敵も味方も、、

この夢の中では、、、

この夢の中では敵も味方も登場します、、、周囲全員が敵になることもあれば、、周囲全体が見方になることも、、、夢の展開は全く予想が立たず、、、、だからこそ今味方に囲まれていても先が見えず苦しい、、今敵に囲まれていてもいつかは変わる、、このように生きています、、、いつになったら本当の安心が来るのか????来ません。。そして来ないことを分かっている、、どこかで。どんなに味方に囲まれても、、その状況も飽きる、、が湧いてきたりする、、もう手に負えない、、、正解がない、、、

夢だと気づく。。

なぜこの現実の世界では本当の幸福は手に入らないのか???疑問、、、何かがおかしい、、、ほどほどの幸福でいい、、そう考えても、、そのほどほどの幸福が一番難しい、、、生きるとはこんなもんだよ、、、で満足出来る人はそれでいいのです、、ですがそれができない人もいる、、、、そのような人に悟り、ノンデュアリティのメッセージは刺さります、、これは実は夢、、、夢を見ている自分がこの体の中に居るという誤解がこの苦しみを作っている。

それならば全部腑に落ちる

なぜ2歳、3歳、4歳ぐらいまでは全く不安なく、、楽しく生きていたのに、、、なぜ小学校に進むころから、、苦しみが湧き始めるのか???やっと納得できる答えが手に入ります、、、何も成し遂げていなかった幼少期が一番幸福だった、、、だか今何かを成し遂げようという試みは無駄に終わる気がする、、その通りです。この夢を現実だと思い込むようになってから苦しみが湧き始めたのです、、この体の中に自分が居て現実社会を生きていると固く信じるようになって苦しくなったのです。本当はこれは夢でこの私は夢を見ている存在、、この体の中に居るのではなく、、、この体を使った夢を見ているだけ。。

夢の中でこの体を体験してるだけ

幼少期はこの体の中に自分が居るとは思っていなかったのです、、全部が自分、、物も植物も、何もかもが、、要は悟った状態です、、、ところが、、、この体には名前が付けられ、、あなたは〇〇だと学習させられ、、この夢を〇〇として生きていくように指導され、、いつ間にか、、これは現実で、、〇〇を生かすためには勉強をしなくてはならないとなり、、徐々に苦しくなったのです。本当の自分とは今夢を見ている存在です。この体の中には居ません。

誰も先が読めない世界

それが夢

我々が毎晩みる夢は誰もが予想がつかない転換になるはずです、、誰しも完璧なシナリオを用意できないはずです、、私はいつも完璧なシナリオに沿った夢を見る、、、聞いたことがありません、、実はこの現実の世界も同じ仕組みでできています、、誰も先が読めない世界、、ただしこの世界の化学反応をある程度読むことはでき、、それを予想することはできます、、天候、四季、地球の位置、などなど、、、。ですがその状況になった時にこの体から湧く思考、感情は予想がつかない、、この行動も含め全く読めない世界なのです。

状況も読めずその状況をどう感じるかも読めない

現実というこの夢は夜見る夢同様に全く先が読めません、、さらにその状況を目の前にしたこの体から湧く思考、感情、行動も全く予想がつかない、、いやいや、、私はどのような状況でも思考、行動をコントロールできると今考えているとしたら、、、それは大嘘つきです、、、そのようなことができる人間は居ません。できないことを知っているから皆将来が不安なのです。

先が読めず、、この体の中に居る自分も分からない世界

信じれるのは自分だけ、、、残念です、、、そう強固に信じている人ほど不安で苦しむことになるでしょう、、、真実とかけ離れているから、、、この体の中の自分は、、思考も行動も、情動も感情も何もコントロールできない、、これが真実です、、だから人生は苦しいのです、、それを分かっている2歳、3歳児だけが本当の安心の中にいます、、、全く先が読めない世界で、、この体に湧く思考も行動も全く読めない、、ただし、、、この現実は夢で、、、夢を見ているのがこの自分であるというパラダイムシフトが起きますと、、不安がぶっ飛びます、、夢なんだ、、そしてこの夢自体を見ているのが自分なんだ、、そしたら何も手に入れる必要がないし、、何も不安に思う必要もない、、、だって夢だから。

