存在

それしかない

この世界には存在以外が存在しません、私がいるという感覚もこの目の前のコーヒーカップも、何もかもが存在が変異したものです。存在が音になり存在が思考になり存在が味になり存在が感情になるのです。だから存在以外何もないのです。にも関わらず「この私は全体とは全く関係のない分離した存在だ」という思考が起こることでその瞬間に分離感という苦しみ、居心地の悪さが起こるのです。

こうあるべきだ

「人間とはこうあるべきだ」という判断は人間には自由意志があることが大前提にあります。「あいつのあの行動は許容できない」という判断の裏には自由意志に対する責任の追求があるのです。ですが自由意志はないのです。ですから「人間はこう生きるべき」という思考は勘違いがベースにあります。あの花の咲き方は我慢ができない、、という発想を持てばその発想こそがその花を顕現させ苦しみを生み出します。

ルールが消えるまで

この宇宙にはルールがありません。ですがそこにルールを作り上げればそのルールが消え去るまでルールによって苦しむのです。なぜならば本当はルールはなくルールとは完全な勘違いがベースにあるからです。ルールは大誤解であり、、そのルールの宿命はルールの消滅です。よってそのルールが消え去るまでそのルールによって苦しみが起こり続けるのです。

この現象界での経験

原因

ここでは五感+感情+思考という全7感が起こります。音が鳴る時、、、音はそのままに認識されます。ではなぜ音は鳴るのか?????なぜ音が起こったのか????????その現象が生まれた直接原因、要因はなんですか????????原因は「ない」のです。もしくは原因は「無限」に湧きます。ここは空「無限」が鏡に映った現象界です。ここでの現象はただ空から直接起こるのです。ではどうやって?????空は無限だから、、その無限の現れに「原因」がなぜ必要なのでしょうか??????必要はないのです。だってここは無限が作り出した現象の場所です。

音はこういう要因でなくては現れでない??????

音が鳴る要因が必要であってそに要因が限定的であるならば、、、ここは無限が作り出した顕現の場所ではなくなってしまうのです。無限の鏡に映ったこの現象界では無限の現象(音、色、味、触、香、思考、感情)が起こって良いのです、しかも原因はなくとも。

科学

科学はここで起こる現象に裏付けをしようと試みます、するとそこには無限の要因(現象)が現れ出るのです。だってここは無限(空)が現象(色)として現れ出る場所だからです。なぜなぜなぜ「エゴ」は結果にあらゆる要因、原因を探し求めますが、、、その行為、そのエネルギーこそがエゴを維持しようとする動きなのです。

この世界は神が鏡に映った世界です。神が鏡に写りあらゆる現象がこの鏡の中に現れでました。それが顕現、現象、色です。では私はどこにいるのでしょうか????私はこの鏡に映った体という画像の中に居ます、思考として。友人から声を掛けたれたその瞬間「私」が感じられるのですがその感覚こそが鏡に映った現象として現れ出るのです。だからこの「私」という感覚は神ではなく鏡に映った現象の一つです。

コーヒーを飲もう

コーヒーを飲もうとするその思いは誰が起こしたのでしょうか??????厳密に言えば、、誰も起こしていません。神が映った鏡の中で「コーヒーを飲もう」という思考のみが自然現象として起こったのです。では神が起こしたんではないのですか?????いやいやここは鏡の中の世界ですから「意志がない神」の反映に過ぎないのです。神は無意識なのです。神とは「熟睡時の存在」でありその時意織はないですね????そうです、神とば無意識なのです。

仏教ではこれを空と呼び、、この世界は空の反映の世界です。空には意志は存在しませんから「コーヒーを飲もい」はないのです。ですがそれが鏡に映ったこの世界では反映として「コーヒーを飲もう」が起こります。誰でもないものから突然「コーヒーを飲もう」が起こり、、ただ認識されるのです。かつての主人公「私」は思考であってこれも認識される対象に過ぎず、、「コーヒーを飲もう」も同じく認識される対象に過ぎないのです。

構造上

つまり我々とは思考に過ぎず、「コーヒーを飲もう」という思考と全く同種、同レベル、同存在です。神、空の鏡に映った世界で在る「いまここ」には誰も存在せず、ただ現象だけが起こり続けます。ただその現象の中に「俺がやった」「俺の所有物」「俺の人生」という思考だけが起こり続け認識され続けます。

サットサン

何が起こっている?????

