怒りも苛立ちも

面白い

怒りの感情が溢れる、憤りが溢れる、、、これを自分の感情という思考が起こる、、すると苦しくなります。なぜ?????この感情は全くコントロールが効かないからです。だから苦しいのです。この感情がこの「私」から湧いてかつコントロールが効かない、、この無力感こそが苦しみです。怒り、憤りという感情=苦しいならば、、少年漫画、少女漫画を読む人はいません。なぜならばそこに出てくる主人公はしょっちゅう怒り狂いかつそれの成り切ることを楽しんでいます。そうです、、それを私が所有しコントロールが効かないことに困っていたのです。

コントロールはない

全くの勘違いです、、コントロールできる自分が居ないんです。誰一人コントロールなどできません、居ないので。「居ない」ということを完璧に把握しますと怒りの感情によって困らないので、、すっかりこの感情を忘れるのです。憤りの感情が湧いてもそれをコントロールなどできないことを知っているから困らないのです。コントロールできない大人は恥ずかしい、、こう信じているから困るのです。

全感情に安らぐ

漫画の主人公が七転八倒、、怒り憤り孤独、、、、それをソファーで楽しむことができます。この体という幻影は、、この漫画を最大限の安らぎの中で楽しみます。そうです、、、喜怒哀楽は楽しめるのです。それを自分がコントロールすべきもの、、と教わったので苦しむのです。コントロールなどできません、、誰がコントロールするのか????自我という幻影にそれは不可能です。

セルフイメージ

恐怖心

多くの方は自身のセルフイメージを持ち、、、もしもこうなってしまったら愛されない、愛してもらえないという恐怖心を持っています。活躍しなければ愛してもらえない、、醜くなったら愛してもらえない、、お金を失ったら愛してもらえない、、自身のセルフイメージ、、ネガティブなイメージを重ね、、相反する方向に進むことでこの危機から逃れようとするのです。

執着

美への執着、活躍への執着、、お金への執着は、、そこに向かうことで最も恐る負のセルフイメージからの逃避です。ですが本当の本当の自己はイメージでは断じてなく、、イメージを作り出す存在そのものです。つまり、イメージとは全く違う、、本質です。そのことが理解できますと、、この体にネガティブなセルフイメージを持っていても何も問題がないということになります。なぜならばこの体のイメージと本質の自己とは何も関係がないからです。

他人のセルフイメージ

他人に対していかなるイメージをつけても全くダメージがありません。TVで見ている芸人がいかに弄られても平気ですよね?????なぜですか?????他人だからです、、、なぜ他人は弄られても大丈夫なんですか????だから他人だからです。。。つまり我々は自身のセルフイメージが傷つけられない限り全く大丈夫なことを何も不思議に思いません。実は実はこれって、、世界にはあらゆるイメージが存在しそのことはこの世界の価値を全く損なわないことを分かっているからなのです。

空即是色

空とは不変の自己であり、、そこからあらゆる現象が飛び出すのがこの世界です、、、あらゆるです、あらゆる現象が起こっていいのです。なぜか?????空とは無限の存在です、、その現れであるこの現象は何でもありです、、、これは良い、これは良くない、、なんてないんです。全部現れます、何でも現れます。。。。だからこの「私」の体にも何でも現れます。そしてそれでいいのです。。何でもありなのですから、、それでいて全く問題ないのです。。そのことに気づくと、、真の安らぎ、真の平和、、真の安堵が訪れます。

太陽との距離

何万光年????

