神に成りたい??

不可能

神になりたい、不可能です。なぜならば我々は最初から神だからです。神は神以外には一度もなったとことがありません。つまり全てが神です。にも関わらず我々はこの現象界に現れたこの体を「自分」とする感覚を覚えてしまいました。この体が自分なんだという勘違いです。そこから様子がおかしくなったのです。この体が死んでしまったらどうしよう??自分が居なくなっちゃうんじゃないか!!と。鏡に映ったその体を自分を勘違いし勘違いしている期間はその鏡を「神」が見ているのです。自身の全体映像の中の極一部の体を自分と勘違いし震えているわけです。

何やってんの???

何という愚かさ、何という滑稽なギャグを今しているのでしょうか???あり得ない勘違いです。ですがそう思ってしまうほどに神は完璧なのです。神が生み出すこの映像があまりにも完璧だからそうなったのです。ですから最初から何も問題など起こっていません。何一つ問題など起こりようがないのです。最初から神しか存在せず今も神しか存在せずこれからもそうだからです。我々がやることは勘違いのギャグに気づくことです。

全ての観念は偽り

なぜか???

全ての観念は偽りです。観念とはこの世界の見方です。この体、この世界を含めた世界の見方です。そこには一番重要な存在が忘れられておりゆえに観念は全て間違っているのです。我々は認識できる世界の中で「こう思う」という思考を生み出し観念化していくのです。その観念はこの世界に投影されて「その通り」に見えるようになるのです。

一番重要な存在

一番重要でかつ忘却されてしまった存在が真我です。気づきです。これだけが実在です。この実在から光が投影されて「窓」を通り抜けた時世界が誕生します。この窓が意識です。この意識を光が通り抜けて世界が現れます。固定観念は窓の網戸になってそこから起こる世界に影響するのです。真我だけが実在でありそれ以外は全て投影です。

この体

この体を発見した意識によってこの体の中に意識が含まれているとする勘違いの思考が生まれます。これが自我です。この固定観念を持つことでそれはこの世界にそのまま投影されます。自分と相手が存在する世界です。そこからあらゆる観念が増えていきそれもそのまま世界に反映されます。

これをやると楽しい、あれをやると楽しい

そっちじゃない

釣りにハマっちゃって、、最近カラオケに、俺は最近ガールズバーに、、、飲み会での会話です。何が楽しいかの情報交換です。この楽しみって「苦痛」を一時忘れさせてくれるためのツール情報交換です。そっちじゃないんです。楽しいというツールを100持っていれば10持っている人よりも充実しているはずだ、、、というのは誤った勘違いです。10、20、30、40と楽しいかもを持っていても「苦痛」は全くダメージを受けずに残っています。だから焦ってさらに新しいツールを追い求めます。

何かをやると楽しい

何かをやると楽しい、やっていないと苦痛、、この繰り返しを人生と呼びます。これが苦しみの連鎖です。何かをやっていると楽しいというのはその瞬間「自分」を忘れさせてくれるものです。それを楽しいと呼ぶのです。ですが冷静に明晰に観察するとそもそも「自分」は存在しないのだから「自分」を忘れるためのツールって滑稽なのです。理屈にあっていないのです。

冷静に明晰に

冷静に明晰に観察すれば「自分」というのは経験の主体として確実に存在するだろう「想像物」です。ですが真実では経験は起こっても「経験の主体者」は存在しないのです。経験だけです。ですが両親が会社が学校が行為には行為者が実在するのだ!!!と教えました。そのあなたの体が経験したのだ!!!と教えたのです。ですが真実では経験はあっても経験者は存在しないのです。その証拠にあなたは五感、思考、感情以外をここで見つけることができません。絶対にこれ以外を見つけれないはずです。なぜ見つからないのか???存在しないからです。

恍惚状態

自我の解体

構造上自分という存在が存在しないことに気づき始めますと収縮するエネルギーが解放されていきます。脳の奥の方から解放が起こってきます。何かをしなくては!!という衝動が消えます。何もしなくていい、という状態に入ります。何もしなくてもいいのだけど「あれをやろう」は起こりますがもはやここには緊張感や強迫観念は消えています。

経験の度に

知人から挨拶をされます。「挨拶をされる」という経験が起こるためには主体客体が本来は必要だと信じてきました。ですが実はそれが嘘であることがもう分かっています。挨拶は起こっても「私」も「知人」も存在はしません。その時こちらの緊張が変わります。収縮が変わります。経験から逆算された個人の存在が消滅します。経験は起こり続けますが、、「主体」「客体」は存在しないのです。

