本当はそんなことしない方がいいんですけどね

生きてくためには

生きてくためには「お世辞」言って「おべんちゃら」言って上司を持ち上げて持ち上げてやっていくしかないんです。嘘なんて平気でつきます、だってそれで上手く回るならそれしかないじゃないですか。。。。。え?????そりゃあそんなこと本当はしない方が良いのは分かってますよ。。。。。。「本当はしない方が良いのは分かってる」なぜ?????なぜ分かっているんですか??????なぜそのことを今分かっているんでしょうか?????だって「お世辞嘘」を言わないで会社員経験したことないんですよね?????????

分かってる

嘘をつくのは「自分」のためで、、、生きていくのは「自分」で、、、そのためには嘘をつき倒してでもやっていくしかない。。。ですがこの自分という存在をありありとイメージすることで、、、実はその段階で分離感、孤独感というものをその時点で実感してしまっている、、、だからこんなことを続けていても苦しみはなくならない。。。。。このことを「分かっている」んです。。

でも

「分かっている」にも関わらず思考の嵐が止まることはなく、、、思考が思考を呼び寄せ、思考が思考を起こすので、、、嘘をつき続けているのです。見かけ上の「覚者」が分かっていることを「分かっている」にも関わらず思考の波を止める方法が分からないから、、、それを続けているのです。だから、、、、、、「本当はしない方が良いのは分かってる」という言葉が自然と口から出たのです。

100%の実感と100%の事実

太陽

常日頃、太陽は100%動いているように「実感」できます。朝日が昇り、気づけば真上に、、、そして気づけば夕陽となって沈んでいく。ですが、、、、事実では「地球が回っている」人間のこの「感覚」というのは間違います。自由意志も完全に一緒、、完全完璧に自由意志があることを「実感」できます。ですが事実では100%存在しません。

実感できることは「事実」

自由意志を実感できるのは「事実」です。ですが自由意志がないことも「事実」です。つまり自由意志とは100%実感はできるが100%存在しないのです。だから我々は今後も自由意志を使い倒しているという「実感」を持ちながら、、完全自動運転、自動操縦で生きていきます。

わたし

私も全く同じ、100%実感はできますが100%存在しません。だから今後も私を100%実感していきながら100%「私無し」で生きていくのです。そしてそしてここ最重要ポイント、、、「自由意志も私も」あることを「実感できる」のであって、、、実感しなくてもいいのです。。。。「自由意志も私も」存在してると感じることは「できる」が、、、しなくてもいいのです。

その時

私をやらなきゃ、、、自由意思使い倒さなきゃ、、、、というプレッシャーがあったことに気づきます。私を生きなきゃというプレッシャーの中に居たことに気づきます。今まで実は結構重いプレッシャーがのし掛かっていたことに気づくんです。「そうか私も自由意志も実感しなくていいんだ」という新しい気づきは「プレッシャー」という重しを取ります。

「問題は発生したのと同じ次元では解決できない」

アインシュタイン

見かけ上の天才アインシュタインは悟りを開いていたようです。問題は同次元では解決しない、、、非常に奥深い言葉です。凄いことに彼は気付いています。「1個のリンゴと1個のリンゴ合わせていくつですか????」2つです。なぜ?????2つと分かったんでしょうか?????当たり前ですよ!!!!眺めれば子供でも分かります。あれ?????同次元でこの問題解決されましたよ。。。アインシュタインのこの「問題は発生したのと同じ次元では解決できない」って言葉早速矛盾してますけど。。。。

違う

1個のリンゴと1個のリンゴ合わせると「二つ」です。これがなぜ分かってしまったのか?????実は実は認識がこの次元ではない場所で起こったのです。それだけは確かなんです。だって「問題は発生したのと同じ次元では解決できない」はアインシュタインが発見したんですよ。だから同次元ではないんです。リンゴの数に気づいたのは。。。。じゃあ、、、、、「誰」が違う次元から気づいたんですか??????誰が。。。。「あなた」ですか?????あなたはこの体の中に居ますよ、、、この体の中の「あなた」は絶対にこの問題は解決できませんよ。

違う「あなた」

別次元にも「あなた」が絶対に居て、、、そっちの「あなた」がリンゴの数に気付いたのでしょうか?????それしかありません。この次元のあなたは絶対に気づけないのですから。つまり「あなた」はこの次元と別次元と「二人」存在することになります。え???????私って二人居るんですか?????100%一人です。

ということは

別次元に居る「わたし」のことを「わたし」と呼んでいたのです。この体ではなく「別次元」に存在する私のことを「わたし」「あなた」と呼んでいたんです。この体には存在しない、そして別次元に「わたし」が居ます。そのわたしはどんな形状でどんな姿をしているのでしょうか?????

