もあれば出ない時もある、、そしてそれをコントロールできる誰かは居ません」終わりです。この大前提で「結果」を重んじるって不可能です。

全てが結果

結果を出すために「努力、勤勉」が最重要ですよね!!!!!そうかもしれません、ですがその努力勤勉を個人が選んですることはできません。。。個人は何もかも勝手に努力し勤勉家になうこともあれば勝手に怠惰、無気力になることもあります、、、その結果として結果がでるのです。つまりプロセスも完全結果です、、選べないのですから。

結果、結果、結果

TVを観ていたら急にサッカーに目覚め、、、、懸命に努力をし、、、プロになれたんです。。。その全てが勝手に勝手に起こります。つまり結果、結果、結果です。。。全部が結果です。結果以外がない全く。個人はここに何一つ関わっていません、、これって虚しいでしょうか????完全な解放です、、完全な解放の中でただお気楽な人生がスタートします。

人のせい

ノンデュアリティは頑張れない人の味方???

何も努力できない人々、何も積極性のない人にとって「ノンデュアリティ 」は救いの神ですよね????だって「何もかもが勝手に起こる」なのですから。違います、残念ながら、、他人のせいに全てをしている人々にとってノンデュアリティ は聞きたくない話なんです。なぜならば「自分も他人も誰もかもが自由意志なく勝手に活動する」を受け入れてしまったら「他人のせい」に一切できなくなるからです。他己責任時代の人間は全部を「他人のせい」で人生を乗り切っているのでノンデュアリティ は耳が痛いメッセージなのです。

ワイドショー

ワイドショーを観てください、、、政治家が悪い、役人が悪い、有名人が悪い、社長が悪い、、、、悪い悪いのオンパレードです。なぜ??????大好きなんです、、大好き過ぎて世界中の悪人を毎日毎日観て1日を過ごしています。つまり全部他人のせいにしたいのです。そこに「誰も悪くない、全部は勝手に起こっています」のノンデュアリティメッセージは邪魔です。だからノンデュアリティのメッセージは究極のメッセージです。

子供の世話したことあるんですか????

そんな悠長なこと言っていて子供の世話したことあります????一日中見張っていないと「悪さ」しかしませんよ!!!全く関係ありません、、その行為が勝手に起こったのですからそれを認識した上で「やっては駄目」を伝えればいいのです。ですが根底では「勝手に起こる」を認識します、、その時「迷い混乱はゼロ」です。そこからノイローゼにはなりません。

禁止事項

あっても

これはやってはいけない、人間が集まって生活する時このルールは必ず誕生します。人間が集まって「ルール」が出来るのは普通のことです。ですが、、これはまだ認識不足です。人間には自由意志が一切ないので行動をコントロールできる人は居ません。そしてルールも当然勝手に出来ます、自由意志がないので。ルールを破った人間が登場した時「なんて理性のない奴だ!!」は認識不足、それが起こったのみです。理性を管理できる誰かは存在しないのです。

本質を理解すると

ルールとはそれを破る人間を少なくすることは可能だが「破る人間を皆無にする」力はありません。結果的にそのルールによって減らすことは可能かもしれませんが皆無にする力はありません。ですから「破った人間の扱い」がとてもとても重要になるのです。そこに人間性、理性を持ち出すのは「真実から離れる」ことになります。どこまでいっても人間には自由意志はないのですから。

なんであの人は破っちゃったの???

子供はこのように親に聞きます、親の回答は「なんでんあだろうね、出来心かもね、〇〇ちゃんはしないように心がけようね」です。ですがこれが子供の中に「プレッシャー」を生み出すのです。なぜならば行動を管理できる自分は存在しないからです。「誰も何もコントロールはできないんだよ、だからルールを決めても破ってしまうことは当然あるよ」これが真の回答です。そしてルールを決めることも勝手に起こるからルールがわけではない。。。となるのです。

静寂とは????

音がしないこと???

静寂って何でしょうか????音がないこと????だとしたら、、悟って静かになるって「山に篭る」ことになります。違いますよね?????悟るとは喧騒の中に居て「静寂」を感じることです。勿論「感じる主体」は居ませんから「静寂」そのものがそこに漂い、静寂そのものになる感覚です。静寂を感じるのではなく「静寂」そのものになるのです。

なぜそんなことは可能なのか?????

それって感じる主体の私が居ないから「逆算すると」静寂を感じる誰かは居ない、、よって静寂そのものになる、、という意味でしょうか?????全く違います。全然違います。思考で考えて導きだし、よって「静寂そのものである」ではありません。真実に触れていくことで「私という存在」がいつしか消えてなくなり、、いつの間にか「静寂」になるのです。

そもそも

静寂そのものである本質から「ノイズ」が起こる原因は思考です。思考が湧くことで「ノイズ」が起こっていたのです。その思考こそが「真実を捉えようとした解釈」です。この解釈がエンドレスに続くことで「ノイズ」が生まれたのです。音はそもそも非音から起こるがゆえに音(非音)なのです。つまり音自体に静寂が含まれているのです。つまり余計な解釈が終わった時、、音そのものが静寂を含んでいたことに気づくのです。

行動を変えろ????

