あなたは誰だ??????

誰??????

この体のことです、、、これは体ですね????じゃあ体の中に居ることになっているあなたは誰ですか?????あなたはどこに居るんですか?????心の中ですか???頭の中ですか?????分かりません、、、、そうです、、分かるわけがないのです。なぜならば「私」とは「起こる思考」のことだからです。記憶喪失になった瞬間「私」は消えます、この世界から。つまり「私」とは記憶が作り出す「思考」のことです。

1万回

花子ちゃんと1万回呼ばれ続けた時この体の中に「花子ちゃん」が認識され、、、この体から自動運転で「花子ちゃん」という言葉が生まれるようになりました。。。この言葉が生まれた瞬間にそれは「認識」されることを記憶し、、、だから何度も「花子ちゃん」という思考が生まれるのです。するとまた認識される、、、認識されることを認識したから、、、また花子ちゃんという言葉が勝手に生まれ、、、認識が起こります。

玩具

おもちゃを見れば「はなこちゃんの」という言葉が勝手に湧くようになり、、、このおもちゃを他の子に取られれば「はなこちゃんの」と言いながら奪います。これが勝手に勝手に起こるのです。花子ちゃんという認識は言葉が生み出し、、その認識を認識する動きが起こり、、、何度も何度も「花子ちゃん」という言葉が頭の中、声として現れ出るようになっていきます。

この認識を「私」と呼ぶ

「わ・た・し」という言葉が「わ・た・し」という認識を起こし、、この認識を「わ・た・し」と思う思考が現れ、、、その思考(この認識こそ私だ)がそのままに認識されます。つまりつまり「私」とは「わ・た・し」という言葉のことだったのです。「わ・た・し」という言葉が生まれるから「私」という認識があるのです。そしてこの「わ・た・し」という言葉は勝手に勝手に湧いてきますから「私」という認識も勝手に勝手に湧き続けます。

分かったところで

それが分かったところで何かいいことあるんですか??????大有りです、、ありまくりです。。。。だって私って「居ない」ことが証明されちゃうんですから。私の正体って「わ・た・し」という「音」「言葉」だったんです。あなたとは誰ですか?????それは「言葉の認識」のことです。。。という回答聞いたことありますか??????ないですよね。。。。。

誰が幸福を手に入れるのか????

誰????

私に決まっているじゃないですか!!私ですよ!!!!その私って「この体は私だ」の私ですよね?????そうですよ、それしか居ないじゃないですか??????「この体は私だ」という言葉を1万回呼ばれ続け、この体から勝手に「この体は私だ」が起こり続けることで起こった「認識」のことを私と呼んでいるんですか?????もしもそうだとしたらその私って記憶が作り出した「思考による認識」のことですね?????

思考による認識

毎度毎度毎瞬毎瞬現れでる思考「この体は私」が認識され、、、、そのことを私と呼んでいるならば、、、その私とは「思考」のことですよね????????「思考」が幸福になるってできるんですか??????「これはコーヒーカップだ」という思考が幸福になるってどうやるんですか??????「この体は私」という思考が幸福になるってどうやるんですか???????つまりなれないんです。なぜならば私とは自然に起こる「思考」のことだからです。一万回呼ばれ続け、、勝手に勝手に湧き続けることになった「思考」を私と呼んでいるんです。

最初は呼ばれるだけだった

最初は最初はただ呼ばれるだけだったんだです「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」って呼ばれるだけだった、、、、、、ところがいつしかこの体から「「太郎ちゃん」、、、、、、「太郎ちゃん」、、、、、、、「太郎ちゃん」、、、、、、という言葉が出てきた、、この言葉の出現が認識を起こし、、、、この体の中に「太郎ちゃん」が生まれたんです。。体から自然に「太郎ちゃん」が生まれたんです。

死ぬまで

そこからは死ぬまでこれが続きます。「太郎ちゃん」は「私」になり「俺」になる「自分」になっていく。そして勝手に勝手にこの言葉が沸き起こる、湧き起こるようになった時「自我」です。自分という認識があるのだから「私」は居るのだ、となります。せすが実際には一万回の声かけ活動によって勝手に勝手にその言葉が自動起動しているだけです。その自動起動を「自我」と呼びます。

二元性の世界で

非二元を語る

非二元のメッセージは、、二元性が思考でしかないことを露わにします。ところがこのメッセージを誰にかに伝えると「二元性」の世界でこれを活用しようとします。「二元性」の世界はありませんよ!!!と伝えているのに、、二元性の世界でこれを捉えようとするのです。これではイタチごっこです。二元性の世界は「思考」が現れた瞬間に現れます。思考が現れなければ現れることすらできない。ですが「今ここ」は何も人間活動が起こらなくてもここにありありと存在します。

全ては一つ????

