感情とは思考の確認ツール

思考が体に反応し感情になる

人生を豊かにするために「この体この思考が自分」という思考を脱洗脳しないといけない理由はこの思考が一日中ある感情を生み出すのです、それが寂しいです。思考は体に反応して感情を作り出します。ですからこの大元の思考をどうにかしなければ何をやっても結局はさみしい、孤独が解消されないのです。この感情を味わわないように、、人間はあらゆり行動を起こしてこれを感じないようにするわけですが結局はこの感情の処理に人生を費やし続けることになります。

孤独、不足感、寂しい

思考が作り出す感情を感じたくないがために人はあらゆる行動を通じてこれを解消しようとします。お酒、ギャンブル、買い物、暴飲暴食、高級品、地位、名誉、、などなど、、、、埋めてくれるかもしれない何かに向かってさらに思考を巡らせ、行動を巡らせていきます。ですが思考と言っても「この体、この思考が自分」が主語ですからこれを前提にした思考は全て孤独感、分離感、虚無感を起こすという負のスパイラルに入ります。ですがそんなことは知るはずもなく、、思考活動をフルスロットルさせるのです。

苦しみを終わりにしよう

ネガティブな感情は思考が作り出す、、そして今ネガティブな感情が湧くならば今その思考を終わりにする必要があります。根本解決から逃げて、、逃げて逃げ続けてもエンドレスにこの感情は追いかけてきます。TVの中に仮面ライダーが居ないことを冷静に認識した小学生が二度と居るとは信じないように、、「この体、この思考が自分」という思考が間違いであることを理解すればいいのです。すると二度とその思考は湧いてきませんから二度と孤独感、分離感を味わう必要がなくなります。

ダイレクトパス

ここには経験しかないぞ!!!!

「この体とこの思考は私だ!」は嘘です。というかこれは想像です。真実ではないんです。なぜならばこの体も思考も実在しないからです。実在しないにも関わらずそれを私とすることはできます。ですが「私」という存在は間違いなく、、ありますよね!!!だって在るって感覚はありますからね、、、この在るって感覚がどこにあるかを突き詰めて、、、我々はこの体この思考が私って決めました。在る!!!のリンク先を体と思考に決めたんですが、、、その嘘を見抜きます。

コーヒーを飲む

目の前のコーヒーカップに入ったコーヒーを飲みます。先ずはそのコーヒーカップが視界に入ります。その時この私(体と思考)は存在しません、、、カップの映像だけです。実際に飲みます、、、この体、手が視界に入ります、、、、、口にします。画像だけあります、手の画像だけあります。香りだけあります、味覚だけあります、触感だけあります。終わり。この経験の中で体が実在しコーヒがー実在する、、、という事実は全くないんです。感覚を集めた経験しかないんです。それと在るという感覚だけです。

経験+在るという感覚だけ

ここには各種経験と在るという感覚しかありません。旅行に行こうと、どんな食事をしても、友人と会話をしても、、、「経験と在る」という感覚以外ないんです。この全てに実在するはずの物質って存在しません。つまりコーヒーカップもこの体も、、、物質として確実に在るって証拠はでてきません。少なくとも実在しているという証拠は出てこないんです。一方経験と在る、、、これだけは100%あります。だからこの世界は幻想だとしても、、経験は100%ありますから、、、、何もないというのもおかしい、、、経験が無限大に有る、、、世界です。逆に言えば経験しかない、、、世界です。何もないところから有るように見える現象が起き、その中で経験だけが積まれ、、、経験を寄せ集めてもやっぱり実在するものは何もなかった、、、です。

現象から大いなる一つを発見する

色即是空

「この体、この思考が自分」この大誤解を抱えながら生きてきたのがこの人生ストーリーです。ですがこの大誤解ストーリーは正直しんどいんです、正直いつまで経っても不安が消えない、孤独が消えないんです。だからもう辞めたいんです。ではこの体、この思考が自分ではないことを現象から説明しましょう。今目の前に観賞植物があります。この観葉植物が自分か自分じゃないか????の説明の前に、、この観葉植物という姿を私が見ているという思考を完全に外して冷静に観察します、、、画像だけがあります、、、よく見てください、、あるのは画像だけです。

私が観葉植物を見ている、、は思考

観葉植物をしっかり見てください、、、「私が観葉植物を見ている」なんて事実は一切わからないんです。だって画像しかないから、、観葉植物の。そこに私なんて居ないんです。次にこの観葉植物に触ってみてください。葉っぱの感覚だけがあります。もっと言えば感覚しかありません。私が観葉植物を触っているなんていう事実は一切ないです。感覚しかないです。私なんて存在しません。次にこの観葉植物の香りを嗅いでみてください。香りのみあります。次に葉っぱを千切って口に入れます、、葉の味がします。それだけ。

何が言いたいか?????

