救わなくていい

救っている暇はない

マリオはゲーム中常に苦しいのです、マリオの中に自分が居るというこの感覚によって違和感不足感が消えないのです。常に憤りを感じゆえになんとかこれを解消しようと前に前に進んでいきます。より高いステージに上がれば人生は向上するはずだ、、この違和感が癒えるはずだと。ところがマリオが感じる感情の全ては根本の不足感を癒すことは絶対にありません。なぜか???この不足感違和感はマリオから生じていないからです。生じているのは本質からです。だからクッパを倒した、レベルが上がった、楽勝だった、、というマリオありきの感情がこれを癒すことはあり得ないのです。

マリオになっちゃった苦しみ

マリオになっちゃった苦しみこそがこの苦しみの本質にも関わらずマリオがこれを解消しようとする動きは本末転倒、意味不明、無理ゲーです。ということでマリオの中には自分が居ないという気づきは起きるその時までこのラットレースは続くのです。だからだから、、途中でノコノコも救わなきゃ、クッパも救わなきゃ、クリボーも、、、は邪念です。

マリオじゃないが分かれば

自分はマリオじゃない、、、これが分かれば、、、、全ての苦しみから解消されます。その時にクッパもノコノコもクリボーも、、、救わなくてはいけない可哀想な人々だということがないこともわかるんです。世界に救ってあげなきゃいけない人々は実は居ないことが明白になります。明晰な意識がそれを露わにします。

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