熱心な信者

成功者とは

人間業界の成功者とは「私神様」の熱心な信者です。成功者とはこの体の中の「私神様」が何かを手に入れたり何かを成就すれば絶対に絶対に幸福になるはずだ!!!!と信じて信じて疑わない人々です。受験勉強、、やってやる、、就職活動やってやる、、、、婚活、、出世、、、なんでもござれ!!やってやる、、、、なぜならば「私神様」が幸福を感じるはずだから。。。。。次から次へと頑張っていきます。。。常に期待と高揚感を持ちながら。

実際に感じている「期待と高揚感」

人間業界の成功者とは「神様が絶対満足してくれるはずという期待と高揚感」を常に常に抱きながら活動をし続けつことができる人々です。全く一切「私神様」からは幸福感など出ていなくても、、、まさかの「期待と高揚感」を抱いているだけで十分という状態になり、、、死ぬまで走り続けるのです。なんならば「期待と高揚感」を幸福と勘違いして「俺って幸せ」という状態にさえなります。ですがこれは勘違いです。私神様は一度も幸福になどなったことはありません。なぜならば祀られているだけだからです。

見抜く

「私神様」はただの拝む対象であって、、この神様は幸福や不幸、怒ることも悲しむことも本当は何もできません。この事実に気づくのです。我々はこの神棚に飾ってある「私」という神様が幸福になる、いつか幸福になると信じて「生活」していますがありえないことです。そこにあるのは期待と絶望だけです。「私」って実はただの妄想で、、神棚の神様みたいなものじゃん!!!といく気づきがあった時、、革命が起こります。

私という神様

皆さんの中

私神様という神棚が皆さんの中にはあります。神棚です。神棚がしっかりとその人の中にあるんです。そして私神様を毎日毎日拝んでいます。神様に「高級車」をお供えしようとします、、、胸が踊ります。。。神様は絶対に満足するはずだ、そういう思いがします。期待が膨らみます、高揚感が高まります。そしていざ「高級車」購入、、、期待のピーク、高揚感のピークです。次の日、、あれ????「幸福感」があるのか????神様の幸福感を感じることができません。。。

次は

やっぱり高級マンションだべ、、神様は高級マンションなら満足するはず、、幸福になるはず、、、期待が膨らみます、高揚感が高まります。。。あと1ヶ月、、、期待、高揚感はさらに高まる。。。そして購入日当日「期待、高揚感はピークです」翌日、、、あれ?????何も変わっていない気がする、、私神様って幸福感あるのか????

期待と高揚感

答えを言います。「私神様からは何一つ感情は発せられることはなく、、ただ期待と高揚感だけが起こっていた」です。私神様は存在しません、思考の中にだけ存在します。その存在は思考の中に存在するのであってこの次元、、この現実という次元に影響力を与えることは不可能です。ですが『幸福になることを期待する』ことはできます、この期待と高揚が、、、ずっとそこにはあり、、、この期待と高揚を「幸福」と勘違いすることだけが起こっていました。私神様は一回も幸福になどなりません。

私とはつまり神棚に飾ってある神様みたいなものです。存在しない実在しないのです「思考」の中にだけ存在します。動物は「人間が神様に祈っている時」理解ができません、なぜならば神様は「人間の思考の中」にしか居ないからです。私とは思考の中で祀られる神様みたいなものです。祭られた神が「幸福になったり不幸になったら」おとぎ話です。ですが人間は真剣に真剣にこれをやっています。

洗脳

祭られた神が「いつか幸福になる」を信じ込み一生を費やすのは「洗脳」です。なぜならば祭られた神は「幸福になれない」にも関わらずそこに全エネルギーを注ぐのは全くもって意味不明な話だからです。それを真剣に真剣にやっている他人を見ればそれって「洗脳じゃん」と気づくはずです。だから気づいてください。あなたの中の「私神様」は幸福にも不幸にも一度もなったことがありません。「私神様がそこには絶対に居て幸福になれるはずだ」という思考こそが実は「苦しみ」の原因だったのです。

真実は優しい

厳しい?

自由意志がない、個人が居ない、時間も空間もない、「真実を指し示す話は厳しい」という印象を持つ方は居ます。個人の自由も個人も居ないなんて、、、全ての生きがいを取られるような感覚がします、全ての努力を否定されたような気がします。ですが本当にそうでしょうか?????実際にはとんでもなプレッシャーの中で生きていませんか?????とてつもなく重い重い十字架を背負わされている気がしませんか????そうです、「自由主義と自己責任」という現代社会の人権は「十戒」のように重いのです。

誰も何も悪くない

真実はとてつもなく優しいです。「誰にも何一つ責任を取れる人間はいない」のです。どこで人生が終わっても最善な生き方しかできない、、のです。どんなに失敗に失敗を重ねたような生き方をしてきても「完全完璧」に悟りへの最短距離を歩んできたのです。最善の道以外を歩むことができない、、というこの真理は「とてつもなく優しい」のです。