人格者になれば、、

霊的進化も何もかも

この夢の世界で物理的欲求を満たせば幸福になれるという試みは完全に打ち砕かれます、、欲しいものを手にした瞬間だけが幸福になり次の瞬間にはもう元に戻ります、、これを何度も繰り返すうちに人は物理的欲求ではなく、精神的欲求を追い求めるようになります、、地位名誉称賛などです、、ですがこの試みも完全に打ちのめされ、、次は霊的進化、人格者の道に入っていくのです、、ここまで辿り着く人は稀です、、、ですがこの道も全くもって不毛な戦い、、辿り着くゴールなどない、、、となるのです、、、

何かを成し遂げるではない

何かを成し遂げるという試みは全部打破され、、ほとほと困ったときに悟りのメッセージが響くようになります、、個人の達成では何もなし得ない、個人は不在である、、これは夢である、、今この瞬間しかない、、これらのメッセージは達成達成を試みてきた人々に届きます、、何かここに最後のチャンスがあるのでは、、、もう山を登りたくはない、、、です。

実はこれが夢

この現実の世界で、、という大前提が間違っていた、、これは完全な夢、、そしてこの夢を見ているのは誰???この私、、、そしてこの体の中に居るつもりだった私は、、実は夢を見ている存在だったというシフトチェンジ、、だとすると、、、この体はただの乗り物、、そして周囲の人間もただの乗り物、、何一つ深刻な事件はなく、、ただ淡々と夢が展開していく世界、、、ここが私のいる場所、、、、という気づきが起き始めるのです。

探求者

子供の時の感覚を覚えている者

2歳、3歳児はまだ、、これが夢だと分かっています、、この夢を見ているのはこの自分一人で、、、全部自分が作って自分がそれを見ているのを実感しています、、ですから不安感がない、、万能感、、しかないのです。それは全部が全部自分がこしらえた物事だからです。。その中にこの体があり、、楽しんでいるだけ。。朝起きて寝るまで楽しむだけ。この記憶が残っている大人が探求者になります、彼らは、、この現実と称される世界の常識に違和感を感じる、、何かが違う気がする、、、何かおかしい、、本当はこんなんじゃないのでは、、

社会人になると

社会人になると鮮明にこの感覚が蘇ってくる、、それは会社などが徹底的に現実のルールを押し付けてくるから、、もう違和感では済まない、、、受け入れるか受け入れないかの強制収用、、それでもなんとか社会に合わせ生きていく、、でも辛い、、、しかし何が辛いかを言語化できない、、このもどかしさ、、、この状態が極限まで来ると彼らは本当の探求者になります。

悟らないと終わらない

社会に迎合し、、あらゆることを頑張った、、何年か働き、、地位も手に入れた、、家庭も、家族も、、、だが何かが足りない、、この何かは、、、この延長線上にはない気がする、、、、これが悟りへの入り口です、、、この体の中の個人が主人公の幸福探求ゲームは終わりがない、、、このままいくとこのまま死ぬぞ、、、そこまで追い込まれますと、、、悟りのメッセージが届くようになります、、

登場人物とのズレ

自分は夢だと気づいても

この現実が実は夢だという突然の気づきが起きれば、、、この体の扱いが変わります、、感覚がどうしても変わる、湧いてくる言動が変わってしまう、、これはコントロールができない、、すると周囲との人間関係にズレが生まれます、夢の中で。周囲が焦る状況で焦ることができない、、周囲が怖がることを怖がることができない、、、何を考えているか分からないと周囲から思われる、、こうなるのです。。。価値基準が個人の幸福ではなく、、夢を観る傍観者の幸福に変わる、、夢を観る傍観者感覚での衝動が始まる、、、

私の場合は、、

私の場合は、、人間関係を大切にしようという感覚が無くなりました、、、この言葉は誤解を産むのですが、、慎重にしてまで付き合う興味がなくなりました、、、気を使ってまで付き合おうという気合いが無くなる、、なぜならば夢の登場人物は、、これを現実であるという前提で生きていますから、、価値観が合わなくて当然なのです、、無理をして合わせるのが一番辛い、お互いに、、となりました。ですからある程度の距離をとって話を合わせるだけの存在になっていったのです。

探求者

探求者とは話が合います、、探求者はこれが夢っていうのはなんとなく分かった、、だけど腹落ちしない、、このような状態の人々が多く、、ここには私は貢献ができる、、そして価値観も合いやすい、、、となりました。この現実って本当は夢なんですか???これには答えられる、明確に、、体に溜まった感情を手放し、、言葉からの理解が腹落ちできるように導くことができます。

