画面からの誘惑

喋りかけられる度に

我々は画面上の人物(幻)から喋りかけられる度にこの「私」が起動し「私のストーリー」が立ち上がります。この仕組みを見抜けない間は一生物語の中に閉じ込められるわけです。こんな辛い出来事があって、、、と相談する度に、、「私」の物語の中に閉じ込められているのです。画面上の誰かは、、実はあなた(真の)を画面上のキャラに閉じ込めるための仕組みです。

寂しい

これは実験すれば直ぐに分かります、多くの人と会話をすればするほどに寂しいは増していきます。会話をすればするほどに寂しいが増すっておかしくないですか????おかしいんです。つまり我々は個を意識させられることで孤独を増していくのです。つまり人間関係とはそのまま孤独を作り出すツールなのです。そして人は孤独を癒すためにさらに人を求めるという負のループに入るのです。

違う違うそうじゃない

人と会うことで孤独感を増し、それを解消するためにさらに人に会うというパターンを人は作ります。周囲の画像(人物)こそが実は個を作り上げるメカニズムです。話しかけられることで背景は個を意識し、意識することで孤独感を作り出し、、それを解消するために人に会います。この自作自演ゲームこそが自我ストーリーのカラクリなのです。

真実は絶対に消えない唯一のもの

消えたら大変

真実とは絶対に消えない唯一のものです。真実とはたった一つのエネルギーであり、、そのエネルギーが今消えてしまたら、、、じゃあ今ここにあるのは何だ???となります。つまり我々は真実を出たことが絶対にないのです、、どこに行っても真実の中です。史上最悪、最低の状況が、、実は完全な真実(真の安らぎ、歓喜、愛)の中で起こっています。人生最悪な状況が真実の中で起こっているって意味わかりませんけど!!!!!です。

全員から裏切られたその状況は真実が作り出しています

全社員、全家族、全友人がみんなまとめて居なくなりました。これって本当に真実の中で起こっているんですか????100%真実の中で起こっています。真の平和安らぎの中でそれが起きました、、そしてその事件も真の安らぎが作り出しました、そして地獄という感情も真の安らぎが作ったのです、そして地獄を味わっている「私」も真の安らぎが作ったのです。

真の安らぎは勘違いしか壊せない

真の安らぎというリングの上で地獄を味わうにはどうしたらいいか????それは勘違いです、、勘違いしかこれを感じる方法はないのです。この勘違いが終わってしまったら我々は一瞬で真の安らぎに戻ってしまいます。なぜならば原材料は全て真の安らぎだからです。真の安らぎという原材料で、、この私が居るという思考(真の安らぎが原材料)を作り出し、、それを信じる(真の安らぎが原材料)が起こり、、苦しいが起こり、、地獄(真の安らぎが原材料)が起こるのです。人が苦しむためにはとんでもない仕掛け(真の安らぎが原材料)が必要なのです。

裏切り

自我の延命措置

裏切りとは自我の延命措置です、、例えば、、仕事がバリバリできる社長は、、全くもって人を必要としません。たった一人で稼げるわけだから、、誰に依存しなくてもいいのです。これは一種の悟り状態です。人に対する執着がゼロです、、、このままいくと悟りが開かれるでしょう。そこで自我は頼ってきた人々を助けるという行動を取らせます、助けることで「自分」の存在を確かにするのです。俺が助けている、、これだけ助けたのだからこれぐらいは感謝されないと、、です。「俺」がいなければこいつらは路頭に迷ってしまうぞ!!!です。

そこで事件が生まれる

助けるべき人々が居るというのはそのまま夢化しますから「私」の前には助けるべき人が出現するでしょう。それによって自我はホッとしているのです。これで「私」はしばらく生存できるぞ、、と。そしてそこからの裏切りです。相手の自我(あるとすれば)はこちらが与えれば与えるほどに返さなくては、、、が起きます。損得勘定でしか考えられない自我は、、、与えられることを実は恐れます。借りができたような気持ちが悪い感覚になるからです。何かあったら今度はこっちが与えなくてはいけなくなる汗です。