どんなに争いあっても

何かの原因で友人と大喧嘩をします、「喧嘩とは多くの場合どっちが悪い????」の責任の擦りつけあいです。ところが真実では「お互いがお互いの最善の行動」しか取らせてもらっていない、、のです。自由意志が全くないという前提の元で話し合いが行われるようになります。なぜ?????あんたはそのような行動をしてきたんだ!!!!!!という問いかけに「分からない」で終わりです。そしてそれが本当のことだからです。つまり争うことが出来なくなります。

自己責任

評価

自己責任で全ての行動を決めていく、、これは大人の行為と呼ばれます。自分がやると決めたのだから最後までやり抜く。自分がやると決めたのだから責任は自分が取る。。。周囲に責任を求めず自分がその責任を背負って生きていくのは大人の行為と呼ばれます。これは半分悟っています。ではこの自己責任が半分悟っていて半分は悟っていない理由を伝えます。責任を自身が全部背負って何かを成し遂げた場合、、多くの場合「結果」を重視します、最終的にどういう結果を手にできるかに関心が大きくなります。ここが大問題になります。

これだけ頑張ったのだから

これだけこれだけ私は学生時代に頑張ってきたのだから「評価」が欲しい、、となります。私に取っての最終評価と「最終雇用先」である、、「最終パートナー選び」である、、「最終年収」である、、、と結果にこだわりが大きくなっていきます。周囲には言い訳など一切言わずに頑張ってきたのだから「最終結果」にはこだわります。。となるのです。

違う

真実はこうです、、、全ての行動には誰一人個人は全く関与していらず、どのような結果を手に入れることになってもそれは「流れ」でしかない、ということです。誰一人実は全行動に関与していません。だから周囲を責めるのも自分を責めるのも筋違いなのです。「これだけ頑張ってきた」ことに何一つ自分の意志は関与していません。だからその評価を気にするということは「勘違い」が土台になっているため「苦しみ」の原因となります。

解放しかない

そもそも

悟れば何かが変わる、この世界が変わってしまう、、、、というものではありません。悟りとはそもそも自分なんていなかった、時間なんてなかった、分離などなかった、、解放しかなかった、、、という気づきです。最初から解放しかないのです、悟りしかないのです。。。その中に「この世界は閉ざされた世界である」という思考が起こっていただけなのです。「この世界にはこの体である私が居て生き抜かなくてはならない」という思考だけが湧いていたのだ!!!という気づきが起こることが解放、目覚め、悟りです。

だから悟った後も

何も変わりません、、、何かが変わってしまうのならば、、違う世界にシフトすることになります。ですが最初からここが解放であり解放から抜け出すことはできません。解放の中に「私は制限された存在である」という思考だけが起こり続けていたことが明らかになるのです。つまりこの思考が現れでないことが悟りです。そういう意味では何も変わらないのです。

居ないことが明らかになる

自我が消えるのではない

自我が突如消えるのではなく、、、自我とは実は居ないことが明らかになります。空から現れでる自我は存在しません。空から現れでた思考の中に「自我」は存在します。ところがその思考の内容は「自我は100%存在する」ということでありこれは真実ではありません。真実では自我は存在せず思考の内容としては「自我は存在する」が起こります。このギャップこの誤差こそが「苦しみ」です。

つまり

自我という現象が消え去ることが悟りなのではなく「自我があるという思考」が実は間違っていることが明らかになることが悟りです。「この世界には私が体として存在する」という思考が実は間違っていることが明らかになる、、、これが悟りです。私とは実は思考が作り出したものであり、、この世界には実在しないことが明らかになる、、これが悟りです。

思考が時間を作り時間が私を作る

時間があるのだから私も居る???

私っていますよ、、だってこの時間の中をしっかりとしっかりと生き抜いているじゃないですか!!!!!違うんです、、その時間は思考が作り出したのです。思考が作り出した「時間」が絶対的にあるのだからこの時間軸の中を生き抜く「私=この体」は存在する、、という二次思考が起こります。思考で「時間」を作り出しておいて「時間」があるのだから「この体=私」は絶対に存在します、、というのは詐欺です。

「変化があるから時間がある」という思考

この世界の唯一のルールそれが変化です。現れ出る現象は「変化」します。この変化を利用した「概念」が思考です。変化し続けるこの現象界、、、変化するということは「時間」は絶対にあるはずだ!!!!!という概念が生まれたのです。時間は100%存在する、、とすればこの体はこの時間の中をサバイブしているのだ、、つまり「私=体」は絶対にこの時間軸の中に存在する!!!!という概念が生まれました。これがマイストーリー、私物語という概念です。

時間も私も思考として存在する

空から「時間」「私」が現象化されることは絶対に絶対にありません。そういう意味では時間も私も存在しません。ですが空から思考は現れます、、その思考の中身として「時間」「私」が誕生するのです。ですがこれは思考の中身ですからあくまでもイメージに過ぎず、、よって私が幸せになる、、というのは不可能です。「幸せになった私」というイメージを起こすことは可能ですが、、、それと至福とは何も関係がありません。

どうしても悟りたいんです!!!

