神は自身の鏡を沢山設置して小さな神体験を回収する
我々は大きな神の波としても表現できますが鏡としても表現できます。神はあらゆる場所に自身の鏡姿を設置してその鏡姿に独自の体験を経験させました、神が神のままでは経験できないことを鏡を使って行ったということです。全員が神の一側面ということになります。そしてこの鏡姿は独自の体験を積むことができるからこそ多岐に渡る経験を積むことができるのです。
小さな神は神の無限の投影
神は神のままではあらゆる体験、思考、感情を体験することが出来ません。そのため神は自身の鏡を無限に設置することであらゆる姿の神を投影していきました。神の分身を無限に作ったのです。これによって神は神自身を体験するという多岐に渡る経験を享受しました。絶対、無、空には体験したいという意志すらありません、そこから投影された神、ALL THAT IS、全体には自身を知りたいという意志があります。この意志に従って小さな神が出現し今我々のような体を持ってそれを体験しているのです。ですから全感情、全思考、全体験は全て神が望むことです。
自我は画期的なシステム
自我とはこの体、思考、感情を自分とするシステム、メカニズム、プログラムです。覚者はこれを苦の根源と呼びます、勿論その通りです。ですがこれがあるから神は小さな神体験ができるのです。もしも我々に自我が形成されていなければ小さな神体験ができなくなります。神がこの現象界を作り出した意味がなくなってしまいます。自我を残念な存在として敵視するのではなく肯定し受け入れていくことで自我との楽しい共存を意識できます。