心の平安???

そんなものはない

心を穏やかに、心を静かに、心を健やかに、、、、ありません。あり得ません。不可能です。心とは思考とは感情とは、、それそのものが全自動であり、勝手わがままであり、風来坊であり、、NOコントロールです。だからここを優秀な生徒にしようとすればするほどに不良化します。思考が不良になります。心が悪者になっていきます。思考とは「自分」ではないもの、自分では全くコントロール出来ないもの、、と気づく、、これ以外にありません。

その気づき

心自体が全くの自然現象に過ぎない、森羅万象の動きに過ぎない、、これに気づいた時、思考を全くの他人事、絵空事のように付き合えるようになります。どんな思考が現れても全く気にならなくなります。今日は心が荒れているなー程度に思えるのです。つまり心、思考、感情を全く相手にしないのです。それは現れては消えていく風のようのものです。そして本当の自分はこれを観察するものです。心とは全く違う次元に存在する(方便)存在なのです。心を超越する存在だからこそ心の動きに今まさに気づいています。

荒廃する心

大変な惨事に遭います。大変できつくて、苦しくてやばい事件です。心は半端なく荒れ果てていきます。やってやれるか!!!死んでやる!!!私が死んでしまえばいいのだ!!!この心の動き、、この動きに気づく存在は、、、全くのNO ダメージです。何一つダメージを受けていません。心の動きを完全完璧に捉えています。そうなんです、心は荒れ果ててパニック状態でもそのことに気づく気づきは何一つ変化することなくここに在ります。この真我と呼ばれる気づきから「荒れた心」が息子として生まれました。息子の悪行に何一つ影響をされない親である真我こそが我々の本質であり、息子はただの投影です。だからいいのです、息子の悪行は遊びです。そして悪行、善業というのは「偽りの自分」にとってであり、真の自分に目覚めてしまった瞬間「善悪」という概念が無力と化します。

虚無ではない

生そのもの

小さい子供は「生」そのものを生きています。大きくなっていきますと生そのものではなく「概念」を経験し始めます。「この行動はある目的のため」の経験に変わります。生が「概念の生」に変わります。「言葉が生み出す生」を生きるようになります。概念を経験するのです。概念に閉じ込められていきます。牢獄に閉じ込められていきます。目的のための生は、思考のための生です。生そのものが変容するのです。自ら苦しみに向かって「生」が変異していくのです。

催眠術

これは言ってみれば催眠術です。生まれたその瞬間から催眠術に掛かるような誘導が行われ続け気づけば完全に概念を生きているのです。記憶が生み出す生を生きているのです。誰が????思考が生み出した「私」です。記憶が生み出した私です。ですが当たり前ですが記憶が生み出した私は「思考」ですから経験者には絶対になれません。つまり記憶が生み出した「私」が経験したのだという更なる記憶が起こるのです。

記憶の直接解除

この催眠術はどこで起こっているのか???空間は存在しないのです。どこでもありません。ですがこの催眠術の記憶はホログラムとして体に貯蓄されていきます。ですからこの記憶から体が抜き去ります。体の中に埋め込まれてしまった体の記憶「凝り」を取っていくのです。するともうその記憶が既にないのだから感情が生み出されなくなっていくのです。

イベント

誕生日

私の誕生日を忘れるなんて最低!!結婚記念日を忘れるなんてどうかしてる!!!今日は息子の誕生日よ!!絶対に帰ってきて。。。。。世間では記念日を忘れるのは死刑なみの重い重い刑を課せられます。なぜでしょうか????なぜですか????これ普通に思っているししっかりしている方が良識ある社会人に見られます。ですが私からすれば「イベント重視」は私の物語重視です。つまり重く重くストーリーにどっぷりハマっています。その人生が退屈だから「イベント」を重視します。私が生きているという実感を作りたくて、私を実感したくてそこに心血を注ぐのです。

ですが

ですが真実では私の物語というのは「記憶」です。思考です。心です。「私の物語」−「記憶」=ゼロです。何も残りません。「私の物語」ー「心」=ゼロ、0です。何も残りません。そのことが概念ではなく「分かって」きますと「実感して」きますとイベントに関心が向かなくなります。イベントが私の物語に花を添える置物なのだということに気づきます。結婚式のウェディングロードです。盛大な道を作りたいから、それが私を証明するのだから頑張ってそこに穴を空けてはならないのです。

