この言葉を聞くまでは
ある男の子が玩具を壊したとしましょう。。。その時に周囲から「太郎ちゃんが玩具を壊しました」という声が上がります。「太郎ちゃんが玩具を踏んで壊しました」「やったのは太郎ちゃんです」この言葉を聞いた男の子は「太郎ちゃんが壊した」という概念を認識します。そこで初めて「太郎ちゃんが壊した」という意味を認識するのです。それまでは玩具を壊しても、、、何も起こらなかったのに「その言葉」を聞いて初めて「太郎ちゃんが壊した」が生まれたのです。
先生
先生から両親に話が行きます「実は今日太郎ちゃんが玩具を壊してしまいまして」これも男の子は認識します。両親が男の子に言います。「太郎ちゃん、玩具を壊しちゃだめよ」これも男の子は認識します。そしてついにその男の子の口から「太郎ちゃんが壊した」が現れます。その体を通じて「太郎ちゃんが玩具を壊した」が現れ始めます。
その時
その時初めてその体を通じて「太郎ちゃんが玩具を壊した」という言葉が現れ認識が起こります。周囲の声「太郎ちゃんが壊した」が太郎と呼ばれるその体に写りその体を通じて「太郎ちゃんが壊した」が起こったのです。「太郎ちゃんが壊した」という事実は実は一切ありません。「太郎ちゃんが壊したという概念」が周囲の体を通じて太郎と呼ばれる体に写ったのです。
真実になる
そして太郎と呼ばれる体から「太郎ちゃんが壊した」が起こると周囲は褒め称え「素晴らしい!!!この子は理解した」とそれが概念から真実になるのです。人間業界ではそうやって概念が真実にされます、、、ですが概念は概念ですから真実にはなりません。概念を真実と捉える概念が生まれただけです。この時「分離」ではなく「分離感」が生まれます。