自我の動きを見抜く

自分が居るという感覚の中に居る人々は(見かけ上)浮遊霊のようなもの、、常に居心地が悪く、、常に怖い、、全部が恐怖ですから、、、多くのものを与えてもらったという事実すらも、、不快なのです。つまり強烈に自我を感じてしまうわけですね、、ですから最終的には、、逃げ出すわけです。これが世間で言う裏切りです。ですが本当はこの動きは勝手に起こっているだけです、、自我ありき(見かけ上)の人物像において勝手に起こった化学反応だということです。ここで怒ってしまうと、、、失礼を受けた「私」失礼をぶっこいた「相手」という幻想を強く強く信じる結果になります。

怒り→諦め→達観

全てはこの流れに

期待を裏切られた時、、人は激しく激昂します、怒ります。私がこれだけ愛情を注いだわけだからこれぐらい返してくれるはずだ。。。。です。これだけの愛を注いだのだから、、このぐらいは返ってくるだろう、、、です。ところがそうはいきません、、、なぜか?????愛情を注いだその相手には人格が存在しないからです、化学反応しか起きません。行動をコントロールできる自己、人格が存在しないのです。だからその化学反応に対して最初は怒り狂うのです。

ところが、、、、

相手には相手の事情が、、、相手には本当の本音が実はあって、、、実はそんな余裕がなかったんだ、、、と相手に寄り添える余裕が生まれてきます。裏事情を知らなかった「私」と裏事情を持った「相手」という関係です。人には人の事情があるという考え方(想念、概念)です。これによって実は真実に少し近づきます。私には分からない事情(本当は化学反応のみ)があるという大人の発想です。ですがここではまだ私にも相手にも人格があるという大前提です。

最終的に

人格がなかったという達観に辿り着きます。そこにはコントロールできる人格は存在せずただ化学反応しか起きえないという真実です。とんでもない裏切り、ありえない裏切り、悍しいほどの裏切り、、、その全てが化学反応であるという真実です。化学反応に対して人は感情を持つことができませんね、、つまりこれが達観です。人に何かを期待するのはその人の行動はその人が管理できるという大前提があります。ですが出来ないのです、誰もそんなことはしていないのです。

執着が夢化する

仏教の真髄

仏教では執着を無くせ、足を知れ、、、、という言葉が有名ですが、、、これって要は執着が夢化するからです。執着が夢化してその人の前に現れ、、偽りの自己へ誘うのです。例えばお金に執着がある場合、、お金に関する有象未曾有の誘い見かけ上のその人の前に出現します。そして本当は欲しいんだ、とそこに手が伸びるです。ところがそのお金に関する有象未曾有は自分というものを強烈に意織させます、なぜならばそれを手に入れたいのはこの自分だからです。

究極のリラックスが人を引き寄せる

多くの場合究極のリラックスに近づいていきますと、、そのリラックスが人を引き寄せます。楽しそうですね、嬉しそうですね、、、となるのです。つまり自身から(見かけ上)発せられるリラックスによってこの画像の中の見かけ上の人物が反応を起こしてくるのです。これによって自身の執着が現れます、、高感度の高い私、人気者の私、有名な私です。。。これによってまた強烈なリラックスを所有した私が現れ、、私ストーリーが生まれます。

有名人

有名人になれる人とは間違いなく何かしら才能を発揮しているわけですから、、、偽りの自己ではない状態を意織できるはずなんです。つまり軽い悟り状態にあるはずです、、ところがそこでその人の背景から現れる人物が寄ってたかってその人に集まることで、、、「私」を強烈に意織せざるをえなくなります。悟り潰しが起こるのです。これ欲しくないですか???この人を紹介しますよ、、今度こんなビジネスをしませんか????とエンドレスに「私」を誘うことになるでしょう。

