執着が夢化する

仏教の真髄

仏教では執着を無くせ、足を知れ、、、、という言葉が有名ですが、、、これって要は執着が夢化するからです。執着が夢化してその人の前に現れ、、偽りの自己へ誘うのです。例えばお金に執着がある場合、、お金に関する有象未曾有の誘い見かけ上のその人の前に出現します。そして本当は欲しいんだ、とそこに手が伸びるです。ところがそのお金に関する有象未曾有は自分というものを強烈に意織させます、なぜならばそれを手に入れたいのはこの自分だからです。

究極のリラックスが人を引き寄せる

多くの場合究極のリラックスに近づいていきますと、、そのリラックスが人を引き寄せます。楽しそうですね、嬉しそうですね、、、となるのです。つまり自身から(見かけ上)発せられるリラックスによってこの画像の中の見かけ上の人物が反応を起こしてくるのです。これによって自身の執着が現れます、、高感度の高い私、人気者の私、有名な私です。。。これによってまた強烈なリラックスを所有した私が現れ、、私ストーリーが生まれます。

有名人

有名人になれる人とは間違いなく何かしら才能を発揮しているわけですから、、、偽りの自己ではない状態を意織できるはずなんです。つまり軽い悟り状態にあるはずです、、ところがそこでその人の背景から現れる人物が寄ってたかってその人に集まることで、、、「私」を強烈に意織せざるをえなくなります。悟り潰しが起こるのです。これ欲しくないですか???この人を紹介しますよ、、今度こんなビジネスをしませんか????とエンドレスに「私」を誘うことになるでしょう。

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