サットサンとは見かけ上の覚者が見かけ上の目覚めていない人間と会話をする場所です。その場所では一体何が起こっているのでしょうか??????見かけ上の覚者とは、、左脳から起こる思考が捏造に過ぎないことに気づいた人間のことです。左脳から起こる思考は分離を前提にしていますがその前提が真実ではありません、要は嘘です。そのことを見抜いた人間が、、見抜けていない人間と会話する場所、それがサットサンです。

だがしかし

奇妙なことにその会話は分離が前提の言葉を使って行われます、これは矛盾です、パラドックスです。あなた、私という言葉が使われながら真実の伝授がなされるのです。覚者がどのような言葉を使おうとも何も問題がないのはその言葉が左脳から起こる捏造であることに気づかれています、言葉が指し示す内容の全てが捏造、錯覚、幻想に過ぎないことが気づかれているのです。だから会話は交錯しようとも、成り立たなくとも何も問題はないわけです。

左脳に仕事をさせない?!

開店休業

左脳とは幻想を生み出す道具です、左脳とは全てが分離しているという錯覚を生み出す道具です、左脳とは私という存在を作り出す道具です。一方右脳は全部が一つであることを分かっています、ワンネスしかないことを分かっています。矛盾が起こっています、、左脳で分離を作り出しながら右脳では完全に一つであるという自覚を持ちます。

人間の進化

人間は左脳を発達させて進化してきました。起こる現象を左脳で分離分析しこの体を保持するために進化発展したのです。その目的はこの体の保持です。ん???????幸福じゃないんですか???????幸福幸福、、、みんな幸福を求めて生きていますよ、、人間は!!!!!!残念、、、それ左脳に完全に騙されています。幸福を求めていると思っているようで実は体の保全に全力投入させられているんです。だからお金持ちと結婚したがり、イケメンと結婚したがり、ステータスと結婚したがりますよね??????その先に幸福があると信じて。完全にそれ左脳に騙されてますよ。

こうなったら幸福???

私にパートナーさえいれば、、私に学歴さえあれば、、私にお金さえあれば、、、もっと幸福になれるのに。。。。。。。これ左脳が作り出した幻想、幻影です。その目的はずばり体の保持です。より体が安全に保持されるようにそのような思考が湧くのです。この左脳の働きに気づきます、この左脳の企みに気づきます。左脳の嘘に気づくのです。左脳はこの体の保持のためには平気で嘘をつくのです。

嘘つきの遠吠え

左脳は一日中嘘をつき続けます。でもそのことが分かってしまえば、、、、もう気にしない、、もう構わなくていい、もう信じなくていいのです。放っておけばいいのです、、、一生言ってろ!!状態です。そして段々と気づいていきます、、その嘘の中に「自分」とやらが含まれています。その嘘の中に「私」が含まれています。そうです、、、この絶対領域私とは左脳が作り出した嘘の中に含まれているのです。

左脳の捏造

思考

左脳は常に常に幻を捏造します。今我々の前には分離した物質が山のように存在していますよね、それ左脳が作り出した幻想です。ここに私が居てあなたが居ると思っていますよね?????それ左脳が作り出した幻想です。週末に友人に会うって約束しますよね????それ左脳が作った幻想です。右脳では既にここが完全なワンネスであることがバレてます。既にそれがバレているから、、、左脳が作り出した幻想を信じると、、苦しくなるのです。嘘であることがバレているからです。

では???????