私を維持する力

トラウマ

トラウマとは記憶です。記憶が支えるネガティブな経験です。このトラウマが多ければ多いほどに当然自我は強くなります、トラウマの主人公は「私」だからです。この「私」はトラウマという記憶に支えられているのですがこの「私」は分離感を作り出しその分離感は苦しみを生み出します。非二元の目覚めとは「自分の不在」ですから、、トラウマの保持はこの目覚めの弊害になります。

全自動

トラウマには多くの場合「加害者」が登場します、なぜ?????この加害者は「私」を加害するのか?????これが最も大きなポイントになります。理由を考えます、、しっくるくる考察ができません。ですが全自動の理解がこれを壊します。つまり何が起ころうとも「全自動」なのです。どれほどの残虐な加害があったとしても「全自動」「全反射」です。そこには主体が存在しないのです。

いやいや

ハッキリと意図的に「加害」をしていたという記憶はありますよ。そうならばそうでしょう、、ですがその意図こそが勝手に自動で反射で起こったのです。犯罪レベルの加害であってもそれこそが「全自動」「全反射」だったのです。そこは疑いようのない事実です。このことが腹の底から分かってきますと過去の恨み、辛み、そねみ、妬み、後悔、、全てが崩れてくるのです。

俗に言う「良い人」

生存戦略

頭で考える「良い人」とはただの生存戦略です。好かれることでこの個体を生き伸ばせようとするのです。「嫌われる人」よりも「好かれる人」であった方が生き残りやすい、、、これです。だから高感度を上げよう、、となります。ですがこれをやっていくのは大変、、常に常にアンテナを他人に張って、、相手の要望を取り入れようとします。疲れるんです。

結果的に「良い人」

本当はこれです、、、深刻さが全くなく、、、好かれよう!!!ではなく、、、「愛おしい」この感情ともいえない感情が溢れてきますと「好かれる」ではなく「愛おしい」が動機になっていきます。深刻さをなくしていきますと、、先ず好かれる必要がなくなっていく、、、そして「本当に好かれる必要性が無くなった時」、、「愛おしい」が湧いてきます。

ベクトルを外に向けない

一人ひとりにゴマを擦って、顔色を伺って生きていくのは「重い」人生です。ベクトルを「自分自身」にのみ向けて、、好かれる「自分」を作り上げるのが第二の人生「ちょっと軽い人生」です。最後に他人は勝手に反応し、こっちも勝手に反応する、、、反応が交互に起こっていることに気づく、、つまり「そこには誰もいない」ことに気付いてしまう人生とも呼べない人生が「楽々の人生」です。全く重くないから結果的に「好かれてしまう」「相手を愛おしく感じてしまう」これがゴールです。

慌ただしい思考

静寂

分かっちゃいますと「慌ただしい思考の持ち主」に会っても、、、、全く静寂が壊されることなくその話を聞けます。その話の内容がいかに過激で深刻で刺激的であろうとも、、静寂の中で聞けるのです。慌ただしい会話と静寂がなぜ矛盾なく存在しえるのか?????それはその慌ただしい会話によってこちらのマインドが起こらないからです。

なぜ?????

なぜこちらのマインドが相手のマインドの動きによって動かないのでしょうか?????それは「マインドが何か」に気付いているからです。完全に気付いているからです。マインドとは「何かを指し示すイメージ」です。脳がなければ会話が成り立たないのは脳は言葉をイメージに変換します。マインドとはイメージ起動ツールなのです。で、、相手の会話とはイメージを激しく起動させるわけです。分かってしまうとそのマインドが作り出すイメージが全部嘘勘違いであると分かるのです。だから混乱が起こらないのです。

来年日米両国首相が、、、

「私は政府に通じていて実は来年日米首脳会談でイラクに対して宣戦布告の、、、」という言葉の連打が起こった時「イメージが活性化され、戦争の姿が現れでます、、するとそこの巻き込まれる私の家族も、、、」とこうなります。ですが分かっちゃうと「それ嘘ですよ」となります。何が分かっているのか?????「いまここ」以外何も起こっていないのです、、「何もかもが起こっていない」ことが分かっています。

相手は困惑する

相手のイメージはこうです「俺の話を真剣に聞けば誰もが焦る」ところがこちらは全く混乱しない、、、焦らない。話をしっかりと理解をしているが「焦っていない」、、、バカなのか?????トロなのか?????いやしっかりと話を認識しているぞ、、、、、です。そうです、、噛み合わないのです会話が。真実の絶対的理解は「言語を超える」のです。「言語が起こすイメージをイメージに過ぎない」ことと理解する者を焦らせるのは構造上不可能なのです。

マインド(自我)は目覚めない

至極当然のこと

マインド(自我)は目覚めることはできません。マインドが目覚めるってどういう現象なんでしょうか?????マインドですよ、、目覚めるマインド(自我)って、、つまり「目覚めたであろう自我のイメージ」しか起こせないでしょう。そうです、、そして我々はラマナマハルシ、プンジャジ、エックハルトトールの写真を眺めては「これが目覚めたマインド(自我)を所有する人間だ!!!!!」と思うのです。

マインドとは「気づかれる側」

マインドとは現れては消える現象です、、自我(マインド)も現れては消える現象です。この世界の全現象は現れては消えます。そして現れたからには全部が認識されます、気づかれます。だからマインド(自我)も気づかれます。マインド(自我)は100%気づかれるから、、マインド(自我)は存在します、現象として。ですが現象ですから現れては消える幻です。

