全部分かっている

なぜ??????

起こる現象の全ては100%気づかれます。。100%気づかれるということは、、見かけ上の全員が実は「悟っている」と言えます。なぜならば気づかれない現象はないからです。ではなぜ「悟った」とされる状態と「悟っていない」という状態が起こり得るのでしょうか??????全現象が100%気づかれるならばむしろ「悟りが閉じる」って不可能ではないでしょうか??????

ヒステリック

ヒステリックな私がそこに居ます、、、その私の体を通じた「ヒステリック」は100%気づかれます。100%です。気づかれない現象はゼロですから。ではそこに「無自覚」であることはないのでしょうか????ありますよね。。。ヒステリックになっていることにすら気づけない時あります。でも、、、、真実では100%気づかれています。おかしい、、、何ががおかしい。。。。。実は「ヒステリック」という気づきの後に「それを解消したい」という思考が現れ、それが気づかれ、、、「解消のための思考の連鎖」が起こり続けているのです。その思考の内容がこれです「私はこの不快を解消したい」「この私をこんな不快にしたのは誰だ???」「会社だ、会社のせいだ」「あの社長また残業代けちりやがって」「そもそもなぜこの会社に入ったかといえば親のせいだ」、、、、、、これが続くのです、、、その時「ヒステリック」への気づきは遠いかなたです。

だから

あなたは実は「ヒステリック」の原因追求から思考が連打され、、いつのまにかヒステリックよりも思考の連鎖に意識を奪われ、、「ヒステリックを忘れる」という現象が起こっていたのだ。。。という説明をすれば、、、「分かります!!!!!」となるのです。実は実は全部気づかれています。気づかれていない現象はないのです。「ヒステリック」+「思考の連打」が起こったのです。

つまり

見かけ上の覚者とは、、、、「勘違いの思考が起こらない」ただそれだけです。。能力に違い?????全くありません。「気づく力」何も変わりません。ただ「勘違いの思考」が現れでる体と現れでない体がある。。。そして「勘違いの思考」が現れ出るか現れでないかの違いは「真実」を知り、、、「真実」が腹落ちしているかいないかの違いだけです。

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