スマホ

中で

今私のスマホには一つの映画がダウンロードされています。その映画は「スターウォーズ」です。この映画はいつでもどこでも再生できます。スマホの中には映画のデータのみが存在します。そのデータ、これが「私の人生」という映画と全く同じものです。今あなたの人生が再生されているなら、、それはまさに今スマホの中でデータが稼働しているのです。データの読み取りが起こったとき「時空間」が生まれます。ですが実際には時空間は誕生したのではありません。データが読み取られたのです。

じゃあ

だとしたら私の人生ってもう既に完成しちゃってるということですか???そうです。当然です。スマホの中では既に全てのデータが揃っています。今たまたま再生時間55分のところにあるのです。55分というのは時間ですが実際にはデータ読み込みのパーセンテージです。ノンデュアリティ、非二元とは二元ではない、主体客体の世界はない、、という意味ですがそりゃそうです。ただのデータしか存在しないのですから。

データが既にあるなら

データが既に存在してるなら、、何もわざわざこんなスローに再生する意味ないんじゃないですか???だってスマホは読み込みを一瞬でできるのだから。違うんです。このゆっくり読み込むことに意味があるのです。この部位別経験こそが価値があります。部分を経験しなくては全体を全体と知ることはできません。自らは無限だったのだという経験を積むことができないのです。部分にしか全体を経験することができないのです。体の大きさを経験したければ細胞になることです。細胞は体の大きさを知るという経験を積めます。

無限の経験

神というスマホには無限の経験が入っています。我々はこの人生という経験に気づくことでこの経験者は誰なのか???という疑問を持ちます。映画であれば「スマホ」が経験者です。この人生映画の経験者は??神です。神は無限の人生映画を観ることで自らは無限であることに気づきます。