牢獄
人生とは牢獄です。逃げ場のない牢獄です。だから悟って目覚めてこの牢獄を抜け出たいと探究者は思います。ですがとんでもないことに牢獄に閉じ込められた「自分」という存在を探し出して救出しようと思っても自分も、牢獄もどこにも存在しないのです。構造的に、物理的に存在していないのです。どこから誰を救えばいいのでしょうか???
経験
この牢獄を経験しているという間違いのない感覚があるのだから経験の主体者が絶対に存在するに決まっているじゃないか!!!と思いますよね???はい当然です。毎日の通勤ラッシュ、残業の日々、休みは死んだように寝て、朝は二日酔い、、この経験の主体者が存在しなかったらこの経験はどうやって存在できると言うのですか???
回答
では回答を言います。経験は100%存在します。ですが経験を挟み込む「自分」と経験の向こう側の「会社」が存在しないのです。経験だけが存在しその両端が存在しません。経験だけが存在しその主体客体が存在しないのです。仕事で疲れ果てても疲れた「私」と「仕事」が存在しないのです。経験のみが全自動で作り出され作り出された経験から逆算して「主体・客体」が存在すると想像しているのです。そしてその想像という経験にも主体客体が存在しません。
そのことで
その勘違い、主体客体が存在しているに間違いない、、というこの勘違いの経験(主体客体なし)こそが苦しみを生み出します。経験には主体客体が存在するはずだ!!という勘違いの経験こそが「自分」という思考経験を生み出し苦しみを生み出すのです。我々は両親、学校ですっかりと騙されました。経験を生み出すには「主体客体」が絶対に存在するのだと。その経験を生み出す存在こそが「あなた」なのだと。これが嘘なのです。完全な犯罪です。
つまり
経験を利用した完全な催眠を我々はかけられ、、その催眠に気づけないからずっと騙されてきたのです。ここで「騙された」という経験には「主体客体」が存在するという刷り込みがあるからまさにここで騙されます。経験には主体者が存在しないのです。だから騙された「私」も存在しません。「勘違いという思考経験」だけが起こったのです。
だから
安心してください。救い出す個人は最初から存在しません。経験には経験主体者が存在するという嘘を信じる経験が起こっていただけだったのです。このブログを「読む」時、読むためには経験者の「私」と「記事」の二つが存在しているという勘違いが起こります。これが罠です。これで完全に騙されてきたのです。このことが完全に腑に落ちますと、、、開放感が起こります。なんだ誰も居ないじゃん、、となります。