本当は何も起きていない

解釈の世界の住民たち

悟りが起きるとビックリします「本当は何も起きていない」のです。朝起きて目を覚ました。景色が視界に入ってきます、、、ただあるだけがあります。外で鳥の声が聞こえます、、、本当は、、ただ何かが起きただけです。お腹が空いてパンを食べます、、、本当はただ何かが起きただけです。我々は直ぐに主語述語の世界に入りますが、、本当は何も起きていないのです。主語述語の世界を勝手に意味づけして作っているのです。

朝コーヒ豆を擦って火を入れコーヒーを出す

これは大人にとってはこの事実は起きています。ですが犬がこれを見た時には、、何かが起きただけ、、起きたすらも言葉ですから、、犬にはそうも映っていない。人間は真実としてそれが起きたと本気で信じている。ですが本当は何も起きていないのです。

何を言いたいのか????

我々があらゆる物に名前を付けて名前を呼び合って生活するようになったのは何のためですか????それはその方が便利だったからです、、それだけですよね!!!!幸せになるためにじゃないですか????違うんです!!!!最初は至福しかなかったんです、人間には。だから幸福になるために名前なんて付けてないんです。たまたま便利だったからなんです。つまり言葉は便利になるためのもの、終わりです。

不幸は言葉が作り出した

私って全然最近ツイテなくて、、不幸な感じ。。。違うんです、、これは言葉で持ってドラマを作り出し不幸を感じているんです。言葉を真に取りすぎています。本当は何も起きていないんですから至福でしかないんです、本質は至福ですから、、そこに言葉で毎日毎日ドラマを作り出し、、みんなで不幸病になっているんです。最近の政治はこうでああで今後相当景気が冷え込むみたい、、、、、というドラマを言葉で作り出す心配を味わうというドラマです。

見なければいい

そういう不安ドラマ、不幸ドラマ、孤独ドラマに飽きたならば見なくていいんです。周囲であらゆる言葉が飛び交いますが、、無視してください。ドラマの話ですよね????で終わりです。そのドラマが好きならば聞いてください。好きなドラマじゃないのならば聞かなくていいんです。本当は至福しかなくて、たまたま便利だからと言葉が発達し、、その言葉が一人歩きをして、、本当にドラマ(主語述語の世界)が実在するかのうように思い込み始め、、、不安症、孤独症に陥らないでください。

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