全滅

主体客体の全滅です。そもそも存在などしていないのです。主体客体が存在するはずだという思考経験の消滅です。経験は起こり続けますが「勘違いの思考経験」が消えていきます。それしかありません。それだけが苦しみを生み出していたのです。頑張って消さなくてはいけない個人など最初から存在していなかったのです。

スマホ

中で

今私のスマホには一つの映画がダウンロードされています。その映画は「スターウォーズ」です。この映画はいつでもどこでも再生できます。スマホの中には映画のデータのみが存在します。そのデータ、これが「私の人生」という映画と全く同じものです。今あなたの人生が再生されているなら、、それはまさに今スマホの中でデータが稼働しているのです。データの読み取りが起こったとき「時空間」が生まれます。ですが実際には時空間は誕生したのではありません。データが読み取られたのです。

じゃあ

だとしたら私の人生ってもう既に完成しちゃってるということですか???そうです。当然です。スマホの中では既に全てのデータが揃っています。今たまたま再生時間55分のところにあるのです。55分というのは時間ですが実際にはデータ読み込みのパーセンテージです。ノンデュアリティ、非二元とは二元ではない、主体客体の世界はない、、という意味ですがそりゃそうです。ただのデータしか存在しないのですから。

データが既にあるなら

データが既に存在してるなら、、何もわざわざこんなスローに再生する意味ないんじゃないですか???だってスマホは読み込みを一瞬でできるのだから。違うんです。このゆっくり読み込むことに意味があるのです。この部位別経験こそが価値があります。部分を経験しなくては全体を全体と知ることはできません。自らは無限だったのだという経験を積むことができないのです。部分にしか全体を経験することができないのです。体の大きさを経験したければ細胞になることです。細胞は体の大きさを知るという経験を積めます。

無限の経験

神というスマホには無限の経験が入っています。我々はこの人生という経験に気づくことでこの経験者は誰なのか???という疑問を持ちます。映画であれば「スマホ」が経験者です。この人生映画の経験者は??神です。神は無限の人生映画を観ることで自らは無限であることに気づきます。

最初から解放されている

牢獄

人生とは牢獄です。逃げ場のない牢獄です。だから悟って目覚めてこの牢獄を抜け出たいと探究者は思います。ですがとんでもないことに牢獄に閉じ込められた「自分」という存在を探し出して救出しようと思っても自分も、牢獄もどこにも存在しないのです。構造的に、物理的に存在していないのです。どこから誰を救えばいいのでしょうか???

経験

この牢獄を経験しているという間違いのない感覚があるのだから経験の主体者が絶対に存在するに決まっているじゃないか!!!と思いますよね???はい当然です。毎日の通勤ラッシュ、残業の日々、休みは死んだように寝て、朝は二日酔い、、この経験の主体者が存在しなかったらこの経験はどうやって存在できると言うのですか???

回答

では回答を言います。経験は100%存在します。ですが経験を挟み込む「自分」と経験の向こう側の「会社」が存在しないのです。経験だけが存在しその両端が存在しません。経験だけが存在しその主体客体が存在しないのです。仕事で疲れ果てても疲れた「私」と「仕事」が存在しないのです。経験のみが全自動で作り出され作り出された経験から逆算して「主体・客体」が存在すると想像しているのです。そしてその想像という経験にも主体客体が存在しません。

そのことで

その勘違い、主体客体が存在しているに間違いない、、というこの勘違いの経験(主体客体なし)こそが苦しみを生み出します。経験には主体客体が存在するはずだ!!という勘違いの経験こそが「自分」という思考経験を生み出し苦しみを生み出すのです。我々は両親、学校ですっかりと騙されました。経験を生み出すには「主体客体」が絶対に存在するのだと。その経験を生み出す存在こそが「あなた」なのだと。これが嘘なのです。完全な犯罪です。

つまり

経験を利用した完全な催眠を我々はかけられ、、その催眠に気づけないからずっと騙されてきたのです。ここで「騙された」という経験には「主体客体」が存在するという刷り込みがあるからまさにここで騙されます。経験には主体者が存在しないのです。だから騙された「私」も存在しません。「勘違いという思考経験」だけが起こったのです。

だから

安心してください。救い出す個人は最初から存在しません。経験には経験主体者が存在するという嘘を信じる経験が起こっていただけだったのです。このブログを「読む」時、読むためには経験者の「私」と「記事」の二つが存在しているという勘違いが起こります。これが罠です。これで完全に騙されてきたのです。このことが完全に腑に落ちますと、、、開放感が起こります。なんだ誰も居ないじゃん、、となります。

善と悪

誰にとって???