今の一連の動作において、、私が〇〇した、、、、という事実は全くもって証明できないんです。見えた、味がした、香った、触れた、、、という経験しかないんです、、感覚しかないんです、、、そこに「私は、、、、」なんて事実は何もないんです。つまりここには経験しか、感覚しかないんです。感覚だけが存在します。。。感覚だけが真実です。そこには「この体、この思考は自分だ」なんて事実は全くないわけです。どうですか???どこを探しても自分なんてものは登場しないんです。

感覚だけがある

我々の本質は、、この感覚だけです、、感覚だけ寄せ集めて寄せ集めて、、、それが全部です。私とか、自分とか、我々とか、コップとか、観葉植物とか、、誰かが誰かと見るとか、、、そんなの起こっていないんです。それは全部思考です。本当は感覚しか起きていないんです、この世界って。つまり感覚を寄せ集めて、、はい終わりです。寄せ集めて寄せ集めて、、、、何になりますか?????????無です。大いなる一つとは無なんです。そしてあえてあえていうならば「自分とは無」となります。

我思う、故に我あり、、、は苦しい

この言葉で救われた人はいない

我思う故に我あり、、この言葉は有名な哲学者が発見したとされる言葉ですがこの言葉を聞いて救われる人は居るんでしょうか????居ないですよね!!!!なぜ救われない?????嘘だからです。「我とは見ている景色全てである」この言葉はどうでしょうか????私は楽になるんです、、なんか急に息が吸えるような感覚です。

この思考、この体を自分と思うようになって

考えてみてください、、、「この体、この思考が自分」だって強烈に信じるようになってから息苦しい生活に変わってきませんでした?????これはあなたのもの、これは私のもの、、、、そこはしっかりしましょう!!!!学校の先生の言葉を聞けば聞くほどに、、、なんか息苦しいんですよね!!!学校で褒められても心の奥が救われていないような、、、、、

自己責任

社会人になったらしっかりと個人の責任を果たしましょう。だから自分の生活、自分の健康、自分の仕事を責任を持っていきてください!!!なんか息苦しい、、言葉は厚みがあるんですが、、、楽じゃないんですよね、、、、それはそうなんです!!!!だって見える世界の全てこそが自分だから。。この全ての現象を起こすスクリーン、スペースこそが自分です。そしてここで起こる経験の全てこそが自分です。自分ってこの体と思考だけって、、そんな小さい小さい存在じゃないんです。

スポーツしたあと気分が良い理由

体は今(至福)にしか存在できない

スポーツ選手って爽やかなイメージがありますよね?????なぜでしょうか???簡単です、体を動かすって今(至福)でしかできないんです、思考は昨日に戻ったり、一年後のことを考えたりと、、時間という概念の中で行ったり来たりするんですが体は今(至福)ここしか居られないんです。だからそれだけで大満足なんです。だから思考で捏ねくり回して、、、こうなったら将来幸せみたいな技を使わなくていいんです。

思考は未来に向かってこうなったら(条件)幸せになれる気がする、、を使う

思考は、、こういう条件の人と結婚したら、、こういう家に住めたら、、こういう旦那さんだったら、、、って未来に未来に幸福を目標設定しそのために何をしなきゃ、こうしなきゃって宿題を出してくるんです。幸福というのを将来に設定するんですね!!!ところがそれは思考が考え出したイメージですから、、そこにたどり着いてもイメージしかないんです。イメージがその人を幸せにしてくれるってないんです。

スポーツは今しかできない

体を動かすって今しかできません、、、物理学上、、ここでしか体って持ち運べないのです。そうすると今(至福)に感覚を作ることになります、今という場所にチューニングをします。その時に雑念って邪魔なんで思考が湧かないようになります。意識が過去や未来ではなく今に集中するんです。すると今は至福なんで、、至福に触れるのです。体を動かす時に、、思考を使って先ずは左、次は右ってやらないんです、、、全部自動反応ですよね!!!

