皆さんの中
私神様という神棚が皆さんの中にはあります。神棚です。神棚がしっかりとその人の中にあるんです。そして私神様を毎日毎日拝んでいます。神様に「高級車」をお供えしようとします、、、胸が踊ります。。。神様は絶対に満足するはずだ、そういう思いがします。期待が膨らみます、高揚感が高まります。そしていざ「高級車」購入、、、期待のピーク、高揚感のピークです。次の日、、あれ????「幸福感」があるのか????神様の幸福感を感じることができません。。。
次は
やっぱり高級マンションだべ、、神様は高級マンションなら満足するはず、、幸福になるはず、、、期待が膨らみます、高揚感が高まります。。。あと1ヶ月、、、期待、高揚感はさらに高まる。。。そして購入日当日「期待、高揚感はピークです」翌日、、、あれ?????何も変わっていない気がする、、私神様って幸福感あるのか????
期待と高揚感
答えを言います。「私神様からは何一つ感情は発せられることはなく、、ただ期待と高揚感だけが起こっていた」です。私神様は存在しません、思考の中にだけ存在します。その存在は思考の中に存在するのであってこの次元、、この現実という次元に影響力を与えることは不可能です。ですが『幸福になることを期待する』ことはできます、この期待と高揚が、、、ずっとそこにはあり、、、この期待と高揚を「幸福」と勘違いすることだけが起こっていました。私神様は一回も幸福になどなりません。
私
私とはつまり神棚に飾ってある神様みたいなものです。存在しない実在しないのです「思考」の中にだけ存在します。動物は「人間が神様に祈っている時」理解ができません、なぜならば神様は「人間の思考の中」にしか居ないからです。私とは思考の中で祀られる神様みたいなものです。祭られた神が「幸福になったり不幸になったら」おとぎ話です。ですが人間は真剣に真剣にこれをやっています。
洗脳
祭られた神が「いつか幸福になる」を信じ込み一生を費やすのは「洗脳」です。なぜならば祭られた神は「幸福になれない」にも関わらずそこに全エネルギーを注ぐのは全くもって意味不明な話だからです。それを真剣に真剣にやっている他人を見ればそれって「洗脳じゃん」と気づくはずです。だから気づいてください。あなたの中の「私神様」は幸福にも不幸にも一度もなったことがありません。「私神様がそこには絶対に居て幸福になれるはずだ」という思考こそが実は「苦しみ」の原因だったのです。