目覚めるとは

「マインド(自我)が目覚める」というのはイメージです、イメージは現れては消える現象です。幻です。だから自我は目覚めません、、、目覚めた自我(マインド)は常に常にイメージされ認識される側です。本当の目覚めとは、、、「全ては現象であり現れては消える幻で、、マインド(自我)も当然その一つである」という気づきのことです。本当にそのことが分かりますと、、ただただ静寂だけが残ります。

会話

会話が成り立つ理由

会話ってなぜ成り立つのでしょうか?????誰も気にしないですよね?????答えを教えます。お互いに全部分かっているからです、なぜか??????この世界で気づかれない現象は存在しないのです。だから伝える内容がなんであろうと、、全部最初から分かっています。「私はこうこうこう思っています」という内容が指し示すことがなんであろうと、、真実では「全現象が気づかれている」のです。

勘違いの思考だけが現れては消える

人間業界の会話とは「勘違いの交換」です。「私はこう思います、あなたはどうですか????私はこうですかね」はい全部勘違いです。お互いが所有する「勘違いの思考」をただ交換し合っているのが人間業界の会話なのです。そうなんだ!!へーそうんあですか!!!!と勘違いの思考をひたすらに交換し合っているのです。でも面白いことに、、そのことすらも最初から全部分かってもいます。

真実に出会っても

本当は本当はそうなんでしょうね、、、ただ今の自分には理解できません。となります、、、そうです、、本当は分かっているんです、、だって全現象は100%今も気づかれていますから。だが同時にここから湧いてくる「思考の内容」は真実ではなく、、かといってこの思考を止めることができないことも「分かっている」のです。だから「本当は本当はそうなんでしょう」という言葉がでます。

神は至福になりたいなど思っていない

ここは神

ここは神です、神の遊び場です、、この私も当然神です、、この神である私が神ならばなぜ「今この瞬間に」至福になれないのでしょうか?????だって私が神ならば面倒な手続きなど一切辞めて、、、今この瞬間に至福になっちゃえばいいじゃないですか??????苦労と苦悩とか意味不明ですよね?????なぜそんな地獄を経験しないといけないんですか??????

神は至福になどなりたくもない

答え、、それは神は至福などに全く興味がないのです、、、そもそも至福でしかない神にとって至福になる?????ウザ!!!です。至福なんて全く興味ありません!!!!です。だから「私」が死にたくなるほど苦しくても全く全くその解決方法を教えてくれないのです。なんなん?????です。

そもそも

神には意図がありません、、、幸福になりたい、、不幸になりたい、、、苦労したい、、、、何も意図がないのが神です。神の意思????????何もありません。だから今「私」が感じている悲しみ苦しみ嬉しい楽しい、、と神とは何も関係がないのです。神とはずばり「無限」であり、、、そして「無限の現れ」以上です。だから私が生まれて死ぬまでに現れ出る「無限の思考、無限の感情、無限の行動」それが神です。

全部分かっている

なぜ??????

起こる現象の全ては100%気づかれます。。100%気づかれるということは、、見かけ上の全員が実は「悟っている」と言えます。なぜならば気づかれない現象はないからです。ではなぜ「悟った」とされる状態と「悟っていない」という状態が起こり得るのでしょうか??????全現象が100%気づかれるならばむしろ「悟りが閉じる」って不可能ではないでしょうか??????

ヒステリック

ヒステリックな私がそこに居ます、、、その私の体を通じた「ヒステリック」は100%気づかれます。100%です。気づかれない現象はゼロですから。ではそこに「無自覚」であることはないのでしょうか????ありますよね。。。ヒステリックになっていることにすら気づけない時あります。でも、、、、真実では100%気づかれています。おかしい、、、何ががおかしい。。。。。実は「ヒステリック」という気づきの後に「それを解消したい」という思考が現れ、それが気づかれ、、、「解消のための思考の連鎖」が起こり続けているのです。その思考の内容がこれです「私はこの不快を解消したい」「この私をこんな不快にしたのは誰だ???」「会社だ、会社のせいだ」「あの社長また残業代けちりやがって」「そもそもなぜこの会社に入ったかといえば親のせいだ」、、、、、、これが続くのです、、、その時「ヒステリック」への気づきは遠いかなたです。

だから

あなたは実は「ヒステリック」の原因追求から思考が連打され、、いつのまにかヒステリックよりも思考の連鎖に意識を奪われ、、「ヒステリックを忘れる」という現象が起こっていたのだ。。。という説明をすれば、、、「分かります!!!!!」となるのです。実は実は全部気づかれています。気づかれていない現象はないのです。「ヒステリック」+「思考の連打」が起こったのです。

つまり

見かけ上の覚者とは、、、、「勘違いの思考が起こらない」ただそれだけです。。能力に違い?????全くありません。「気づく力」何も変わりません。ただ「勘違いの思考」が現れでる体と現れでない体がある。。。そして「勘違いの思考」が現れ出るか現れでないかの違いは「真実」を知り、、、「真実」が腹落ちしているかいないかの違いだけです。