生きるを生きると

概念の物語ではなく「生」そのものを生きるようになりますと「イベント」に夢中になる感覚を忘れていきます。なんであんなにイベントを重視していたか覚えていないのです。なぜならば今この瞬間が「生」そのものであり「生」そのものに重要な瞬間も重要でない瞬間もないのです。体からカルマが消えていき呼吸が深くなってきますとこの感覚を実感できるようになります。

こだわり

強迫観念

全ての強迫観念は手に入れた瞬間消える運命にあります。「美人でなくてはならない」「健康でなくてはならない」「安定でなくてはならない」「格好良くなくてはならない」「モテなくてはならない」「お金持ちでなくてはならない」何を持っても自由です。何でもいいのです。ですが現れた瞬間それを手放さざるを得ない現象が次々に起こります。

現象界

この現象界は幻想の世界です。実は空間も時間も何もありません。ですから「幻想」なのです。何もないのです、本当は。。。。そして現れた幻想は必ず消える運命にあります。どこかでは必ず消えます。太陽も地球も月もどこかでは必ず消えます。現れてしまった以上必ず消えるのです。強迫観念もその一つ、思考の「私」もその一つです。

俺の彼女は綺麗でなくてはならない

強迫観念

俺の彼女は絶対に綺麗でなくてはならない、、そのような強迫観念を持っていますと、、、、、付き合った絶世の美女が性悪が最悪、、、付き合った途端に激太り、、、付き合う過程で必ずフラれる、、、、などの現象が次々に起こります。それがエンドレスに続いた時「もういいや」「彼女なんて美人とか美人じゃないとか」どうでもいい!!!が起こるのです。その瞬間、、何かが変わります。性格が良くて美人な彼女が近寄ってくるかもしれない、、、もしくは外見に全く関係なく最高の彼女ができるかもしれない、、、

円満な家庭に見えなくてはならない

有名人

素敵なお母さんという雰囲気を押しにする「有名人」は、、、「周囲から家庭は円満に見えなくてはならない」「素敵なお母さに見えなくてはならない」という強い強い強迫観念が起こります。絶対にうちで揉め事は起こしてはならない、こうなります。するとどうなるか?????息子が非行に走ります。旦那が外で浮気します。娘が男遊びをし始めます。もう分かりますよね。。。。その強迫観念は「現れて」しまったのですから消える運命にあるのです。その脅迫観念が消え去るような手放さざるを得ないような「現象」が次々に起こるのです。

もういい

そのような事件が次々に起これば、、、「もういいや」が起こるでしょう。もう素敵なお母さんキャラの有名人を手放します。週刊誌で散々叩かれて、、、もうそんなキャラは既に崩壊し、、、そこで思うのです。世間からイメージされる「素敵なお母さん」でいなければという強迫観念が消えます。その瞬間息子の非行、旦那の浮気、娘の男遊びが消えるかもしれない、、、、もしくはそれが仮に続いたとしても「気にならない」が起こります。

DV

例えば

例えばあなたが旦那さんからDVを受けているとしましょう。スピの世界では「全てはあなたの責任」となります。これは実は事実です。だから全てを受け入れるべきだ???となります。ですが私は断言します。そのDVは即刻終わらせていいのです。一瞬で終わらせて大丈夫です。警察に毎回通報します。被害を受けた瞬間に警察に連絡します。それをお勧めします。ですが残念ながらそれがなかなか「出来ない」。ここ最重要事項です。なぜ出来ないか???ここが今回の最重要ポイントです。

離婚はすべきではない???