自我ゲームに引き摺り込もうとする動き

実際には

映画マトリックスでは、、、目覚めようとする主人公NEOに対し、、エージェントスミスがまるで悪意があるかのように徹底抗戦するわけですが実際のこの世界(夢)では、、、誰一人この見かけ上の「私」を悪意を持って目覚めさせない、、、という動きは起きません。そこには何の悪意もなく、、、ただ反応としてひたすらにこの「私」に話しかける(この中に私が居るという前提)が起こります。

関心は夢化し

「まっちゃんマジで????」がYahooニュースの記事になれば、、、松本人志のニュースがガンガン夢化し、、、見かけ上の「私」を誘惑します。異性に興味があれば「可愛い!!」と思う子が、、、私の前に現れては誘惑します。「あれ俺のことあの子見てなかった????」が起こるんです。地震が怖ければそれが連発し経済不況が怖ければそれが連発する、、、恐れていことは次々に夢化し、、その影響を受けるかもの「私」を意織させるのです。

「私」に関心がある限り

実は実はこの「私」という架空の存在に関心が集まる限り、、「私」を取り巻くドラマが終わることはありません。そうです「私」に関心があるからこの「私」ドラマが続くのです。「私」に関心がなくなりますと「私」ドラマが起きないんです。この夢では関心が広がるようになっています。真実に関心が集中しますと真実が広がっていき「私」ドラマが終焉に向かいます。「私」に本当に関心があるのかないのか????です。

「私」はなぜ生まれたのか????

究極の問い

私ってなんのために生まれたんでしょうか????簡単です、それが起こっただけです。「私」が起こったのです、、たまたま、、。なぜ目の前で雨が降るのか?????この現象に意味は100%ないんです。もしも理由があったのならば、、、その理由を作った理由が必要になり、、その理由にはさらにそれを起こした理由が必要になり、、その理由が起きるにはさらにそれを起こす理由が必要になるんです。つまりつまり理由とは絶対に存在しないんです。全ては化学反応のようにただ起きたのです。

「私」が理由なく起こったならば「私」は理由なく消える

「私」が理由なくただ起こったならば「私」は理由なくただ消えるでしょう、この時間軸の世界、夢で。そうなるともう「私が居る」という全思考、全感情が消えます。そこからは「私が居る」という前提から起こる思考、感情が抜け落ちた現象が起こり続けます。神が「私は居る」という認識がない状態で「私」を演じるという自覚のもとにこの現象が続きます。

悟りを本を読んでいるのは誰だ???

「私」じゃないんですか???

マリオがゲームの中で本を読み理解するって可能でしょうか????桜木花道が漫画の中で本を読み理解するって可能ですか????間違いなく無理です、、、ゲームをやっている人、漫画を読んでいる人しかそれは不可能ですね。つまりつまり悟り本を読んで内容を把握するのは「真我」「神」「大いなる存在」です。だんだん悟り本が分かってくる????その気づきは神から起きているんです。

神以外は誰も経験していない

この世界、この夢の世界で、、経験できる存在はこの夢を見ている神だけです。神以外に経験者が居るとしたらその時神は何をしているのか????暇すぎますよね????私が経験し神は見守るだけとしたら神は暇人になってしまいます。。。私が極旨ラーメンを食べている時、、神がそれを観察するだけならば神はめちゃくちゃ暇ですよね、、だいたいなんのための世界なんだ???ということです。ですからこの世界の経験は全部私と思い込んでいる神がやっているのです。

美味しいラー麺は神が味わっている

美味しいラーメン、エグい映画、めちゃくちゃ強いタバコ、、、味わっているのは全部神です。神が全部味わっておいて「私」が味わったという勘違いを神が起こし、、そして美味しい、不味い、という感情を起こし、、神がそれを経験しているのです。この全てが完全自動運転で起こっているのです。これを操作する神はなく、、ただ全現象が神から起こり神が感じるを続けています。

神が腹を立てる?????

