宇宙が行う能力は実は私のモノ

自然治癒力は自分の力

なぜこの私は強い者に惹かれるのか?強いボクサー、強いアスリート、強い政治家、強い実業家、、、とにかくこの私は強い存在に憧れます。それはそもそもこの私とは全宇宙でありこの世の全ての力だからです。自然治癒力、血液を回す動き、消化から排泄、とこの体の中で行われる全ては自分の力でありさらに太陽、地球の自転、公転、大気の流れ全てを動かす力こそが自分です。だからこそ人間という自覚を持ちながらもあらゆる強さに憧れるのです。

この私が行うことは自覚できているだけ

この私が行うこと、例えばこのブログを書き、読書をし、仕事をし、会計をし、生活を回す、、、このことを自分の力であると我々は思っています。ですがこれは自由意志が及ぶ範囲のことを示しています。本当はこの自由意志が及ばない全ての行為が自分の行為です、その中のごく一部、自由意志が働く分野のみを自分の力であると錯覚するのがこの人間です。だからこそ違和感を感じ力強い者に憧れを抱き続けるのです。本当はそうではなく宇宙が行う全行動、全能力こそが自分の力です。この体が行う、しかも自由意志の範囲で行う行為はその極々一部ということになります。しかしこれも私の能力の一部です。

何を達成しても満足できない理由

過去のオリンピック金メダリスト受賞者の中でも自殺者が居るかもしれません、、、金メダルを受賞するぐらいの達成をしても満足できないのがこの人間です。なぜかと言えば金メダルを受賞する以上のこと、この地球を自転させる、公転させる、気温を保つ、海流を動かす、万物の全行為を動かしている存在こそが自分でありだからこそ金メダルを獲得するぐらいでは満足できるわけがないのです。万物を動かす存在がこの体、心を自分であると意識することがこの人間活動です。人間として幸福になる、人間として安定する、人間として歓喜を味わう、、これらが全て刹那的、一時的、短絡的なのはそもそも自分が人間でないからです。

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