朝起きると個人ではもうない

ある日突然

これが夢であるという気づきが起きますと、、、朝目を覚ました時に、、、個人ではない自分が居るのに気づきます、、通常は目覚めと同時にこの体の中の個人であるという感覚が戻ってきます(湧く)、、ですが夢であることに腹落ちしますと、、朝個人ではない自分で居るのです。。。体との同化の終焉です、、、この体の中の住人としての私ではなく、、この夢の傍観者としての私の誕生です、、この状態は静寂に包まれ、、全く焦る今までの自分が居なくなります、、何かを成し遂げたり、何かを追ったり、、何かアクションを取らなくてはならない自分がもうそこには居ないのです。

焦らない自分

焦っているのが当たり前だった自分が、、焦らない自分に変わります、、もうこの体の中の自分ではありませんからただの傍観者としての自分がただこの体の衝動を感じるだけです、、勿論、シャワーを浴びる、食事をする、、仕事の準備をするなど、、、衝動は起きます、、ですがこれは焦りや責任ではもはやないのです、、、衝動に従うだけです。

焦りたくても焦れない

これが夢であると分かってしまって逆にどうしたら焦ることが出来るのでしょうか?これが映画だと分かってしまってどうやって深刻に観ることができるのか?という話です。最初はそうはいってもこの体を生かせていかなくてはならないのだから、、いざとなったら焦るのでは??と疑問が湧きましたが、どうやら違う、、そんな生優しいものじゃない。。。これが本当の理解、パラダイムシフトです。

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