もしも全経験を神がしているならなぜ神が腹を立てるんですか????ショボすぎでしょ、、、、、残念!!!この世界は全感情、全思考、全行動を経験する場所なのです。そのために神があらゆる仕掛けを起こし腹立つ!!!!という仕組みを作ったのです。「私」という存在を立ち上げ、、「私がやられた!!」という思考を立ち上げ、、それに体が反応し、、怒り!!が湧きます。全ては全部化学反応です。「私」という感覚すら化学反応で起きたのです。「私」という思考が「私が悪口を言われた」という思考を作り出し「私が悪口を言われた」という思考が「怒り」という感情を起こしているのです。化学反応が連鎖しているだけです。

円滑なコミュニケーション

不可能

円滑なコミュニケーションとは双方に自身の発言をコントロールできる人格が存在し、、その人格が適正な言語を用いてコミュニケーションが取れることを指します。残念ながらそれは間違っています、言動をコントロール出来る人格が存在しないのです。ですからコミュニケーションとは単純にギャンブルみたいなもの、、問題が起きにくいキャラ同士、、問題が起きやすいキャラ同士しか存在しないのです。

犬と猿

犬と猿のコミュニケーションは不可能なのです、、問題が起きるんですほぼ絶対に。一方猿と猫は起きにくい。蛇とマングースは起きやすい。。。ギャンブルです、、、それをコントロールできる人格が存在しないのです。それをコントロールできる人格が存在しているという錯覚を持つことはできます、、ですがそれは錯覚です。

問題が起きそうになったら

では問題が起きそうになったらどうすればいいのか????相手の発言が的を外している、もしくはこちらの発言が上手く伝わらない、、、このような場合は、、、それをコントロールできる人格が向こうにはないことを理解します。するとここからは化学反応なので、、、おかしな化学反応が起こる可能性が高くそれを受け入れるか、、拒絶して化学反応を起こす前にコミュニケーションを辞める以外にありません。

コミュニケーションの先にあるもの

犬が猿に対して敵意を忘れ、、、これは相性の問題だからどうしようもない、、と悟った時に、、本当の安らぎが起こります。するとこちらかの攻撃が全く無くなるので、、問題が起きようがないのです。問題が起きようと起きまいとそれをコントロールできる人格がないことを悟ると上手くいく以上の安らぎに包まれます。

コントロールできないことで人は悩まない

大型台風10連続

例えば今年大型台風が10連発という前代未聞の事件が起きるとしましょう、、ですがそのことでノイローゼになる人って居ないんです。そのことについて悩んでノイローゼにはならないんです。精神科に行って台風10連発で悩みに悩みノイローゼ気味にってならないんです。つまり人間はコントロール不能の現象には悩むことがないということです。

では自分自身は

では自分自身ついて、、、言動思考感情をコントロールできると思っていますか?????当然思っています。。。だから悩むんです、、コントロールできると思っているから。。。ですが実際には全くもってノーコントロールです。つまり悩むことはできないんです。台風10連発も自身のバカみたいな行動10連発も全くもってノーコントロールなのです。我々はコントールできないことを出来ると信じて苦しんでいるのです。

相手の行動は

自分自身の行動はコントロールできないのですから当たり前ですが相手の行動をコントロールなどできるわけがないんです。たまたまこちらの言動が相手に影響を与えることはあります、化学反応として。ですがその化学反応をコントロールする力は誰にもありません。つまり我々ができることは化学反応を見守るしかないということです。

部下に悩む社長

社長の悩みの99.9999%は部下のことでしょう。部下が自身の指示を守ってくれるか、、でしょう。ところが残念ながら、、これも化学反応でしかないので、、、こちらの言動が相手にどう反応するかは化学反応です。出来の良い部下が急に指示を守ってくれない、バックレる、、反発するが起きる可能性があるのです。化学反応の結果に悩むって変なんです、、なぜならば誰もコントロールできないからです。