本当は全ては一つなんです、、このメッセージを誰かに届ければ、、、「実はそうなんですね」という回答になります。この回答が起こるということは勿論それを「実感」していないわけです。これらのメッセージを一万個集めたところで、、「遠い宇宙にはそんな星があるんですね」と同じ感覚「不思議の国のアリス」を思い描くだけです。

徹底的に感じていく

感じれるところから感じていきます。「サッカーのスパープレイ集」を一万回見ても全く上手くいかないように非二元も感じていくんです、非二元を感じまくっていきます。感じれるところから感じていきます。感じて感じて感じまくっていきますと「非二元のメッセージ」を聞いた時、、それを言いたかったんだ!!!!が起こります。確認です。感覚で掴んだ実感を「再確認」できるのです。

1万通り

非二元を確認していく道は一万通りあります。ここは無限の体験世界ですから無限通り用意されています。だからこれで合ってる????この方法ってどうなの?????なんて考えなくていい。。。ただ実感していきます。実感できることを実感し倒していきます。これを実感し倒したら次に何が実感できるんだろうか????のノリです。リフティング一万回できたら次は何ができるんだろうか????です。だから何も焦らずただ実感できるポイントを探していきます。

その認識が起こるから

なぜ「あなた」は「あなた」なんですか?????

鈴木さん!!!遠くからその声が聞こえた時「私のことだ!!」が起こります。記憶の中に「私は鈴木」という言葉がストックされ、、「鈴木」という言葉に対して「反応」が自動的に起こるようになったっ時「私は鈴木」という認識が自動で起こります。学校に行けば「鈴木」という言葉がクラスで発せられた瞬間記憶から「俺は鈴木」という言葉が現れ「認識」が起こるのです。そして「何?????」という反応が自動で起こります。

反応

親は子供に1万回「あなたは次郎くん」という呼びかけを行います。「あなたは次郎くん」「あなたは次郎くん」「あなたは次郎くん」「あなたは次郎くん」「あなたは次郎くん」「あなたは次郎くん」「あなたは次郎くん」「あなたは次郎くん」、、、、五千回ぐらい呼んだ頃「僕は次郎くん」が子供の体から発せられるようになります。洗脳認識終了です。その子供の体の中で勝手に「僕は次郎くん」が起こるようになればその認識が自動で起こり続けるので、、外で「次郎くん!!!!!!」という言葉が聞こえれば「僕は次郎くん」という言葉が勝手にその体で起こり「なーに?????」が勝手にその体から起こります。

なぜあなたが居るって言い切れるんですか??????

だってその認識があるからです。100%その認識があるからですよ!!!!その認識はどうしてあるんですか??????『親から一万回「あなたは太郎ちゃん」と呼ばれ続けそれが記憶されその言葉が自動的に現れ出るようになりその認識が起こるのです。』こう返答できる人は稀でしょう。記憶から勝手にこの認識が現れ出るようになった時ゴールです、自我のゴールです。

この認識が起こると

自我形成の認識が起こりますと、、、自我を盲信することが出来なくなります。自我とは形成されたものであって「実在していた」ものではないことがハッキリ分かります。「思い込みが激しい」とは記憶から勝手にその思考が激しく現れ出やすい人のことです。思考が現れでた瞬間そのままに認識が起こります。認識が起こるから「これは〇〇である」という再認識が起こるのです。

洗脳

洗脳とは

洗脳とは「言葉を利用し誤認識を起こさせる行為」です。言葉です、、言葉が必要なんです。動物が他の動物に洗脳をかける?????不可能です。人間だけが他の人間に洗脳を行えます。「あなたはニューヨークにビルを持っている」これを息子に一万回呼びかけば「僕はニューヨークにビルを持っている」と学校で話すようになります。「洗脳終了」です。え???????これだけ???????そうこれだけです。

あなたは太郎ちゃん

あなたは太郎ちゃん、この言葉を一万回子供の体に話かけると、、、、僕は太郎ちゃんと自ら話すようになります。これが洗脳です。。。。え????????私たちって洗脳されてるんですか???????勿論です。あなたは太郎ちゃん、、、、という言葉を1万回呼び続けなかったら「あなた」も「太郎ちゃん」も「あなたは太郎ちゃん」という認識もその体からは起こらないのです。。。。