朝起きると個人ではもうない

ある日突然

これが夢であるという気づきが起きますと、、、朝目を覚ました時に、、、個人ではない自分が居るのに気づきます、、通常は目覚めと同時にこの体の中の個人であるという感覚が戻ってきます(湧く)、、ですが夢であることに腹落ちしますと、、朝個人ではない自分で居るのです。。。体との同化の終焉です、、、この体の中の住人としての私ではなく、、この夢の傍観者としての私の誕生です、、この状態は静寂に包まれ、、全く焦る今までの自分が居なくなります、、何かを成し遂げたり、何かを追ったり、、何かアクションを取らなくてはならない自分がもうそこには居ないのです。

焦らない自分

焦っているのが当たり前だった自分が、、焦らない自分に変わります、、もうこの体の中の自分ではありませんからただの傍観者としての自分がただこの体の衝動を感じるだけです、、勿論、シャワーを浴びる、食事をする、、仕事の準備をするなど、、、衝動は起きます、、ですがこれは焦りや責任ではもはやないのです、、、衝動に従うだけです。

焦りたくても焦れない

これが夢であると分かってしまって逆にどうしたら焦ることが出来るのでしょうか?これが映画だと分かってしまってどうやって深刻に観ることができるのか?という話です。最初はそうはいってもこの体を生かせていかなくてはならないのだから、、いざとなったら焦るのでは??と疑問が湧きましたが、どうやら違う、、そんな生優しいものじゃない。。。これが本当の理解、パラダイムシフトです。

五感で感じていたのは、、この私ではなく、本当の私だった

「今日は良い日だな」は誰が感じてる?

今日はいい日だなー、、、この感情を感じてるのは誰でしょうか???この体の中に居る自分ですよ、、確実に今感じましたから、、、、違います、、、本当の自分が今感じたんです、、本当の自分ではなく、、間違いなく私が感じましたけど、、、違います、、その私が本当の自分なんです。????そうです、、あなたこそが本当の自分、この夢の創始者、この夢の観察者です。いや、、私はこの体の中の住人に過ぎない、、その証拠にこの体の中の感覚しか持っていない、、あの人の感覚も、、あそこの人の感覚も持ち合わせない、、

この夢は、、この体が主人公の夢

そうです、、、この夢はこの体が主人公になっている夢なのです、、ですからこの体が感じることだけを感じる、、この体が向かう場所だけが出現される、、この体が味わう物だけを味わえる、、そしてその全てを回収し、起こす存在がこの私です、、、私が経験していない経験はない、、、ですからこの体が感じる全てはこの夢の観察者である私が感じているのです、、体の中に居ると思っていた「私」は実はこの夢の創造主、観察者です。

その証拠に

その証拠にこの体の中を何十兆円とお金をかけて調査しても、、この私は出てこないですよ、、居ないんですから、、、じゃあどこにいるのか???夢全体こそが私です、、、鳥の声が起これば、、夢全体としてそれに気づき、、友人が現れれば、、夢全体としてその存在に気づきます、、、この体の中から思考が湧けば当然気づく、、、友人に会えて最高、、、に気づく、、今日は会いたくなかったなー、、、に気づく、、ということです。

それが分かって何か意味があるのか???

その質問が出ている時点で分かっていません、、、これまで現実だと思っていたのが夢で、、しかもこの体の中には居ると思っていた自分が、、夢を見ている当事者だった、、、この気づきは驚くほどの感情を変えます、思考を変えます、、行動を変えます、、、なぜならばもうこの体に執着ができない、、この体に執着できなければ、、もうこれは遊びになってしまう、、今まで真剣に深刻に生きてきたのが、、、お気楽な遊びになってしまう、、、ということです。

今夢を見ているという実感はあるか

多くの人はない

多くの人はこれが夢だという実感が全くないでしょう、、それは当然そのようなことを言う人は全く居ませんから、、、そして悟りの覚者が言う「これは夢だ」というメッセージに出会っても、、、色々な修行を重ねるとそれが分かるようになるんですね!とその言葉を深読みし、、悟りを遠い未来の場所に設定します、、、ですがその思惑、戦略こそが悟りを遠ざけるための覚醒を遠ざけるための思考なのです。