毎日運動して今にチューニングする癖を作る

運動をルーティン化しますと、、、今にチューニングする習慣ができます。今(至福)に触れる癖がつくんです。本当の自分は「この体、この思考」ではないんですが、、、その思考が抜け落ちるんです。そして至福に浸れます。毎日毎日至福に浸る癖が付きますと、、、、思考でこねくり回すて幸福になるという作戦が起きにくいんです。だって今ここで至福に浸れるんですから。

TVの中に仮面ライダーは居ない

子供にそれって教えますか????

子供は2、3歳ぐらいになりますと、、、TVの仮面ライダーが好きになります、、格好良い、強い!!!と男の子は憧れるんです。ですがその際に、、、仮面ライダーはTVの箱の中に居ると思っているんです。その子供に実はここには居ないと何回説明しようと伝わるはずがない。。。です。ですが小学校に通う頃には勝手に解ってる、、、この中には居ないって。

この体、この思考が自分

我々はこの体、この思考が自分って、、、小学校に通うまでに教わるんです。そして学校に行くとしっかりと自分の名前を描けるようになります。ですがこれが嘘なんです、便宜上教わった方便なんです。。。でもこの方便を覚えないと社会生活を送れないんです。だからしっかりと覚える必要があるんです、この方便を。社会で生きていくには重要な方便「この体、この思考は自分」ですが、、、これって実は苦しいんです、、本当じゃないから。この方便って真剣に信じれば信じるほど実は苦しいんです。

その方便を卒業する

ある年齢まではTVの中に仮面ライダーが居るって信じてていいんです、ですがある年齢になると信じなくてよくなる。むしろ信じていない方が生き易いんです。それと同じ「この体、この思考こそ自分」って方便はある程度までは信じていた方が良いんです。ですがある程度大人になったら実は嘘、方便だって思い出した方が良い。これが悟り、解放、目覚めって言います。

この体、この思考が自分じゃないって分かっても、、、

マセガキで、、、4歳にはこのTVの中に仮面ライダーは居ない!!って分かったって困らないんです、、周囲の友達とは最初は揉めるかもしれませんが、、だからってやっぱりTVの中に仮面ライダーは居るんだ!!!とはならないんです。気づいちゃった!!!ってそんなもんなんです。人間も同じ、、「この体この思考が自分」って嘘じゃん!!!が起きていいんです、全然普通に生きていけますから。

エックハルトトールに起こったこと

「この体こそ思考こそが自分」という概念が崩れ落ちた

エックハルトトール、トップオブマスターと呼ばれ、、多くの方の悟りに世界で一番影響を与えたと呼ばれる方です。この方のエピソードは非常に面白く私は何十回と読み返しました。彼は苦悩した日々で「この私と付き合っていくのはもう十分だ」という思考が起こります、誰かがもうこんな自分は結構だと!!!その時に思いました。誰がこの自分は十分だと言っているのか????その瞬間に自分と思っていた思考が崩れ落ちました。次のダイアモンドのような光で目を覚まし悟りに至ったのです。

概念が崩れ落ちることはたまにある

田舎ってみんな温かくて優しいよね!!!東京から引っ越した当初はそのように感じる人は多いはず。ところが3ヶ月もしないうちに実は閉鎖的で仲間になかな入れてもらえないという現実に向き合うようになる、、そして半年後には「田舎ってべつに温かくて優しいわけじゃない」といままでの概念が崩れ落ちるのです。過度なストレスで思い込みが外れたのです。エックハルトはまさにそれが起きたのです、過度なストレスで「この体、この思考こそが自分」という概念が落ちたのです。

落ちるということは真実じゃない

つまりこういうことです、思い込みは過度なストレスで落ちるんです。エックハルトに起こったこと「この体この思考が自分」という思い込みが過度なストレスで落ちた、です。つまり「この体この思考は自分」というのは真実ではなく思い込み、観念です。つまりこの体この思考は自分じゃないのです。じゃあ誰だ????この在るという感覚、経験を所有しているのは誰なんだ?????

この体この思考は自分じゃない?????

