夢の登場人物に優劣をつけるか

これが夢だと分かって

これが夢だと気づいた後に、、この夢の登場人物に優劣を付けようという発想は起こるでしょうか???起こるわけがないですね、、そして自身を誇りに思うとか、自身を恥ずかしく思うとかそんな感情は起こるでしょうか???起こるわけがないですよね。夢の中の自分が世界からどう写るかって正直関心が湧かないのです。夢の創造主が、、この主人公や配役に特別な感情を抱くって難しいんです、夢と分かって。

ただ関心が湧く

これが夢だと分かった後に起こる行動は関心が高い分野を楽しむです、、、世界中を観て回りたいとか、なんでも起こるでしょう、、それをただ楽しむようになるのです。そこには不足感はありませんから不足感を埋めるための緊張感がある行動はなくなり、、関心に向かって動くというシンプルな歩みになります。子供は一日中楽しむを追いかけますよね、、それです。そこには目的とか結果とはないんです。

将来

これが夢だと分かった時点で将来って本当に興味がないんです、なぜならば将来どうなるとかじゃなく、、今やりたいことをやりたいからです。子供が三年後の心配ってしないですよね???三年後を見越した行動を取る子供はもはや子供ではありません。夢なんだから今やりたいことを今やるんです。それ以外に夢を楽しむ方法はないんです。

松本人志の居ない世界

この夢で

この夢の世界で松本人志が今窮地に立っています、なぜ彼のニュースがYAHOOニュースになったかと言えばこの夢を見ている存在が彼に関心があったからです。もっと詳しく説明すれば彼の何かに対する関心がこの夢で起こったのです。これによってこの夢の中で、、事件が起きました。もしも彼の今後をTVで観たいのならば関心がここで消えることです、もしももっと事件を事件化したいという欲求がこの夢で起これば彼はさらに窮地に追い込まれるのです。

やっぱり

これを夢だと信じていない人々は彼のニュースを観て「やっぱり!!!」を連発するでしょう、、、私はこれが夢だと分かっていますから、、自身の関心がそこにあったことを事件を通じて確認するのです。例えば私は松本人志の相方には全く興味がありません、するとそこは事件化しないでしょう、それほどには。もしもこれ以上の事件化を私が求めなくなれば、、ここで事件は収束するはずです。

それを望んでいた

私は、、松本人志が居なくなったあとの日本のお笑い界に興味がありました、、ですから順当にいけばそのまま松本人志が居なくなり、、その後の世界が広がるはずです。彼が居なくなった時にどんな風に業界が変わるかに興味があったのです。私はこの夢の中でそれを楽しみにしていたのです。そしてその関心は勝手に起こりますからそれをコントロールはできないのです。

夢の中は非二元

二元はリアルな世界のみ

毎晩夢を見る時に、、主人公になり切っている状態、、、主人公目線、全体目線、、、あらゆる目線で夢を見ることってできます。それは当然当たり前、夢ですから。夢の中では二元の世界を作り出すこともできるし非二元、完全なる全体目線も可能です。どちらもできるからそこは非二元、一元が真実です。ではこの現実と呼ばれるこの夢はどうか????基本的にはこの体の中からの視点しかない、、超二元風ストーリーです。だから徹底的に騙される、死ぬまで下手したら二元と信じ込んでいきます。

ところが

ところが、、この世界を二元(分離)だと信じ込んで生きてみても、、、どうにもこうにもこの苦しみが解消されない、、二元の世界で何かを達成しても満足は一瞬だけ、、、なんかおかしい、、宇宙の果ての先は未知だし、この物質の果ても全くの未知、、、分からないことだらけ、、、。そして救世主釈迦、イエスキリスト登場。完全にこれは現実だと信じた瞬間にこれらの人々が夢の中に登場するところがこの夢の面白いところです。

非二元の情報は、、歪められる

この世界は夢ですから、、現実だと信じている期間は非二元のメッセージは歪められて私に届くか、、もしくは聞いても全く耳に入らない。この自分が実は居ないって意味不明、解釈不能、支離滅裂です。ですが徐々に徐々に真相が見えてくる、、なぜならば気づきは後退しないから。ラスベガスのマジックのネタが分かった状態で、、しばらくしたらまた騙されるって起き得ないんです。この夢の素晴らしいところは真の関心は広がるということ、、そこは全く無抵抗に広がっていくのです。深刻さが消えていけば行くほどに楽に真実に触れていけるようになります。

夢だと気づいて

老後の心配????