太陽と地球ってどのぐらいの距離があるんですか?????何万光年ですよね??????違います。いまここにあるのならばあるのです。私との距離???ないです。同じ視界にあるのですから。。。。これが真実です。幻想の世界、幻の世界では、、、距離はありますが、、幻です、、幻と幻の距離に何か意味はありますか???ないです。太陽を幻として距離を測れば何万光年です。ですが実際にはいまここにただあるのです。

我々は幻に名前を付けてきたのだ

これはコップで中身は鉱石です、これはグラスで中身は鉱石です。。。これはダイアモンドで、、これは炭素でできています。これはスプーンで成分は鉄です。。。我々は物に名前をつけて、、その成分を覚えました。これによってこの幻には意味がつけられ、、その瞬間から、、我々はそれを発見した時に、、その意味を見るようになったのです。

本当は

本当は我々の世界は、、、あるがまま、、名前など関係なく、、空の現象が現れます。一瞬一瞬に、、現れるのです。過去には全く存在していなかった、、真新しい何かが今現れます。小さい子供はこの現象に感動します、まだ覚えていない何かはそのまま輝いているのです。大人が見るような、、燻んだ世界ではなく、、ありのままの輝く世界を見ています。

不必要な思考感情はない

苦しみ

この世界に苦しみをもたらす根源は思考です、、この思考さえ湧かなければ、、我々は終始穏やかに暮らせます。「私」を主語にした言葉さえ湧かなければ、、負の感情の一切を味わう必要はなくなります。ですがなぜそのような思考が湧くのでしょうか?????なぜ神はそのような思考が湧くようにこの人間を設計したのでしょうか?????簡単です、、ここは無限の反映の場所、無限の体験の場所なんです、、無限ということは楽しい、嬉しい、ハッピーだけじゃそうならないんです。だからどんな思考も湧きます、それによってどんな地獄も味わえるのです。

全思考全感情

こういう思考はわかないようにして、こんな感情も湧かないようにしよう、、、それではここが無限の経験の場所ではなくなってしまいます。だから、、それじゃダメなんです、、、。。。そこでどんな発想も思考も、、湧くし、、どんな感情も湧くのです。。。そこに気づくのです。するとこの大前提に立った時に、、「自分」を中心にした思考がわかなくなります。神の視点が定着し、、個人の視点が薄まるのです。

神としての完全自覚

神としての完全自覚が起こりますと、、個人としての思考が湧いてこないんです。。。すると苦しみがわかない、、辛いがわかない、、ですが個人として話をする時はどうなんですか????勿論個人として話はしますがこの「意識」相手の話に気づく意識は神の意識です。。。ここを抑えておけば、、神としての自覚の元に会話ができます。意識を所有できる個人は存在しないのですから。

なぜ隣人の死をいとも簡単に受け入れれるのか

身内以外

多くの方はこのことに気付いていません、、、、、「隣人の死」を多くの方は全く動揺せずに、普通に聞けることを。「え??????本当ですか!?ここから一週間は私寝れないかも!!!!」聞いたことがないんです、、なぜ?????なぜ人は隣人の死にそこまでショックを受けないのでしょうか???????簡単です、、一現象として、、「本質の私」が受け入れているからです。本質の私にとって現象(人間)の生誕病死は当たり前のことであり、、むしろそこが美しさでもあるのです。だから、、安堵の中でそれを受け入れるのです。

身内の死

身内の死は違う、、、身内の死は強烈に自分を意織します。。。。。自分の親、、自分の妻、、自分の兄弟、、、自分をありありと意識すると、、、ショックが起こるのです。完全受容ではなく、、損失です私にとっての。海が突然波になるのです、、だからショックを味わうのです。本当の私=空が突然、、この幻の体に住う幻の自我になるのです。。。だからショックを味わう。。

悟り

隣人の死を安らかに聞けるというところが、、悟りのヒントです。。我々は本当は空であり色なんです。。全体であり、、全現象なんです。。だから隣人の死を安らかに聞けるのです。身内じゃないから、、ではないんです。。悟っているから隣人の死を安らかな気持ちで聞けるのです。ここ最重要です。つまり我々は自身の本性に目覚めれば身内だろうと身外であろうと、、、全現象を安らかに受け入れれるということです。もっと言えばこの体、この幻想の体の死すらも安らかに受容できるのです。

不安

不安に思う現象の全ては自分ごと、身内ごとのときなんです。それ以外は一切安らかでいれるのです。TVのニュースで、、地球の反対での出来事で寝れない!!!ってないんです。安らかに見れます、、、、、自分ごとだけが苦しい不安怖い、、なんです。ですが本当の自分はこの体ではなく、、、空(不変の自己)なんです。そしてそこから生み出される全現象(色)です。だから全部安らかな気持ちで受け入れることができます、この認識が起こると。

いつか全てを受け入れる???

