人生とは常にその人にとって完璧

人生=観念

人生はその人にとって完璧です、例え周囲からは最悪の状態、その人にとっても最悪な状態であってもやっぱり完璧なのです。なぜか???それはその人の観念が完璧に反映された世界だからです。その人の目の前にあるのは紛れもなく神エネルギーが漂っています、これは全員同じです。ですがこの神エネルギーがその人の脳内の反映であることも全く平等です。ということでその人の目の前にはその人の観念、価値観が反映された世界が漂っているのです。

人生イコール観念ならば、観念を変えるだけ

たった一つの神エネルギーが目の前に漂い、それは全員同じこと。この神エネルギーがその人の観念によって書き換えられる、、これも同じ。ということでもしも人生を変えたいならば観念、価値観を変えればいいのです。どのようなことを体験したいか、、体験する現実はその人のこれまでの観念が反映されたものです。たった一つのエネルギーが観念によって分離独立し今目の前に出現しています。これが現象化の正体です。

観念で現実が変わるという事実に着目する

最重要事項は、、観念でガンガン現象界を変えていきましょう!ということではなく変わるという事実に隠されたこの世の真理に気づくことです。なぜ観念が変わると世界が変わるのか??ということです。正確には観念を明日から変えようで突然変わるなどありえず、、、観念を変えることよりもその事実に着目することが重要です。我々が小さな神、ミクロコスモスと呼ばれる所以です。マクロコスモス(神)はマクロコスモスのままでは何も体験できずミクロコスモスを創造することで小さな神体験を回収します。

観念が簡単には変わらないメリット

観念が現実を作り出し見せてくてる

観念が簡単に変わってしまったら、見える世界が簡単に変わってしまいますから混乱します。簡単には観念は変わりません、だからこそ多くの人は同じ世界を日々体験しているのです。毎日全く違う世界が広がっていたら人は混乱します。観念が簡単には変わらない=見せる世界も変わらない、、だからそこに集中して取り組めるという話です。

現実という鏡、投影を見て自身の価値観を知る

この世界は大きな神が小さな神体験をする世界です。人間という小さな神がその価値観に則った世界を生きています。小さな神である理由は価値観、観念が変わると見える世界も変わってしまうという変幻自在の世界に生きている、価値観を決めるのは小さい神こと「自分」です。これが小さい神体験です。価値観が変われば世界も変わり経験も変わる、、これを大きな神はやってみたかったということです。

小さい神体験

大きな神は小さい神体験をすることで神が神のままでは体験できなかったことを体験することができるようになりました。大きな神はこれによってあらゆる思考、感情、経験を積むことに成功したのです。だからこそ簡単に悟りを開いてゲーム終了など絶対にありません。簡単にゲーム終了ならばこの小さい神体験を構築した意味がないのです。大きな神は間違いなく小さい神体験を全部体験したいはずです、全部の感情、全部の思考も含め。ということで諦めるしかないのです、楽しいことだけして死ぬことを。

インターネットの世界はこの世を露わにする

ネット上の情報はどこにある???

インターネットを我々は何気なしに使っています。今ではもう若者、大人の生活においてメインになったのは間違いないでしょう。特に子供など遊びのほとんどがネットを介しています。では我々が普段親しんでいるネット上の情報はどこにあるのか???という話です。答えはサーバーということになりますが、、サーバーの中をかっぽじって見れば一体何があるのか???恐らく無機質なチップしかないでしょう。間違いなく情報を閲覧できることはありません、物理的に。つまり我々が普段親しんでいるこの画面、ソフトは物理的には実在していないのです。

我々が見ているこの物理的世界も実在しない

覚者は悟り、、この物理的世界は実在していないことを理解します。インターネット情報と同じ画面上には間違いなく見えますが、、、実在していない、、あるように見えるだけ、、、、これが我々が普段接している世界そのものです。見えるし、触れれるし、香れるし、味わえる、、だけど実在はしていない、、、どこまで行ってもインターネットの世界と同じなのです。幻想だけど楽しめる、幻想だけど苦しめる、、これはネットもこの世も全く同じです。

ネットの中身は実在しないから無視???