これが夢だと気づいて、、、老後の心配????辞めた方が良いです、、、なぜならばこの夢は(夢全般そうだが)関心が広がるようになっています。関心事が夢化しますよね????だから心配は危ないんです。本気で心配すれば本気の夢化が起きますよ。体の心配ばかりしてるとそれが夢化されます、、心配ではなく健康に関心を寄せれば健康が夢化されます。

夢を夢だと分かって生きる面白さ

悪趣味な見方ですが、、、やっぱりこれが夢って分かると、、、、多くの人の心配性的に部分に非常に目が行きます。多くの人の神経症的な部分、、やはりこれを夢だと気づけないことによる深刻さ、重さ、重圧を非常に強く感じます。逆に言えばだからこそこの私もそういう方向に引っ張られたわけです。そして気づきが起きると、、、面白すぎる、、この深刻な雰囲気、。。

ドラゴンクエスト

ドラゴンクエストってゲームがありますが、、あのゲーム、、ゲームと分かってやっているのはこの「私」だけです。皆リアルなリアクションで主人公に話しかけてきますよね????完全にあれと一緒です。ゲームの登場人物はリアルなリアクションしかとってこないのです。そして主人公も当然それにそのトーンで対応します。じゃああそこで、、、これって夢ですよ!と発言したところで、、、反応なしです。

伝えることには意味がない

覚者は黙して、、

これが夢だ!!!!って気づいちゃうとしましょう、、、、そうしたらそれを夢の登場人物にあなたは伝えますか????毎晩見る夢で、、、途中でこれが夢だ!!!って気づきがある時に、、、果たしてそれを夢の中で登場人物に話をしますか???しないですよね、です。つまりこれが夢って気づきが起きて、、、人に話さなきゃってどう考えても無理があるんです。地球平和、世界平和?????絶対しないでしょ。

ゲームとして夢として

ゲームとして夢として、、この世界の登場人物に教えちゃう!!!これはありですよね、、これは面白い、、、リアクション超楽しみ。この夢で登場人物はどんなリアクションをするんでしょうか????ほとんどは無視、無関与、ノーリアクションでしょう。。ですがそれは面白いんです、なぜならばそれはこの夢の中でしかできないから。最高です。

みんなに早く伝えなきゃ????

これが夢だと気づいて、、、頑張って頑張ってみんなにこの真実を伝えるんだ!!!はありえないのです。夢だと気づいた瞬間は、、、なんじゃそりゃ?????です。頑張るのやーめた!!!!です。夢ですから。冗談じゃない、、寝ないで働いて全身ブランドで固めて超リッチな生活して女の子にチヤホヤされたい????夢の中でそこまでの努力できますか?????不可能でしょ、です。

帽子を動かす

自由意志の完全否定

目の前の帽子を動かしてください。手を使って動かします。帽子を手で持って右に動かしました。この実験で分ることをお伝えします。。。今私は自由意志でこの帽子を動かしました、、、これが人間の解釈です。ですがそれは本当は不可能なのです、そこを教えます。帽子を動かしたのは手です、手を動かしたのは脳の電気信号です、脳の電気信号を動かしたのは何でしょうか???何かの細胞の動きとしましょう、、ではその細胞の動きを司ったのはなんでしょうか???細胞内の何かとしましょう、、では細胞内の何かを動かしたのは何ですか???細胞内の何かの中の何かでしょう。ではその細胞内の何かの中の何かを動かしたのは何でしょうか????そろそろ分かってきましたね、、手を動かすということを調べていきますと無限に要因が連なってしまうのです。つまり今この瞬間に手を動かすというのは自由意志では理論上不可能なのです。

現象として手が動き現象として帽子が動く

真実はこれだけです、、手が動くという現象が起こり、帽子も動きました。ここに仕掛けはないのです。夢の中でこの仕掛けを探求すれば、、、、無限にその要因は連なっていきますが最後は分からないとなります。。夢の中で。これが夢の弱点なのです、、、ストーリーは無限に生み出すことはできますが、、、限度がないのです、、今は科学的にここまで、、、で終わらざるをえないのがこの夢の特徴です。全ての科学はまさにそうなっていますよね。手を動かすという科学的証明も実は今のところは、、、で終わっているのです。それはなぜか????この現象には終わりがないのです、夢ですから。

なぜそのことを科学者が言わないのか????

なぜこの矛盾、解明不可能な現実をノーベル賞科学者が突っ込まないのでしょうか?????中学生レベルでこれは分かるのです。。。なぜならば、、、、、、これが夢だからです!!!!夢だから科学者がそれを言わないのです、、この夢の中で。この中学生レベルでも分かる矛盾をなぜノーベル賞科学者が突っ込まないのか????夢だからです。

この夢の中で

音が鳴る光が輝く

究極のメッセージ、この世界で起こる全てはスペースで気づかれます、、、音、光、現象の全て、、、。ですが私の目が気づいたはずだと思えば、、当然、、、この目で確認したことをこの夢の中で証明できます。これは目でしかも網膜に写ったはずだという実験をすればこの夢の中でそれが証明されます。逆に言えばその確認をしない限りはその証明はできません。夢とはそこを突き詰めると次から次へとストーリー転換されるのです。私の口が味を感じたのだと思えば、、口を開けて味覚細胞を確認できるのです、これぞ夢です。

脳が全部把握している????

