怒り→諦め→達観

全てはこの流れに

期待を裏切られた時、、人は激しく激昂します、怒ります。私がこれだけ愛情を注いだわけだからこれぐらい返してくれるはずだ。。。。です。これだけの愛を注いだのだから、、このぐらいは返ってくるだろう、、、です。ところがそうはいきません、、、なぜか?????愛情を注いだその相手には人格が存在しないからです、化学反応しか起きません。行動をコントロールできる自己、人格が存在しないのです。だからその化学反応に対して最初は怒り狂うのです。

ところが、、、、

相手には相手の事情が、、、相手には本当の本音が実はあって、、、実はそんな余裕がなかったんだ、、、と相手に寄り添える余裕が生まれてきます。裏事情を知らなかった「私」と裏事情を持った「相手」という関係です。人には人の事情があるという考え方(想念、概念)です。これによって実は真実に少し近づきます。私には分からない事情(本当は化学反応のみ)があるという大人の発想です。ですがここではまだ私にも相手にも人格があるという大前提です。

最終的に

人格がなかったという達観に辿り着きます。そこにはコントロールできる人格は存在せずただ化学反応しか起きえないという真実です。とんでもない裏切り、ありえない裏切り、悍しいほどの裏切り、、、その全てが化学反応であるという真実です。化学反応に対して人は感情を持つことができませんね、、つまりこれが達観です。人に何かを期待するのはその人の行動はその人が管理できるという大前提があります。ですが出来ないのです、誰もそんなことはしていないのです。

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