今やってますよ

いつかどんな人でも受け入れれるような器の人間になりたい。。。残念!!!!今もうやってますけど?????そうです、、、目の前に現れる現象(人間)は全部あなたが生み出し、あなたが受容しています。この体としての「あなた」じゃないですよ、、、「意織」としてのあなたが全登場人物を受け入れちゃってますけど、、、、、残念!!!!!

子供の頃

まだ小さい時、、、気に入らない大人って存在しました??????居なかったですよね!!!!そうです、、、空から起こる全登場人物はそのまま認識(意織)され完全受容されていたんです、完全な安らぎ、完全な平和、、完全な歓喜の中で、、、その登場人物の全てが受容されていたんです。そこにこの体(幻)の中に自分っていう幻を作り上げ、、、それによって登場人物の優劣、良否、善悪の判断が起こったんです。この幻の自分が登場する前にはこの判断は無かったんです。

今受け入れている

悟りを遠いどこかに置く前に、、今完全受容が起こっちゃっているとい事実に目を向けます。海というあなた、神というあなた、、全体というあなたが、、認識をしちゃっているわけです、登場人物を。この事実こそが、、判断の無駄を意味します。判断を起こす前に神としてのあなたが認識をしています。だからその人は今そこに居るのです。

気に入らない波

結局

我々が環境に対し、、選り好みするのは、、自身を波と勘違いすることから、、常に不安に襲われ、、周囲の波を脅威に感じるからです。海として、、この波はこの海に相応しくない、、、これが深層心理では働いています。海であることを忘れた感覚と僅かにある海としての感覚、、この憤りが、、他の波への好き嫌い、優劣、差別に繋がるのです。本当は完全の海であり、、海の上での波に関する思考、感情などどうでもいいのです。

この世界

根本的な解決方法は海であるという圧倒的な自覚以外にありません。波としれ、、、という概念に縛られている以上、何をしていても海に帰りたいという衝動から逃げることはできません。波という自覚こそがホームへの衝動を作るのです。この苛立ちが、、全苦悩の根本になります。

海という自覚

我々は本当は海である、、この自覚はどうしたら生まれるのでしょうか????「意織」です、、今我々は100パーセント「意織」を持っているはずです。この意織は一体どこから生まれるのでしょうか????「空即是色」です。不変の自己から、、現象(世界)が起き上がり、、その瞬間に「意織」されます。つまりこの海(現象の全て)が立ち現れた瞬間に「意織」が今も生まれています。だから我々は海でありこの海を起こした「空」でもあるのです。その証拠が「意織」の所有です。

無力感

分かっていない

場をコントールできると信じている人、家族をコントロールできると信じている人、会社をコントロールできると信じている社長、、、分かっていません。。。。コントロールできるはずのそれらの人々の中には「個人」が居ないのです。。これはギャグです、、、、だからコントロールとかいう言葉自体が不可能なんです。人々(幻影)の中には幻影の自我しか存在せずつまりは居ないということを理解できた時に、、これは反応でしかないことが分かります。。。。こちらの言動(自我不在)に対して、、ただ幻が反応を起こすのです。

反応を読めるか否か

心身掌握術に長ける社長とは人間の本質を見抜き、、反応を見抜いているだけです。つまり見抜けるか否かだけなのです。社員の一人一人の中には「自我」が存在しないのです。つまりこれはもう反応でしかないのです。どこからの反応か?????根源です。根源からの反応です。私が戦っていた相手は幻の体ではないのです、、その奥にある根源です、、根源から実は反応が起こっていただけのです。するとこの幻(体)はどのような反応をするか、この幻(体)は、、と個別対応の鬼になるのです。