大丈夫

その思い気持ち情熱の全てが「根源」から湧き出ています。「あなた」からその気持ち思い情熱が出ているならばそれは「あなたの衝動」です。ですが出ていないのです。根源から「悟りたい!!!!!」が出ている。。。だから「この悟りたい!!!」は根源の叫びです、神の叫びです、空からの叫びです。その認識その気持ちの認識は誰がやっているのか?????根源、神、空です。つまりつまりこれは完全な自作自演です。

じゃあなぜ?????

悟りたい!!!!!という衝動がなぜ?????根源から飛び出るのでしょうか??????根源は最初から根源なのだから「悟りたい!!!!」という衝動が出るって意味不明ですよね?????「悟りたい!!!」という衝動はその前の「苦しい!!!」から湧くのです。そしてこの「苦しい!!!!!」は「私が居る」という思考から湧きます。。。。つまりただの反応だということです。反応が起こり続けています。自動反射が根源から起こり続けているのです。

根源だから

だからって意味不明ですよ、、理由があろうとなかろうと根源から「悟りを開きたい!!!」という衝動がなぜ出るんですか?????根源だから出るんです、根源からはなんでも出るのです、、、全欲望、全感情、全思考が湧くから根源なのです。「完全完璧な思考」しか湧かないから「根源」なのではなく「全思考」「全感情」「全衝動」が湧くから根源です。そして根源は「意図」してそれを湧かすのではなく「ただただ自然現象」としてそれが湧くのです。「悟りを開きたい!!!!」も自然現象です。

失われた30年?????

残念!!!!!

失われた三十年間、日本のことをこのように表現する経済学者は多いですが、、残念!!!!その前の失われていない50年間、、、と何も何も変わりません。どういうことか???????経済を発展させる、経済を順調に動かすような「自由意思」が人間には備わっていないからです。最優秀な総理大臣が現れ天下無双の大活躍で日本を経済大国NO1に!!!、、、それを行える自由意思が存在しないのです。

これからも何もかもが分からないし、、、

評価の対象になどまるでなりません。なぜならば、、誰一人自由意思なく、、個々の活動が行われているのです。にも関わらずどうやって一致団結するのか??????昔の日本人は勤勉で努力家で汗水たらし国家天下のために働いていた???????嘘嘘嘘です、、、、誰一人自由意志なく勝手にたまたまそれが行われた要素があっただけです。

これから

これから日本がさらに失われた50年間が続くのか続かないのか全くわかりませんし、分かったところで何もかもどうでもいい、、なぜならばそれが自然現象だからです。日本経済も完全な自然現象です、、自然現象に優劣ってありますか??????ないですよね。自然現象はどう転がっても偉大なんです、、そこで評価を低くされるような柔な存在ではないわけです。自然現象は全て偉大です。

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人間関係

上司Aを立てれば上司Bを立てれず、上司Bを立てれば上司Aが立たない、、、こういう時どうしたらいいのでしょうか??????全くわかりません。正解を教えてください!!!!!それでもあなたは結果的にはどちらかを選ぶことになります、、結果的には中途半端な対応で両方から叱られるか、、、上司Aを立ててBに嫌われるか、、Bを立ててAに嫌われるかもしれない、、、、どのような行動を取ってどのような結果を得ても「あなた」がやっていないという「結果」だけが事実です。だから上手く乗り越えようと失敗して沈没しようとそれが自動的に起こったのです。だから気にしないようししなさい!!!!!ということではありません、、事実はそうなっている、、、ここに収まる以外にない!!!ということです。

上司全員から今私は嫌われています

上司全員から今私は嫌われています、、もう会社を辞めた方が良いですか????それとも頑張って修行だと思ってやり抜きますか??????「どちらでもいい」のです、ここであなたがどのような決断を取ってもどちらも「大正解である」これだけが事実です。今日辞表を出して散々会社と揉めようと、、忍耐で耐え抜いて絶大な評価を受けようと、、、、それが勝手に勝手に自動で起こったという事実だけが真実なのです、、ここが最重要なのです。全部大正解であるということです。

社会的評価を受けようと、全く受けまいと

全部大正解なんです、、、そこには一切の選択肢はなく、、そのようになったという流れを真実を把握することが最重要であって、、社会的評価、全くの不評、、、年収3000万円、年収100万円、、人気者、不人気者、、、そこは何も問題はあにのです。だって全責任は「根源」ですから。全部全部大正解なのです。。そこの理解が起こった時「人間ゲーム卒業」です。「人間判断し合うゲーム卒業」です。「人間他人相互ジャッジゲーム」卒業です。