記憶

人間だけが「記憶力」を強くもっているがゆえにこれが可能になりました。これはカップ、これはソファー、これは机、これはりんご、、、、これを1万回言い続けることで、、、、その「認識」が起こり、、、その体からこの言葉が自動で発せられるようになるのです。すると親は「太郎ちゃんはお利口」「太郎ちゃんはお利口」「太郎ちゃんはお利口」という言葉が一万回発せられ「太郎ちゃんはお利口」が認識されます。そしてその体から勝手に「太郎ちゃんはお利口」が湧き出るようになったら洗脳終了です。

このソファーはあなた

認識

3歳児に「このソファーは太郎ちゃんよ」と1万回連呼しますと、、「このソファーは太郎ちゃん」とその体から発せられるようになります。「このソファーは太郎ちゃんよ」「このソファーは太郎ちゃんよ」「このソファーは太郎ちゃんよ」「このソファーは太郎ちゃんよ」「このソファーは太郎ちゃんよ」「このソファーは太郎ちゃんよ」「このソファーは太郎ちゃんよ」この連打は、、いつか認識されその体から「このソファーは太郎ちゃん」が突然現れるようになるのです。これが自我です。過去の記憶から現れ出てしまう言葉です。この言葉を知らずして自我は存在しえません。

悪いことするとソファー捨てちゃうよ

その体から「このソファーは太郎ちゃん」という言葉が現れ出るようになったタイミングで「悪いことするとソファー捨てちゃうよ!!!」と言えば「嫌だ!!!!!!」がその体から湧き出てきます。「ヤメて!!!!」がその体から湧き出てきます。3歳児のその体からこの体も太郎ちゃん、このソファーも太郎ちゃんという言葉が現れ出るようになり「認識」が起こるのです。

自我とは

記憶をベースにした「私はこの体」という言葉の自動起動現象です。この言葉が自動起動されることで「私はこの体」が認識されることで、、、それに疑いが起こらなくなった状態=自我です。この世界は空即是色、、空から勝手に全部現れでますが「この体は私」という言葉が勝手に勝手に現れ出れば「その瞬間」「この体は私」は認識されます。だから「私はこの体」だ!!!!!が起こるんです。「私はこの体だ」という感覚があるから「私はこの体なんです」という認識が起こればもう安泰、、、あとは死ぬまでこの概念を維持できます。

迷える人々

「私はこの体」という概念の所有

何度も何度もこの言葉を聞かされることでそれが記憶化されこの言葉が頻繁に現れ出て「認識」されます。だからこの体は私なんだ!という負のスパイラルが始まるのです。認識が起こるからそれは真実だ!!が起こります。真実だから「私はこの体だ」が起こり、、「私はこの体だ」が起こることでそれが問答無用でそのままに「認識」されます。「認識」と「言葉」が相互に支え合うシステム「自我」です。

なぜあなたは居るって言い切れるんですか????

だってその認識が100%ありますから!!!!その認識は記憶が作り出した「私はこの体だ」という言葉が生むんですよ!!!!!え????????そうなの????「あなたはこの体よ」という言葉を連呼されそれが記憶化されその言葉が自動的に浮かび上がる時「自我」誕生です。「あなたは太郎」「あなたは太郎」「あなたは太郎」「あなたは太郎」「あなたは太郎」「あなたは太郎」が何万回続いた時「僕は太郎」が自発的にその体から湧き上がった瞬間この世界に「僕は太郎」という認識が起こるのです。

そこから太郎の人生が始まる

「あなたは太郎」「あなたは太郎」「あなたは太郎」「あなたは太郎」「あなたは太郎」「あなたは太郎」「あなたは太郎」「あなたは太郎」「あなたは太郎」この言葉を数万回も聞かされその言葉の認識が起こると「僕は太郎」という言葉が勝手にこの体から湧き出すようになりいつしか「僕の人生」という言葉が勝手に湧き出るようになります。その時この世界に初めて太郎の人生という「認識」が起こるのです。

そもそもはない

この体は太郎、これが太郎の人生、、、この二つはこの言葉が勝手にこの体から湧き出るようになって初めて「生まれた」のです。認識が起こり世界に生まれました。ではそれまでは無かったのか????ないのです。体はありました、にも関わらず太郎も太郎の人生も存在していなかったのです。だから今その二つがこの世界に現れたのではなく「認識」だけが現れたのです。あるという思考認識だけが現れたのです。

一瞥体験に意味はあるのか???