これを夢だと思って生活してみる

これを夢だと思って生活してみてください、、すると直ぐに大きな気づきが生まれます、、誰がこの夢を見ているんだ????見ているとしたら一人しか居ない、、、それはこの自分だ、、、、でもこの自分が夢を見ているとしたら、、この体の中の自分は一体誰だ???この体の中で自分をやりながら夢を自分で見ているのか???確かに夜みる夢でも同じことをしてる、、、すると、、、この体の中の自分が本物ではなく、、、夢を見ている自分こそが本物だという気づきが起きます。

夢を見ている自分がただこの体の中に居るという勘違いをしていた

要はこういうことです、、、これは夢で、、私がこの夢を見ている、、そしてこの夢にはこの体が主人公として登場し、夢を見ている自分がこの登場人物であるこの体に成り済ましていただけだったんだ、、ということです。この夢の展開は、、夢を見ている自分には全くコントーロが起こらず展開し、、この体も例外ではない、、あらゆる思考が湧き、あらゆる行動が湧くが、、これはただ起こっているだけで実は誰もコントロールしていない、、ただし「自分がやっている」という思考も湧き上がるので、、そう信じる、、が起こっている、、この夢の中で。。

I AMは常に今在る

この夢はI AMが見ている

この夢の傍観者はI AMです。この存在が熟睡から起きると経験を回収していきます、実は夜寝ている時の夢もこのI AMが傍観者として経験を回収しています。夜見る夢は、、全く無駄のではなく、、この夢の延長線上にある夢なのです、、、そして全部が全部I AMが回収しています、、夢の中で起きる全部の出来事をIAMが回収するのです、、、全出来事ですから、、この体から湧く思考の全て、、感情の全て、経験の全て、登場人物の全行動、、です。

夢(現実)の中で夢を見る

これは夢です、、この夢の中で、、この個人は思考を繰り返したりします、、この思考フル回転状態とは夢の中(現実)でさらに夢を見ている状態です、、誰がIAMです。夢中毒状態です。その思考の内容とは全部が全部この体の中にいることになっている「自分」が中心に思考される、、完全なる勘違い状態、孤独感が湧き出す、、これをIAMが感じます、回収します、、、夢の中にこの体があり、この自分がその中にいることを完璧に信じた状態、、自分という真我を自我に切り替えた状態、、苦しいが湧く状態です。

「苦しい」がこの夢を気づかせる

これが夢だという気づきは、、苦しいという感情の回収が大きく作用します、、苦しいという感情が、、夢を見る私を、、この個人という体の中の存在を解体させます、、、この体の中の自分に構っていると異常に苦しいぞ、、という気づきです。。さっきから思考フル回転でいるがなんか凄い苦しいぞという気づきです、、なんか分からないが、、この体の中の自分に構わない方が、、楽だけどなぜ???すると悟りのメッセージが響くようになります、、個人が不在であり、これが夢だというメッセージが腑に落ちるのです。

他人の感情はどう対処するのか??

夢の中の登場人物

正直に言いますと、、、夢の中の他の登場人物から生じる感情は、、縁起、、、つまり反応につぐ反応が起きているだけであって、、どうにもこうにもなりません、、ただこの夢の中であらゆる化学反応が起き続け、、続いていきます、、この世界の中で楽に生きるには、、、そこを見抜く以外に方法はない、、一人一人を幸福にするなど全くもって不可能です、、夢ですから。。

何が起きても夢だと見抜く

何が起きても、、これは夢の中での出来事です、、ここは絶対に変わらない、、、この体も、他人の体も、、全感情、全行動、全衝動、、が夢の中で起きています、、そしてこれを経験しているのは夢を見ているこの私だけ、、です。ですから、、、他人が深刻に悩んでいても、、その感情を味わっているのは自分、真我、神しか居ないのだという絶対的理解が必要です。

だから大丈夫

苦しむことができるのは神だけなのです、、神しかそれを味わう権利がないのです、、神が苦しみ、神が悲しみ、神が困惑しています、、なぜ神を心配する必要があるのか???ないのです。神はいつでもこの苦しみを終わらせることができます、、神ですから。ということでこれが夢だと悟り、、この夢の中でただこの夢を堪能していく旅にでます、、ただし堪能というのは何か???私がこの夢の創造主であり、経験者であり、夢のスペースであるという気づきを深めることです。