いやでも一体全体、、、自分って何なんだ????という話です。では答えを言いましょう、、それはこの体、この思考、見える全てです。そして見える全てに気づく存在です。空即是色って聞いたことありますよね????空から色が現象化し色は空でもある、、、です。これが自分です。。。これ全部で自分です。ある時、、、この体この思考が自分だ!!!!という強固な思考が起こり、、その思考を土台にさらなる土台が起こり続けるという現象が起きたのです。ただそれだけ。

そしてある時ストレスが過度に起こり、、その思い込みという現象が落ちた

TVゲームをやっている時に、、、記憶データがパンパンになり途中でゲームが落ちるってあるんです。そして改めてゲームをリスタートしようとすると、、、記憶が飛び初期設定に!!!!!アベシ、ヒデブ、、、、です。エックハルトに起こったことは「この体、この思考は自分」という観念、思い込み、概念だけが落ちた、、、そして他の記憶はそのまま。。。。です。

今までの自分が居なくなると、、、

とにかく楽、なんだか楽、、軽い、、、主人公だと思っていたこの私がこの体、この思考じゃ無かった、、、でも普通に生活は送れる。。。。。そして孤独感、分離感、虚無感が全く湧いてこない、、、だから何かを手に入れなきゃ、、評価されなきゃ、、まともに思われないと、、、が出てこない。子どもの時の感覚、、背負っていると思っていたものが完全に抜け落ちた、、、です。

夢(思考)からの脱出

夢は思考が作るのだから

この世界はたった一つのエネルギーでありあるがままです、そこは至福、平和、歓喜の場所です。そこに思考が立ち現れることでその思考があるがままに読み込まれ、、イメージが湧き出てきます、思考通りのイメージです。そのイメージの連続こそが夢です、この夢の中では時間(思考)があり空間(思考)がありと続くのです。この世界(夢)に居るのは苦しく居心地が悪いのです。その中で常に今ここ(あるがまま)に住まう方法があります、それはしっかりとこの体と繋がることです、この体は思考ではないのでいまここにしか存在できないのです。つまりドラマ、ファンタジーに住うことができません。この体は常にあるがままに席を置くのです。

この体を感じる

エックハルトはこれをインナーボディーと呼びました。常に体を感じる感覚を得ることです、体を通じて今にある感覚を構築するのです。そうすると思考に支配されずに夢に引きずられないということです。思考は夢に意識を導き夢を維持しようとしますが体がそれを阻止します。今という場所の至福を忘れないでいられるのです。今は至福しかありません、思考の世界(過去未来)は分離の世界、ネガティブな感情の世界です。

虚(空想)の世界は空気が薄い

居の世界ドラマの世界夢の世界は、、たった一つのエネルギー(至福)が作り出した世界ではありますがここはネガティブ(分離)の世界ですから苦しいのです、、ここに居住し続けると苦しくなります。ですからいまここに居たい、、、そのためには今ここに絶対に存在するこの体に意識を向けるのです、この体を感じるのです。この体を感じているのは誰でしょうか???本当の私、あるがまま、真我です。思考ではなく体に気づくことでいまここに住うことができます。ここは至福、平和、歓喜の場所です。

老後が心配で心配で

今の苦しみが解っていないのに

いまなぜ苦しいのか?今なぜ不安感があるか??今なぜ不満足感があるのか???そこを理解していないにも関わらずもしくは理解していなからこそ人は自身の将来について不安になります。今ですら不満足なのに老後なんてもっと哀れになるのではないか????独居老人、孤独死、、、怖い怖い。ですがこれらが杞憂に終わるのは、、なぜ今苦しいのか????この答えがないからです。

若い時の焦燥感

若い時、体は自由に動き回り頭もキレる、、、、にも関わらず若い時期はなんか尖っていた、、若い時は常に怒りの感情が、、若い時っていっつも寂しくて、、、、聞いたことありますよね!!!!健康なはずがなぜか精神状態は荒れ荒れで、、、、です。なぜか?????「この体と思考が自分」この思考がより鮮明に描かれるからです、イメージ化されるからです。これによって孤独感分離感も鮮明に上がるということです。なんで若い時はあんなに苦しかったのか???それは偽りの自分という存在をありありとイメージできてしまう、、、、こんなトリックがあります。