あなたがご両親から「離婚はすべきではない」こう教育を受けていたとしましょう。絶対に何がなんでも離婚だけはすべきではない、こういう教育を受けてきたとしましょう。。するとこの固定観念を壊すべき現象が次々に起こるのです。なぜ????なぜ??????それはその固定観念は「現れてしまった」のだから消える運命にあるのです。その固定観念を消すためにあらゆる現象が起こり続けるのです。その一つがDVです。

だから

だからあなたは「警察に通報する」という行動を取れないのです。警察に通報し大ごとになってしまったら「離婚」になってしまう可能性がある、、、これを恐れています。このことを恐れて出来ないのです。非常に残念ながら「離婚はすべきではない」と思っている限りは離婚をしなくてはならないゆうな現象が嵐のように起こり続けます。

離婚でいいや

あまりにもあまりにもDVが激化した時、、、もう「離婚でいいや」が起こります。ここまで酷いなら離婚しよう、、、そう100%思えた瞬間旦那の暴力が終わるかもしれない。もしくは「警察に通報する」ことになんのためらいもないため即刻そのDVは終わります。こうして「離婚はすべきではない」という固定観念は見事消え去ったのです。

体は放置しても大丈夫

心は??

あなたは血の流れをコントロールしていますか???全くコントロールはしていませんが何も問題が起こらず血流は全身を巡っています。肺の動きも、細胞分裂にも関わらなくて一切が自動で起こっています。では心はどうですか??心はいつも不平不満、悩み、考えたくもないことを考えていませんか???問題が起こっていますよね。そうです。心の動きは常に問題を抱えています。なぜでしょうか??なぜ???

意識

意識は最初から体を超えた存在です。だから体は問題を起こしません。ですが意識が思考の次元にチューニングを合わせた時、思考に意識が飲み込まれ渦のような状態に居るのです。思考を「自分自身」と意識がチューニングを合わせた時、思考の渦が起こるのです。意識は思考の次元には存在しません。意識こそが全ての源流です。その源流が「思考」に意識をチューニングし思考が作り出した「私」と合致させた時苦しみの渦が起こります。意識が自身は思考を超えた存在であると思い出した時思考の動きに翻弄される意識ではなくなり思考が支配下に置かれるのです。どんな思考が起こっても構わないという境地に至ります。

私は渋谷に行った

イメージ

我々は記憶が一切なくなってしまった時「渋谷駅に行く」という行為ができません。誰か他人がその人を無理くり下北沢から渋谷に連れって行ったとてその人の中に「渋谷に行った」という経験は絶対に起こらないのです。つまり記憶が消えれば経験が消えます。記憶なしには「何をした」という経験は絶対に絶対に存在しないのです。ここから空間がないことが証明されてきます。記憶なしには経験が一切起こらないということこそがここには何もないのです。ただ五感という経験が現れ、思考という経験が現れ、感情という経験が現れでています。どこで???どこでもないのです。空間が存在しないのですから。

つまり

我々は一度もどこにも行ったことがないのです。どこにもです。生まれて死ぬまでどこにも行かずに死にます。生まれでるという経験も思考の経験です。何も起こっていないのです。実際には。空間時間もなくただ五感、思考、感情のみが起こり経験のみが作り出されています。そしてその経験は時空間とは一切関係ない存在真我によって気づかれるのです。気づきから生まれた「経験」だけが現れて消えています。だから悟ると「私は一度も生まれていないし死にもしない」と言うのです。

汚れた世界

何で???

私の世界が汚れています。政治事件、経済摩擦、汚職、芸能スキャンダル、自殺者多数、、、これはなぜ汚れているのでしょうか???なぜ???なぜならばあなたの心がそれを生み出したからです。それ以外に一切そうさせる力がありません。不可能です。先ず空間が存在しないのです、ですから汚い世界はあなたの心以外に生み出すことが不可能なのです。空間が存在するならば心と世界は分離しているかもしれません。ですが空間自体がないのですから世界の所在地は「心」以外にないのです。

空間がないのならば時間もない

空間がないのですから時間も存在しません。となれば今こことは「心」が今そう作り出した以外にありません。ただ移り変わる心が生み出す「世界」がここに広がっています。移り変わる世界が認識され心から時間という感覚が生み出されるのです。それだけです。こうして勘違いの観念が崩壊していきますとその崩壊した観念の後に残された観念から世界が起こります。さらにまた勘違いの観念を崩壊させますとさらに小さな観念から世界が起こるのです。

最後には

最後には観念が消え去り、、記憶によって分断して見える世界のみが残ります。そこには自分という個人は存在せずアイデンティティのみが残ります。世界が起こればそのままに認識が起こります。ただ移り変わる「今」「ノンデュアリティ」「非二元」「現在=プレゼント」があるのみです。