究極の安堵
飲食店に入ります。店員さんから声がかかります「いらっしゃいませ」この発言が全自動であると認識できますと、、反応が完全完璧なことが分かります。お店に入れば当たり前にBGMが流れています。このBGMは一曲づつ流れるのであり一斉に10曲が流れ出ることがない、、これ当たり前だと思っていますが、、奇跡です。必ず一曲ずつなんです。さらに店員さんが「有難うございました」ではなく「いらっしゃいませ」が発せられる、全自動でです。いきなりトイレに誘導されることもなく席に誘導される、、これが全自動だと思えばどうですか????完璧ですよね。
ビールを頼む
ビールを頼めば「中華飯」が出ることはなく「ビール」がでてきます。「烏龍茶」を出してきて「ビールです」とは言ってこないのです。これが全自動です。奇跡です。男性用トイレに入ったら女性用だった、、もない。三階の店に入ったら帰りは二階だったもない、、これぞ完全完璧な幻想なのです。この幻想はとんでもないクオリティで形成されています。ミスがないのです、これが完璧です。
隣の客
隣の客同士が話し合っています、会話が聞こえます。。。しっかりと会話のキャッチボールをしています。二人が同時に話すのではなくキャッチボールが起こっています、これが全部自動反射、自動運転です。奇跡です。その体の中にコントロールする自我が存在しないにも関わらず完璧に反射が起こっているのです。奇跡です。
内容
隣のお客さんの会話が本当に低レベルで、、、、と批判判断するのもいいでしょう。ですがそれが勝手に勝手に起こっているのですから判断する意味が全くないのです。ただ完全自動で行われているだけです。何一つ努力なしに、、勝手に会話が起こっているのです。それを判断するって無意味中の無意味です。
分かったとて
それが分かって何になるんですか?????判断が湧いてきません、相手の表情、店の対応、店の味、何もかもに判断が起こらなくなっていきます。なぜならば何の意思もなくそれが起こっているからです。そしてその意志があってもその意思も勝手に起こりました。だからそこに入り込む隙が全くないのです。その時ここから出てくる思考内容が変わります。
思考内容
思考内容が変わると、、起こる感情が変わってきます、、苦しみが減っていきます。これまで苦しかったのは「思考内容」がそうさせていたのです。お店の対応が「苦しい」を作ったのではなく「それに対する思考内容」が苦しみを作り出したのです。つまり出てくる思考内容が変われば「苦しみ」が減るのです。そして「思考内容」がどう変わるのか?????「判断」が消えます。全自動であることが分かると「判断」が消えます。そしてその判断は常に自分から対象に向かっていますから「苦しみ」が起こるのです。
海外
海外ではチップ制のところがありますが、、それを知らずに行くとしましょう。車に乗ればドアを開けてくれ、レストランに入れば「椅子を引いてくれる」チップ制を知らない男性は思わず「親切だなー」という思考が起こる、、、その時「苦しみ」が起こりません。つまり湧いてくる思考内容こそが「苦しみ」を生み出す大元なのです。真実の理解が起こりますと「違和感」が起こりません。なぜ?????が起こらない。つまり苦しみが消えるのです。