五感の全ては脳が把握してるんです!!!!そうです、この夢でそれを追いかければ脳でやっているというストーリー現象が起きます。全部が全部最後は脳が認識しているというストーリーは確認できるでしょう、、ですがそれはそれを証明しようとしたから現象化しただけで確認しない限りは現象化しないのです。この世界は夢ですから、、探ればなんでも現象化します。

細胞を分析していく

これが夢だという証拠を教えましょう、、例えば細胞を顕微鏡で調べます、、すると分子が発見されます、、それをさらに調べると原子が発見されるでしょう、、それをさらに調べると、、素粒子が発見されます、、それをさらに調べると、、名前が付いていない「何か」が発見されます。さらにそれを調べるとまた名前がない「何か』が発見されます。これは夢ですから調べると「何か」が現象化されます。しかもこれに終わりはないのです。なぜそんなことが可能なのか???それはこれが夢だからです。

悟りに疲れたら

残念ながら私に出来ることはない

残念ながら悟りにおいてこの「私」が出る幕がありません、もっと早く悟りを開きたい、、誰が????その私が居ないんですよ。そしてそのために何かをコントロールできる私が居ないということの気づきが悟りです。悟りとは私が開くのではなく、、私の中で悟りが開くのです。悟りとは私の中で起こる現象です。私の中で「私」という現象が起こらなくなることが悟りです。私の中で「私」が居ると思っていたらそれが夢だったという気づきが悟りです。

悟りを焦るということは

悟りを焦るということはこの「私」が苦しみから解放されたいという願望があります。それが強すぎると「私」を強化します。強くなりたい強くなりたいと焦るよりも空手練習に染まっちゃった方が早いです。悟りたい悟りたいと強く願うよりも悟りのメッセージに染まっちゃった方が早いです。そしてそこに至る自由意志がないことからそれが起こらないことを引き受けます。積極的な受容です。

あるがまま

悟りのメッセージで最も楽なのがあるがままです、、このあるがままによって後悔というのが起きないんです。なぜ今日悟りの本を読めなかったのか???それが起きただけ、、なぜ今日読破できなかったのか???それが起きただけ。。。起こす自分は存在せず、、本当の自分の中でただ現象だけが起こるのです。進むことも進まないことも全部が全部自分の中で起こるのです。ただそれを受容します。

目標を悟りに置く

無意識とは習慣である

目標が悟り、ノンデュアリティになりましたら、、あとは簡単、、、ひたすらにシャワーのようにメッセージを聞いていきます。地動説に慣れた我々は放っておくと地動説に戻ります。「自我」前提生活は放っておけば自我前提生活に戻ります。ここに新しい価値観を受け込むためにはそのメッセージをシャワーのように浴びる以外にありません。日本語に慣れた人が英語を習得するには浴びる以外にないのです。

気づきの連発

今左手で食べましたよ!!!左利きの人は無意識に左手で箸を使ってしまう、右手に変えるためには徹底的な癖付けが必要になります。これが自我解放のポイントです。本当の世界の事実をとにかく徹底的に学ぶ、聞く、浴びるのです。重要なことは、、分かんなくて当然だということです。自我ベースで生きる我々が悟り、ノンデュアリティをスラスラ分かったらおかしいんです。

本当はそうだよね

自我も、自由意志も方便ですから嘘です。嘘は真実の前ではいつか必ず暴かれます、そして真実に吸収されます。それは分かっているんです、ですから何も恐れずにただ淡々とメッセージに染まっていけばいいのです。メッセージに触れ続けるだけでいいのです。毎日毎日触れ続け、、話せば英語がである、、気づけば真実に在る、、という状態を目指します。

方便の活用

「私」という方便

私とは方便です、自由意志も方便です、自由行動も方便です、、、、ですが我々の社会は今この方便を前提に回っているのですからそこを回避することはできません。急に私なんていないんだし、自由意志もないんだし、、を前プッシュで動いても活動が難しくなるだけです。そうではなく社会に出れば方便を中心に生きます、そして何か反省すべき点や悩みが起こった時に、、この真実に帰るのです。

自我活動の映画

自我の活動、観念の作用を理解した上で社会に出ますと、、もうそこは自我活動の映画のようです。様々なドラマが半端なく繰り広げられています。面白くて仕方がない、、先ずは見かけ上の他人で自我の作用、自我の延命作用をしっかりと観察するのです。そして真実がこの自我の偽りを見抜けるようになった時に、、あれ????なんか凄い軽いんですけど!!!が起きます。

幼稚園に入学する前に

幼稚園に入学する前、、、家では子供に徹底的な自我形成教育をします。要は方便を学ぶわけです、、徹底的に。そしてその方便を幼稚園という実践の場所で鍛えるわけです。小学校中学校とその学びはエスカレートするわけです。そして社会である程度順応できたならば、、次は方便を方便と分かって利用する時期に入ります。嘘を嘘と分かって利用するのです。それが自己超越です。