頭が良い人ほど、、、

鬱病になるって頭が良い人が多いんです、、、こんなこと聞いたことがある人は多いはずです。思考がそのまま感情を作り出しますから、、その思考が真実から離れれば離れるほどにネガティブな感情が湧きます。ネガティブとは分離のことであり、、分離とは真実では絶対にありえないのでこれはあくまでイメージでしかありません。そのありえないことを頭あ良い人はイメージの中で描き続けることができるのです。結果ネガティブな感情も維持し続けることになります。頭が良い人はあるがままの世界の中に壮大な分離の夢を描くのです。

頭が良い人が真実に気づくと

頭が良い人はたったひとつの統合したエネルギー、至福の世界の中に思考でもって壮大な分離の夢、ファンタジー、幻想を描き、、ネガティブな感情を湧き出させ苦しみ続けます。この事実を頭が良い人が理解しますともう同じ過ちを犯さなくなり、、ベクトルは真実追求に向かうのです。イメージしたドラマが真実とあまりにかけ離れていただけだった、、ならば真実に気づけばいい、、となります。真実が思考の先にある真実に意識が向くのです。この体この思考そこが自分という仮説はあまりにもリアリティがあるために騙され続けてきましたが、、これが偽りであることは明白です。なぜならばネガティブ(分離)な感情がそれを証明しています。

毎週毎週みんなでパーティー

Facebookを見れば、、、毎週毎週パーティー三昧、、そんな方を見ますが、、、これって簡単な理屈、、、「この体この思考こそが自分」という徹底的にネガティブな思考がネガティブな感情を生みますから、、、それを解消するためには多くの人と分かち合って再統合したい、ポジティブな感情を感じたいという欲求です。個人という孤独な存在(イメージ)だからこそ多くの人と分かち合い(統合)、、ポジティブ(統合)の感覚を得体わけです。ですがパーティーが終わればまた一人(イメージ)を強固にしますから毎週パーティーが必要になるのです。

イメージが起きなければ

そのまま至福に入る

「この体、この思考が自分だ」この思考が湧き上がりますと、、それは全体に回収され即イメージ化されます。そして「この体、この思考は自分である」というイメージ、幻想、イリュージョンがこの世界に起き上がるのです。自分という言葉は、、世界に完全独立した、完全分離した別個の存在という意味ですから、、それがそのままイメージ化されるのです。この言葉は大変力強い影響を与えます。そしてこれが同時に孤独感を起こすのです。ですが本当はあるがままの世界、たった一つのエネルギーだけの世界が真実です、真実は至福、無分離、非孤独です。言葉が湧き上がる前、、至福でしかなかったのです。

言葉以前の世界

我々は生まれた時、、たった一つの世界に居ました、、、たった一つの世界の住人ではなく、、、たった一つそのものだった、、つまり至福そのものだったのです。。。それが言葉を覚え始め、、、分離したイメージを勝手に築きあげることで、、この至福の世界に、、、孤独という「感情」を作り上げたのです。「今この瞬間に悟れます」というのは真実でそれは至福の上に孤独、虚しさ、悲しさを作り上げているだけだからです。イメージが崩れればそのまま悟り(至福)に入るのです。

「この体この思考が自分」の崩壊

突然自分がなくなり至福に襲われた、、、エックハルトトールはこのような表現で自身の悟りを表現していますがまさにその通りです。「この体この思考こそが自分である」という強いと強い思い込みが、崩壊し、、、このイメージがこの世界に起こらなくなった時、、、そこには至福だけが広がっているのです、いつでも。彼は絵rーとで多くの多くの知識を所有する私というイメージを持っていたに違いなく、、、そのイメージが大きくなり過ぎて、、その重さに耐えられなくなった時、、そのイメージが崩壊しました。。。結果奈落の底に落ちたつもりが至福というセーフティーマットが敷かれていたということでしょう。

「この体この思考は自分」というのは真実ではない

この認識、気づきが、、、本当の私、全体から起こることで、、、強烈なイメージが緩和されます。世界にたった一人、、この体、この思考を所有し立っているというイメージが起きなくなります。これだけで「苦しい」が湧いてこなくなるのです。思考は即座にイメージ化されますからその内容が真実と乖離すればするほどに苦しいのです。本質を学ぶとはまさに強烈な分離からの統合へのプロセスです。