無理

真実から言ってしまえば「行動を変える!!!」は無理です。無理100%。なぜ????なぜならば行動を決める「自分」が居ない、存在しないからです実際には。行動を自由に決める自分不在でどうやって行動を決めるのか???行動を変えれるのか????です。だから行動至上主義は「完全破綻」します。そうではなく「行動を決める個人が居ない」ここから入ります。すると「上手く行動できなかった時の思考」が変わります。「なぜできなかったんだ???」「私ってダメ人間?????」という自己反省が起こらない、、起こるわけがない。。となります、、すると重くないので「毎日適当に何かやる」に変わるんです。

「こんなことを昨日はやったな」に変わる

他人事なんです、他人事のように、、見れるようになります。昨日の自分はこんなことをやったんだな、、です。「ピクニックに行こうと思っていたけど行かなかったな」で終わりです。「ジムに行こいうとしてたけど行かなかったな」で終わりです。究極の他人事、人ゴトです。

他人事は強い

他人事って強いんです、、、だって後悔が全くないのです。そして期待もない、、、なぜならば誰も決めれないから。さらに妬み嫉みもない、、なぜならば上手くいっているあの人は勝手にそうさせられているだけ!!!に変わる。どうしたって羨めない、、、勿論、、完全他人事を決め込めれば「身軽」になるから自分がそうなるかもしれないとい「ウキウキ」は起こるかもしれない。。。ですがもう今の時点で重い重いプレッシャーがないから大満足なんです。

マリオ

マリオをスタートする際に、、、7ステージ、8ステージの友人を見て羨ましいは起こっても、、悔しいとかムカつくって起こりませんよね????なぜって1ステージが楽しいからです。1ステージが楽しいならば2、3、4ステージを行く、先を行く友人に執着は生まれません。これが本当の行動が変わるポイントです。何の執着もなくゲームをやれる時「楽しい!!!」が生まれます。

ワクワクすることをすれば????

上手くいく?????

私はバシャール は大好きです。凄い方便だと思います。ですがバシャール の方便の弱点をお伝えします。とにかくワクワクすることを!!!そうすればドミノが倒れて、、上手くいきます。これバシャール 理論です。ですが最初の「ワクワク」って何????です。ワクワクすることって何なの????なんです。毎日毎日終電終電で働く方のワクワクって「お酒」ですよ。毎日毎日受験勉強の方のワクワクって「YOUTUBE」でしょ。で????それで何か動きますか????

仕事を辞めちゃって?????

仕事を辞めちゃって「ワクワク」に専念すれば上手くいくんです。。。ところが辞めた次の日から「電気代、ガス代、家賃、年金、、、」の請求書が届く度に「ワクワク」どころじゃない。。重い重い、、その状況で「歌、絵画、旅行、、」手が震えて足が震えてきますよ。。。。だって請求書は来るが収入がないのですから。だから逆なんです、、逆です、、、「責任を取れる決定権者が居なかった」この真実から入らないとダメなんです。

無責任

無責任から入るんです、成功者も失敗者も富裕層もそうでない人も、、全くそこに「責任者」が不在だということです。責任を取れる人がいないのだから「ワクワク」と思い切り活動を起こせるのです。もしも失敗してもどうせ「責任者」が居ないという真実を理解することで少し大胆になります。

バンジージャンプ

バンジージャンプって怖いですよね?????もしも大胆に飛び込むならば「簡単」セイフティーバンドを二重、三重、四重と重ねていくのです。他人よりも何層にもセイフティーバンドを重ねた時にどこかで「いやいやもう大丈夫だろ」が湧いてきます。これは悟りも同じ、、「自由意志がない」ことを何重にも何重にも理解を重ねていきますと「そりゃないわ!!!」になります。その時「ワクワク」を起こせます。

自己責任からの解放

他人のせい

多くの方は他人のせいにして世間を恨み世間を憂い社会を恨み社会を憂いて人生を終えます。世間話といえば「政府が悪い」「マスコミが悪い」「会社が悪い」の繰り返しです。いやいや世間とか社会とかとこの人生の充実感って実は全く関係なくて「自分次第でしょ」これに気づく人が現れます。変な話給料とか収入とか会社の業績とかと充実感ってあんまり関係ないんじゃないか、、、という気づきです。この気づきを早く得れる人は「自分」にのみ関心が行くようになります。

上手く行く

上手く行くんです、、周囲に使っていたパワーが完全に消え去りそのパワーの全てを自分に注ぎます。上手くいきます、だってパワーが分散しないから。結果が出ます、半端なくでます。ところが、、、エゴが芽生えます、、結果が出るにも関わらず「幸福」ではないからです。結果は出るしパワー不足にはならない、、、、でも「不幸」が終わらないのです。

自己責任も辞める

最後の最後、、自己責任を辞めてしまいます。自己責任って「この体の中に決定権者が居る」という大前提の概念です。こう決めると「パワー」を決断に注ぐことになります。後悔反省が多くなります。ですが本当は居ないのです、、、決定権者がこの体の中には居ないのです。だからこの自分がやった結果にも無関心でいいのです。無関心になるとパワーはただ結果に拘らない行動のみに注がれます。結果を一切気にしない行動になります。

ワクワク

ここまできてようやく「ワクワク」です。ワクワクしてきちゃうんです、だって責任を取れる人が居ないことが分かったからです。何をしても失敗しても成功しても責任を取れる人が居ないんですよ、最高なんです。だから結果的に何をしても「ワクワク」です。「ワクワクすると人生が上手くいく」というバシャールの教えは「方便」であり実は究極の無責任が「ワクワク」なんです。