実験

科学者が実験結果に対して腹を立てますか????立てません、、なぜならば、、それは反応でしかないからです。つまりこの幻、あの幻、、と反応を予想してこちらがアプローチするただそれだけなんです。そこには怒りや苛立ち、イライラは無駄です。ただの根源からの反応なのです。そしてこちらの反応もやはり根源からの反応です。悟とはこの真実に目覚めることです、一つたりともその幻(体の)の中の実在が意図的に対応などしていないということです。

虚無

そんなそんな全部が全部幻(体)でその中には自我という存在すらない、、、じゃあ私は、、、誰と一体一緒に仕事をしているのか?????気持ちが悪いし薄気味悪い、、、無気力、虚無になってしまいます。そうじゃないんです、、今までも幻がしっかりとあなたに反応していたじゃないですか、、幻が、、全く無視せずにあなたの行動に反応を起こしていたんです。それに対しての反応も最初から根源から起こっていた。。。だからこれから何かが変わることは断じてないんです。。それが気持ち悪いでしょうか。。。

求め方が違うだけ

家、車、家族、キャリア、、、

安定、安全、安心、平和、成功、、、、とにかくなんでもいいのです、、我々個人はそれぞれの目標に向かって生きています。人様に迷惑さえかけなければいい、、これも立派な目標です。ということで我々は何が何だかよく分からないこの世界を個人として生きるという迷路に入り込みそこから出れずに死ぬのです。その中で、、冗談じゃない、、絶対に何かが間違っている、、と気づいた者だけが悟りに足を踏み込みます。

どこから間違えたのか???

我々はどこから間違えたのでしょうか????記憶がないんです、、どこかから、、間違っているのは分かっているんです。でもそれに抗うなんていう選択肢は一切用意されていなかった。我々は最初から最後まで完全自動運転で動いています、動きっぱなしです。ある時「私」ってやつがニョキッと現れ、、なんだか生きるのが苦しくなった。なんとかこの世界に順応する術を覚えたものの、、何かがおかしい。。となります。

軽度の鬱

人類は皆軽度のうつ病なのです、、、正直この苦しみがどこから湧くのかが全く分からないのですから。意味不明に苦しみを抱えて生きています。お酒、タバコ、ギャンブル、TV、恋愛、買い物、デザート、、これを軽減できるアイテムはありますが、、それは対処療法の域を出ません。だから慢性的なうつ病なんです。

80億通りで海に戻ろうとする波

波は彷徨う

80億の波が今海を求めて彷徨っています。なぜ数学者は次々に難問を解き明かしたいのか????なぜ職人は至高の技に挑むのか???なぜ哲学者は最終回答を求めるのか????彷徨っているのです、、答えを求めて。この答えとは海に戻る方法です。ですがどれほど海に戻る方法を求めてもないのです。最初から海であることを思い出す以外は。

最終解答

では教えます、、、波は最初から海なんです、、、いやいや今もそうですが波としての思考が次から次へと起こりますよ????だから困っているんです。残念!!!その思考は海から出ています、、海から「私は波だ」という思考が現れ、、それがイメージ化され、、、そのイメージによって「苦しい」が湧くのです。ただそれだけです。海なのに、「私って波だよね!!!!」という思考が湧くのです、、そしてそれが認識され「違和感」が起こります。思考の起こり認識の全ては海によって起こります。だから我々は最初から海なんです。

波は何も出来ない

波は思考を起こすことも認識することもできません、、、実を言えば海にもそれができない。。。波も海も本当の自分(空)からでる現象であって、、認識も実は空から起こります。その中で思考が空から起こり、、認識が起こる、、波も海も認識される対象であり、、空から現れ出る色(現象)です。波は広大な海を求めていますが全部が全部空から現れ出た現象に過ぎないのです。空から現れ出た波も海も、、思考も感情も認識はそこから生まれます。