ネットの中身は実在していない、、、だから無視でいい、、この意見はピントがズレています。誰もネットを強要されて遊んでいないはずです、皆好奇心、怖いもの見たさでネットを始めたはずです。今では携帯電話にデフォルトでネットがついており使い倒しています。それは便利だから。この人間世界も同じ、大きな神が人間体験をしたくてやっています、実在していないからヤらない、、という話はピントがずれています。

観念がなければこの夢は誕生しない

思考、観念、ビリーフが無ければこの夢は成立しない

思考、観念、ビリーフはこの世界を構築するプログラム言語です。この世界は自身の思考、観念、ビリーフに支えられています。逆にいえば観念が全くなければこの世界はただのエネルギーになります。プログラムがないのですから。この夢、我々が生きているこの幻想は我々が構築したプログラム言語で成立しておりそれが普段の我々の生活、経験、入ってくる情報から成り立っているのです。

人生を変えたければ価値観を変える、人生を辞めたければ思考を手放す

人生を真剣に変えたいのであれば価値観を変えなくてはなりません、価値観が変われば見える世界も変わります、脳が重要というモノのみを見せてくれます。その重要であるという価値基準が変わるのですから見える世界は変わって当然です。ですが価値観を変える、観念を変える、ビリーフを変えるというのはあくまでもこの小さい神のストーリーの中に話であり、このストーリーの中に居る限りは本当の苦しみから解放されることはありません。価値観がなぜ見える世界、感じる世界、触れる世界を変えるのか、、ここにフォーカスしていきますと人間の構築が理解できます。これは神として小さい神(人間)を観察する視点です。主人公が神になります。

視座が変わる

自分の人生というものに圧倒的なリアリティーを感じ、閉塞感、拘束感、閉鎖感の中に居る時人は絶望的な気持ちになります。ですがこの人生は小さな神の体験ストーリーであることを理解し観念、価値観が変わるとこの人生も変わることが理解できますと閉塞感にヒビが入ります、少し隙間ができます。その隙間から光が入ってきます。その光とは大きな神の光です。そして最終的には自分は小さい神ではなく元々大きな神であったという気づきが起こります。

なぜこの物理的現実に圧倒的なリアリティーを感じるのか?

物理的現実は幻想だが、、、神そのもの

スピ好きの多くは勘違いしています。この世は幻想、幻覚、夢、、、だからリアリティーを感じなくていい、、、そうではありません、この幻想は圧倒的にリアルです、なぜならばこの幻想の構成要素は神そのものだからです。神にリアリティーを感じないとしたら一体何にリアリティーを感じればいいのか?という話です。今目の前に見える幻想、物理的現実は神の変化です。ここにリアリティーを感じないわけがないのです。

リアリティーは感じるがその現実の多くが曇っている、ここが問題

究極の現実、リアリティーが曇っている、、ここが問題なのです。なぜ我々が生きているこの世界が曇っているのか???おかしい、、ここに違和感を感じなくてはなりません。目の前に神の変化、神の現象化がるならば、、なぜ曇っているのか???ここが最重要なのです。小さな神である我々はこの変幻自在の現実を曇ってみることさえできるということです。完全クリアー、輝く世界に見ることもできれば完全曇り、ネットリした世界にも見ることができるのです。その鍵を握っているのが観念、ブリーフ、価値観です。

神が曇っている、、、

多くの方はここに疑問を持っていません、なぜ私の神は曇っているのか???です。神は曇った存在ではありません、曇って見せることができる存在です。神は輝く存在ではありません、輝いて見せることができる存在です、人間の前で。今目の前の神が曇っているならばその価値観、ビリーフ、観念から変える必要があります。輝く神になるまで価値観、観念を変えていきます。ですがここで重要なことは観念の中に縛られている間はどこまで行っても観念という檻の中に居るのも事実です。解放とは観念の檻からの脱出です。