善と悪という概念があります。これって地球という星があってそこには人類が住んでいるという大前提での話です。ですが実際には地球も人類も実在しません。ですから善と悪という判断を下される人間が居ないのです。そもそもが崩壊しています。つまり最初から何も起きていないのです。何も起きていないのならば善悪の判断は「思考」のみです。

判断を下す人間

そしてそもそも判断を下す人間も下される人間も存在しません。空間が存在しないのですから。物質も存在しません。何も存在しないのです。でも会社に行けば上司からガンガン判断を下されていますよ、これって事実ですよね???違います。その経験だけが存在するのです。経験の向こうには何も存在していません。上司と部下という実態はないのです。経験を挟んだ向こう側とこちら側が存在しないのです。

未来は既に決まっている

諦める

我々は全くの未知に向かって動いているように感じています。先が分からない未来に向かって進んでいるような感覚を持って生きています。ですが実際には全て決まっています。決まっているというよりも全経験のデータは既に最初からあってその一部一部の読み取りが起こっていただけなのです。これまでがそうだったのですからこれからもそうです。

じゃあ何のため???

では何のための人生なのでしょうか???これは、、意味不明ですよね。なぜこんな経験データが存在するのですか???意味があるんですか????あります。空という無限が我々の本体で、、無限の投影であるこの経験もまた無限に存在しなくてはならないのです。だから無限の経験が既にそこにはあってその一部一部の読み取りがここで行われているのです。

誰が???

誰がこの読み取りを行なっているのですか???誰でもありません。誰かは存在しません。この世界も存在していません。ただこの経験だけが起こっているのです。経験というデータは既に最初から全てあってその読み取りだけがここで起こっているのです。虚しい???違います。このことが本当に分かってきますと何という壮大なプログラムが起こっているんだ、、と愕然とします。

体外離脱

体が存在しない

体外離脱という現象があります。これってなぜ可能なのでしょうか???先ず最初に実体のある体など存在しません。この地球も物質として存在しません。ですから体外に出るもなにも最初からないのです。ですから体外離脱というのはただの経験に過ぎません。経験だけが起こったのです。五感を伴う経験だけが起こりました。誰が???誰がそれを経験したのですか???誰でもありません。経験者抜きの経験が起こったのです。

宇宙の果て

体外離脱経験などを読みますと宇宙の果てまで行ってきた、未来に行ってきた、過去に行ってきた、、など様々な声が聞こえます。これって勿論可能です。時間など存在しませんから、、ただその経験だけが起こるです。空間もありませんから宇宙という空間があるのではありません。ただその映像の知覚が起こったのです。しかもそれには経験の主体が存在しないのです。

データ

意識が過去というデータ、未来というデータにアクセスした時、全てが見えます。私ストーリーという経験のデータが既にあってそこに意識が意識すればそれに触れることができます。そしてそのことが凄いとか凄くないとかそういうことでもなく、、ただそうなっていたというだけです。全ては全自動ですから何か特別な能力を手に入れたのでもないのです。

マトリックスの世界の外に

今出る

悟るのは今、目覚めるのは今、解放されるのは今、、今ここでしかマトリックスの世界の外には出れません。準備を重ねて、この世界の中で何かを頑張って外に出るのだ!!!という思い込みこそが実は罠です。この世界の中で何かを頑張ったら外に出れるぞ!!というスローガンこそが騙しです。マトリックス、言葉で支配された世界の中から言葉の力で出るのは不可能です。言葉こそがこの真の私をこの体というアバターの中に閉じ込める道具です。

小さい頃は分かっていた

小さいころは全員が知っていました、この夢の世界の住人が話す内容こそがおかしくて、、夢の外に居る私が間違っていないことを。この夢の外に存在する私が本当で、、夢の中の住人が話す内容は何か違うことを。みんななんでそんな変なことを喋っているんだろうか???そう感じていたけど言葉にはできない。そんなことを感じていたらいつの間にかすっかり夢の外から夢の中の住人になってしまっていました。窮屈で苦しいこの夢の中の住人の登場です。

時間も空間も嘘

宇宙なんて存在しません。空間なんて存在しないのです。ただこの目の前の夢だけが存在します。この目の前の夢の世界だけが遊び場です。地球の裏側では今大変なことが、、、嘘です。何も起こっていません。目を覚ましてください、これだけが真実です。今ここだけが真実です。時計の針は動きます、ですが動きはしますがその針が指し示す先は「今」しかないのです。今とはこの「夢の世界」のことです。言葉が生み出した分離風世界です。