真実は優しい

厳しい?

自由意志がない、個人が居ない、時間も空間もない、「真実を指し示す話は厳しい」という印象を持つ方は居ます。個人の自由も個人も居ないなんて、、、全ての生きがいを取られるような感覚がします、全ての努力を否定されたような気がします。ですが本当にそうでしょうか?????実際にはとんでもなプレッシャーの中で生きていませんか?????とてつもなく重い重い十字架を背負わされている気がしませんか????そうです、「自由主義と自己責任」という現代社会の人権は「十戒」のように重いのです。

誰も何も悪くない

真実はとてつもなく優しいです。「誰にも何一つ責任を取れる人間はいない」のです。どこで人生が終わっても最善な生き方しかできない、、のです。どんなに失敗に失敗を重ねたような生き方をしてきても「完全完璧」に悟りへの最短距離を歩んできたのです。最善の道以外を歩むことができない、、というこの真理は「とてつもなく優しい」のです。

どんなに争いあっても

何かの原因で友人と大喧嘩をします、「喧嘩とは多くの場合どっちが悪い????」の責任の擦りつけあいです。ところが真実では「お互いがお互いの最善の行動」しか取らせてもらっていない、、のです。自由意志が全くないという前提の元で話し合いが行われるようになります。なぜ?????あんたはそのような行動をしてきたんだ!!!!!!という問いかけに「分からない」で終わりです。そしてそれが本当のことだからです。つまり争うことが出来なくなります。