観念書き換えによって変化する神体験

この世界は小さな神体験場

観念書き換え、引き寄せの法則、創造の法則、苫米地式コーチング、、この幻想の世界が変幻自在に実は変わることを説く理論は数多あります。そして多くの場合は誤解されながらも言っていることは同じです。価値観、観念がこのたった一つのエネルギーを分離独立させ物理現象化させています。我々は生まれてこのかた脳内映像以外を見たことがありませんし、脳を抜きにした香り、食感、味、嗅りを感じたことがありません。つまり我々は脳が作り出した感覚の中でしか生きたことがないのです。脳がどう感じるかを決めています、事実はそうなっています。その脳内のプログラミング言語こそが価値観です。プログラミング言語が変化すれば感覚は全部か変わっていきます。

味噌汁を美味しいと感じるのは日本人だけ

信じられない話ですが味噌汁を美味しいと感じるのは日本人だけです。海外の方が味噌汁を飲むと塩っぱいお湯に感じるようです。日本人は味噌汁の香り、奥深さ、安心感を飲むことで感じますがそれは日本人の脳が作り出したものです。ですが日本人には非常に美味しく感じるという事実があります。いかに脳の価値観が全部を変えてしまうかの証明です。毎日飲む味噌汁に月1万円の価値を感じるか、、ただの塩っぱいお湯と感じるかの違いが、、、、全部に当てはまると思うと、、、この世に決まった確定事実は一切なく、、、価値観、観念がこの世界を構築していることが分かるはずです。

美人の定義が世界中で違う

男性ならば美人を目の前にすれば心拍数が上がり脳内ホルモンが噴出する、、、当然のことです。ですが世界中で美人の定義が全く違うことからも分かるようにこれは本能だけでは片付きません。先ず大前提に価値観、観念がありそれが「美人」を決めている、、そこから脳内ホルモン、心拍数の変化が起きる、、、究極の欲求の部分でも価値観、観念が確実に関係している証拠です。美人のために億単位の用意をして求婚する、、、しかしの美人とは観念によって全く異なってしまう、、、、人間は自身の生体反応を確信していますがそれも観念が作り出しているのです。これは神による小さな神体験です。

神でないという夢を見る

今まさに夢の中

我々は今夢を見ています、自分が神ではないという夢です。本当は神そのものが神でない姿をしてこの夢の中にいます。そしてこの夢そのものが神であり主人公も人間になり切った神です。神の小さな神ストーリーを生きているのです。見える世界は価値観が反映されそれによってたった一つのエネルギー(神)が分離して見えます。これがこの我々が生きる世界です。

物質的現実こそ夢

物質は実在で、非物質は実在ではない、、これが人間の認識です。ですが実際は真逆でこの物理次元、物理世界こそが夢、幻想です。なぜならば物質があるという有限の世界は理論上破綻しているからです。物があるということはそれを収納するスペースが必要になり、さらにそれを収納するスペースが必要になり、さらにそれを収納するスペースが必要になります。これは理論上破綻しています。ということで我々が見ているこの物理的現実は確実に幻想です。たった一つのエネルギーが物質化(化る)してるだけです。日本語のすごいところは既に漢字が証明しています。ネタバレです。

夢だがそこには意味がある

神がこの夢を作り出したわけですから無駄な夢があるわけがありません。神がこの物理的現実を作るわけですからそこには無駄があるわけがありません。神は小さな神体験をしたかったわけです、神が神のままでは出来ないことをこの夢、物理空間でやってみたかったということです。だからこそこの幻想の中に居るということにリアリティーを持てるのです。幻想ではありますがそれを構成するエネルギーは唯一無二の神エネルギーです。そういう意味では我々はリアルな神の中に居ます。ハッタリ、嘘の世界に居るわけでは断じてありません。

ワクワクとは自己超越

ワクワクすることを結果を期待せずにやる

結果につながらないことは思考はやらせようとしません、全部見返りを考えて行動します。これが思考です。ですがこの状態ですと逆に結果がでないことになります。なぜならば見返りを期待すればするほど思考が強くなり全体とこの個人がん分離するからです。皮肉にも思考を使えば使うほどに全体から分離が進み全体とのバランスが崩れます。結果を期待せずにワクワクすることをすると思考が介在しないため全体との調和が進み、結果が出ます。なぜならば結果とは外部要因でありその外部とは全体だからです。

