芸人
本当にそれだけでよかったんです、売れればそれで良かった、自分が信じる「笑い」が評価してもらえたら死んでもいい。。それだけでいいんだ。。。。だから毎日劇場に立ってくる日もくる日も芸を磨いてきた。。。「売れた」「完全に売れた」、、、、もう死んでもいい。。。。。。ところが次の年、、「売れたから女優と付き合いたい」「売れたから良い車でも乗ろうか」「売れたから後輩集めて飲み会やりたいな」が起こる。。。。「おかしい、、、売れさえすれば良かったはずなのに」また俺は次の目標に向かって走っている。。。。。
走っている自分
嘘じゃない、売れさえすれば死んでもいい、、、この感情に嘘はないのです。でも変わってしまった。。。。売れたら次の目標が起こってきた。。。。全くお腹満足じゃない、、しっかりと空腹感が起こっている。いいんです、これでいいのです。お腹いっぱいになるはずのこの「私」が実は幻だったということです。この私も、この私から生み出された「死んでもいい」も幻なのです。幻の宿命、幻とは「認識される側」「気づかれる側」「意織される側」です。
「私」も、「死んでもいい」も「認識される側」
多くの方は「私」が「幸福」になる、、、と信じています。ですがその「私」は主体になることは絶対に絶対になく「認識される側」です。だから「私は幸福になる」は事実では絶対に起こりません。私というのが欠陥品で幸福になれない不良品ということではありません。私という存在も「幻」であり「幻」とは認識される時だけ起こるものだからです。目の前の「ベンツSクラス」を認識しながら「私」も認識するは同時には無理なんです。「ベンツSクラスを手に入れた私」というイメージを認識することはできます。