トップスター
本当に本当に好きなミュージシャンに街でばったり会う、、、その時「カッコイイ!!!!」という実感が起こります。「半端なくカッコいい!!!」が起こって足が震え感動で息が詰まる。。。ですが横にいる友人、全くそのミュージシャンを知らない音楽を一切聞かないその友人は「どこが?????」が実感として湧きます。「何がカッコ良いの?????」です。二人のこの実感の違い、、これが臨場感です。
幻だから
なぜここまで感覚に違いがでるのでしょうか?????それはこれが全部幻だからです。完全な幻だから全く違う「存在」が二人には見えているのです。全く違う。なぜそれが起こるのか?????幻だからです。幻だから全く違う「視界」という幻が起こります。どちらが正しくてどちらが間違っているじゃない、、どちらも完璧な幻を観ているのです。
幻という完璧
重要なことはそれらが幻として完全完璧にそこに写っているということです。人にとっては大スターに映り、人によっては「ただのオッサン」に映る、、でもそのことが完全完璧なのです。大スターが映った「私」はそれによって一瞬は高揚はするが至福になるわけではなく「普通のオッサン」が映った友人もそれで全く至福にはならない。幻想をそれが幻想であると見抜くその時まで我々は一喜一憂の世界から抜け出せません。
一喜一憂
一喜一憂の世界にいる限り「不幸」と「高揚」をただただ繰り返します。この世界ではこの幻によって幸福になることは絶対になく、、、お金という幻も、大スタートいう幻も、大豪邸という幻も「高揚感」こそ起こっても至福には至らないのです。なぜか?????それは「私」という幻が幸福になると信じているからです。私という幻は「認識される側」であって「認識を起こす主体」にはなれません。これが幻の宿命です。高揚感を手に入れたのは「私という幻」ではありません。「高揚感」がただ起こったのです、そしてその認識だけが起こりました。