ない

一瞥体験と呼ばれる体験ってあります。これは要はとんでも現象です。その方の記憶をベースに起こりますから何でも起こります。神様が見える、渦巻が起こる、浮遊感のようなものが生まれる、音が急激に鮮明に聞こえるなどなど、、、何が起こってもいいのですが全部それ現象、幻想、幻です。幻だから価値がないのではありません、この世界の全ては幻です。幻の変容が起こったということです。

重要なことは

この世界には意味があることなどありません、、ただそれが起こるのです。そこに意味はあるのか????生み出される現象、幻想、幻には意味など一つもないのです。だから一瞥体験も意味などありません。覚醒、非二元、悟りに興味が湧くが起こった時、、出来事として起こる可能性があるだけです。重要なことは「気づき」です、、、あー軽くなった、、という気づきです。そこが最重要です。

自殺をしたい???

そのような相談を受けても全く深刻さが生まれないようになったら気づきはかなり深まっています。深刻になれないのです。ですが同時に深い慈しみも湧きます。矛盾しているようでがそうなります。全部は幻であるという気づきと、、同時に目の前の「違う顔の私」に少しでも力になってあげたいという感情とも言えない感情が湧きます。世界はこんなに軽いのだから気づけば楽勝だよ、、、という無責任な思いが起こるのです。

言葉という認識

認識が先か言葉が先か

この世界の中からこの「体を切り抜いて私」とする言葉が生まれました。この瞬間私はこの体としてこの世界に初めて登場したのです。この体をこの世界から切り離すには言葉が絶対に必要です。「私とはこの体です」という言葉がこの世界からこの体を切り離しそれを私とする動きが起こったんです。だから私とは後天的に言葉によって作られた存在です。

「私とはこの体」

この言葉が生まれるまではその認識は100%無かったわけですからこの世界に「この体はこの私」という存在は一切存在しません。認識がなかったのですから。だからこの私が自由意志を使ってこの体をコントロールしているというのは嘘です。私という認識が記憶喪失で消えてもこの体は動くのですから。そして私が自由意志を使っているというのも嘘です。私という言葉が生まれない時、私は存在しないのですから。

言葉とは認識を利用した発明

言葉は誰かが発明したものではありません、自然現象的に言葉が生まれたのです。音を組み合わせて「り・ん・ご」はこれ、、、という決め事が起こったのです。この体を指差して「わ・た・し」という決め事も勝手に起こったのです。この「りんご」は誰のもの????「わ・た・し」です。音の認識が勝手に起こり、組み合わせた音の解釈も勝手に起こったのです。音を組み合わせただけなに音の認識も音の組み合わせによる解釈も勝手に起こります。これが人類の言葉使いです。

「私が居るという」解釈が続く

地球の周りを太陽が動く、、という言葉は記憶されその都度その解釈が起こり続けました。私が居るという言葉も記憶されその都度その解釈が起こるんです。だから我々は私とあなたという関係をひたすらの続けることができるのです。いつもその認識があるから「私が居る」のではなくその言葉が記憶されることでその都度その解釈が起こっています。真実は180度異なります。

言葉のない世界

人類

もしも人類がまだ言葉を扱っていないとしたら「私は居る」という感覚を所有する人は80億人の中でいったい何人いるのでしょうか?????「ゼロ」です。「ZERO」です。え?????いやいや「私がいるという感覚」がそもそもあったからそれを言葉で「私が居る」って言い表したんですよね??????違います。その言葉が生まれた時にその認識が起こりその感覚が起こったのです、人類で初めて。

私という感覚は「私」という言葉が発明されてそれを認識した瞬間にその感覚が起こりました人類に。つまりこの言葉が生まれる前「私」という言葉が指し示す「何か」は存在していなかったのです。無人島に住んでいて誰にも発見されて居ない人にあなたが会うとしましょう。。。自己紹介は全く通じないはずです。つまり私という感覚は言葉が後天的に作り出したものなのです。

言葉がなければ私など存在しない

つまりこの体の中には私が居て自由意思で行動している、、、というのは嘘です。この体の中には私という感覚は言葉とセットでしか登場できません。私がいると唱えた時だけそれを認識し感じます。だから絶対私は居るというのは矛盾しています。その言葉を唱えた瞬間にその認識が起こるのです。だから体には誰も居ないのです。よって「私」から現れ出る自由意思も嘘です。唱えた時にしか存在できない「私」から自由意思は生み出されません。