慌ただしい思考

静寂

分かっちゃいますと「慌ただしい思考の持ち主」に会っても、、、、全く静寂が壊されることなくその話を聞けます。その話の内容がいかに過激で深刻で刺激的であろうとも、、静寂の中で聞けるのです。慌ただしい会話と静寂がなぜ矛盾なく存在しえるのか?????それはその慌ただしい会話によってこちらのマインドが起こらないからです。

なぜ?????

なぜこちらのマインドが相手のマインドの動きによって動かないのでしょうか?????それは「マインドが何か」に気付いているからです。完全に気付いているからです。マインドとは「何かを指し示すイメージ」です。脳がなければ会話が成り立たないのは脳は言葉をイメージに変換します。マインドとはイメージ起動ツールなのです。で、、相手の会話とはイメージを激しく起動させるわけです。分かってしまうとそのマインドが作り出すイメージが全部嘘勘違いであると分かるのです。だから混乱が起こらないのです。

来年日米両国首相が、、、

「私は政府に通じていて実は来年日米首脳会談でイラクに対して宣戦布告の、、、」という言葉の連打が起こった時「イメージが活性化され、戦争の姿が現れでます、、するとそこの巻き込まれる私の家族も、、、」とこうなります。ですが分かっちゃうと「それ嘘ですよ」となります。何が分かっているのか?????「いまここ」以外何も起こっていないのです、、「何もかもが起こっていない」ことが分かっています。

相手は困惑する

相手のイメージはこうです「俺の話を真剣に聞けば誰もが焦る」ところがこちらは全く混乱しない、、、焦らない。話をしっかりと理解をしているが「焦っていない」、、、バカなのか?????トロなのか?????いやしっかりと話を認識しているぞ、、、、、です。そうです、、噛み合わないのです会話が。真実の絶対的理解は「言語を超える」のです。「言語が起こすイメージをイメージに過ぎない」ことと理解する者を焦らせるのは構造上不可能なのです。

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