全体との調和が結果を導く

なぜか上手くいく、なぜかツイテいる、これって結局個人の行動と全体とが調和が取れている状態です。行動を起こす個人の動きが全体と分離しすぎていない状態、、これぞツイている状態でしょう。つまり個人が全体から完全分離していない状態こそが上手くいっている状態なのです。ではどうしたら全体から分離しない行動を取れるか、、これがワクワクです。見返りを期待しないワクワク行動こそが全体と調和が取れた行動になります。

自己超越とはこのこと

ワクワクすることを見返りを求めずに行動するとは、自己超越の状態です。見返りを求める時「自分」という存在が誕生します、なぜならば見返りを受け取るのは紛れもなく「自分」だからです。つまり見返りを求めれば求めるほどに自分が強くなり全体との調和が崩れるわけです。全体と自分を切り離す要素こそが思考であり、思考おフル回転すればするほどに自分が強化されて分離が進みます。

個別体験を積むための機能=エゴ

エゴ、自我は悪者ではない、、

自我、エゴとは個別体験、小さな神体験を積むための機能です。この機能を機能以上に負荷をかけていくとネガティブな反応を起こすようになります。これが人生を苦しめる要員です。とはいえこのエゴ、自我を敵対視すれば人間としての生活ができなくなります。そうではなくこの自我を機能以上に働かせない、これが大切になります。エゴとの調和、自我との調和が整った時にエゴ、自我はまるで無いのでは?という状態になります。これが覚者と呼ばれる人の境地です。今までの自我、エゴとは決別できている状態です。

自我、エゴに余計なことをさせない

自我、エゴが悟りの世界では絶対的に敵対視されてしまうのはこの自我、エゴにあまりに多くの仕事をさせているからです。思考がフル回転、常に作戦を立てる、、全部が全部思考重視、これによってアンバランスを生み出しそのアンバランス分が苦しみを生み出します。人間はエゴ、自我に対し無自覚であるため、、思考フル回転に陥りやすく結果自らバランスを失います。思考する回転は自我全開になりアンバランス全開です。

自我拡大、エゴ拡大に無抵抗

多くの人間は自我拡大、エゴ拡大に無意識です。思考すればするほどに苦しみが生まれますがそこを自覚していません。そのため何か問題があるとすぐに思考をフル回転させ自ら首を締めるのです。そうではなく思考フル回転は自我フル回転であり、、、これこそが苦しみを生み出すことを自覚すべきです。そうすればバランスの取れた自我活動にシフトします。

全ては神の鏡であると考えてみる

神は自身の鏡を沢山設置して小さな神体験を回収する

我々は大きな神の波としても表現できますが鏡としても表現できます。神はあらゆる場所に自身の鏡姿を設置してその鏡姿に独自の体験を経験させました、神が神のままでは経験できないことを鏡を使って行ったということです。全員が神の一側面ということになります。そしてこの鏡姿は独自の体験を積むことができるからこそ多岐に渡る経験を積むことができるのです。

小さな神は神の無限の投影

神は神のままではあらゆる体験、思考、感情を体験することが出来ません。そのため神は自身の鏡を無限に設置することであらゆる姿の神を投影していきました。神の分身を無限に作ったのです。これによって神は神自身を体験するという多岐に渡る経験を享受しました。絶対、無、空には体験したいという意志すらありません、そこから投影された神、ALL THAT IS、全体には自身を知りたいという意志があります。この意志に従って小さな神が出現し今我々のような体を持ってそれを体験しているのです。ですから全感情、全思考、全体験は全て神が望むことです。

自我は画期的なシステム

自我とはこの体、思考、感情を自分とするシステム、メカニズム、プログラムです。覚者はこれを苦の根源と呼びます、勿論その通りです。ですがこれがあるから神は小さな神体験ができるのです。もしも我々に自我が形成されていなければ小さな神体験ができなくなります。神がこの現象界を作り出した意味がなくなってしまいます。自我を残念な存在として敵視するのではなく肯定し受け入れていくことで自我との楽しい共存を意識できます。