私を維持する力

トラウマ

トラウマとは記憶です。記憶が支えるネガティブな経験です。このトラウマが多ければ多いほどに当然自我は強くなります、トラウマの主人公は「私」だからです。この「私」はトラウマという記憶に支えられているのですがこの「私」は分離感を作り出しその分離感は苦しみを生み出します。非二元の目覚めとは「自分の不在」ですから、、トラウマの保持はこの目覚めの弊害になります。

全自動

トラウマには多くの場合「加害者」が登場します、なぜ?????この加害者は「私」を加害するのか?????これが最も大きなポイントになります。理由を考えます、、しっくるくる考察ができません。ですが全自動の理解がこれを壊します。つまり何が起ころうとも「全自動」なのです。どれほどの残虐な加害があったとしても「全自動」「全反射」です。そこには主体が存在しないのです。

いやいや

ハッキリと意図的に「加害」をしていたという記憶はありますよ。そうならばそうでしょう、、ですがその意図こそが勝手に自動で反射で起こったのです。犯罪レベルの加害であってもそれこそが「全自動」「全反射」だったのです。そこは疑いようのない事実です。このことが腹の底から分かってきますと過去の恨み、辛み、そねみ、妬み、後悔、、全てが崩れてくるのです。

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