悟りに疲れたら

残念ながら私に出来ることはない

残念ながら悟りにおいてこの「私」が出る幕がありません、もっと早く悟りを開きたい、、誰が????その私が居ないんですよ。そしてそのために何かをコントロールできる私が居ないということの気づきが悟りです。悟りとは私が開くのではなく、、私の中で悟りが開くのです。悟りとは私の中で起こる現象です。私の中で「私」という現象が起こらなくなることが悟りです。私の中で「私」が居ると思っていたらそれが夢だったという気づきが悟りです。

悟りを焦るということは

悟りを焦るということはこの「私」が苦しみから解放されたいという願望があります。それが強すぎると「私」を強化します。強くなりたい強くなりたいと焦るよりも空手練習に染まっちゃった方が早いです。悟りたい悟りたいと強く願うよりも悟りのメッセージに染まっちゃった方が早いです。そしてそこに至る自由意志がないことからそれが起こらないことを引き受けます。積極的な受容です。

あるがまま

悟りのメッセージで最も楽なのがあるがままです、、このあるがままによって後悔というのが起きないんです。なぜ今日悟りの本を読めなかったのか???それが起きただけ、、なぜ今日読破できなかったのか???それが起きただけ。。。起こす自分は存在せず、、本当の自分の中でただ現象だけが起こるのです。進むことも進まないことも全部が全部自分の中で起こるのです。ただそれを受容します。

(Visited 3 times, 1 visits today)