では我々は左脳を壊死させて右脳だけで生きていけばいいのでしょうか????左脳に針を打ち込んで左脳を殺しますか??????それでは人間業界での社会生活が困難になり病院生活になります。そうではなく左脳の働きに自覚的になるのです。左脳が作り出すのが全て幻想であると気づいた時、、、既にその幻想に振り回されるということが終わります。幻想はそれが幻想であると気づかれた瞬間影響力が落ちるのです。

それでも左脳は

それでも左脳は幻想製造をやめません、気づかれよと気づかれまいと、、、左脳はこの体の生存確率を上げるために日々幻想を作り続けるのです。そしてその作戦は多くの場合大成功に終わるのです。なぜ作戦は成功するのか?????それがそれが幻想と見抜かれていないからです。幻想と見抜かれない限り幻想は影響力を発揮しこの体の保持に動くのです。

飼い猫

可愛い

飼い猫の話を飲み屋で聞けばほぼ9割の方は「可愛い」と話します。うちの子最近玄関でトイレしちゃって、、最近は指輪を隠しちゃって、、最近は高級ソファーを破っちゃって、、、と楽しそうに話すのです。ところがところが、、旦那さんの話になると「うちの旦那は、、、、本当にどうしようもない、、、」が始まります。なぜ?????なぜ飼い猫は可愛くて全面肯定できるのに、、なぜ旦那は全面肯定できないのでしょうか??????

自由意思

簡単、簡単、超簡単です。旦那さんの行動はソウル、魂、自我からの自由意志であり、、猫ちゃんは自由意志ではなく本能の行動だから。猫ちゃんが何をしようとそれはしょうがない、、、、で終わり、、、旦那さんの行動は自己責任ががっつりと重くのしかかるのです。ところがところが本当は自由意志はないのです。猫ちゃんにも旦那にも自由意志はないのです。

反復

自由意志が一切ない猫ちゃんへのしつけは反復です、、反復反復で習慣を身につけていきます。トイレの場所は反復で教えます。人間も全く同じで「習慣は反復」です。自由意思がないのですからそれしかありません。もしも意図しないような行動が起こってしまったら、、それは反復が足りないのか、そもそもその能力がないのです。だからそこには「諦め」以外しかありません。

受動意織仮説

前野隆司

脳科学者の前野隆司さんは脳科学の観点から自我の不在を発見しました。自我とは左脳が作り出した捏造であるという発見です。当初はこれを錯覚と表現していましたが錯覚とは違ったように感じることであり、、自我とは存在しないのですから錯覚ではなく捏造であるということです。左脳は行動の前に思考を作り出すわけですが、、この動きは脳の運動野の動きの後に起こることに気づきました。本来は左脳の動きがあってその後に運動野の動きが起こり、その後に行動が起こるはずが、、運動野の動きが最初であるということです。つまり既に無意識化で動くことが決まっていてその後に思考が現れるのです。

覚者

覚者はそのことを既に分かっており、、全ての思考は自然現象的に現れるのだと説きます。体の動きも自然現象、思考の動きも自然現象ならば、、、そこにはそれをコントロールしているはずの自我は存在しません。このことに脳科学の実験から実証したのが前野隆二さんです。「スタバに行こう!!」という思考は「スタバに行く」という運動野の動きの後に起こるのですから、、この思考はやはり自然現象に近いのです。

エピソード記憶

脳にはエピソード記憶がありそのエピソード記憶によって左脳が作り出したストーリーが蓄積されていきます。このエピソード記憶から、、次に次に思考が現れては消えていき、、なぜそのような行動をしたかが書き換えられていくのです。私は今日これとあれとあのことをやった、、という思考はこのエピソード記憶から起こるのです。実際には全ては左脳が作り出した捏造であって、、そのような事実は一切起こってはいないのです。

事実

事実では、、主体が存在しない経験だけが起こっています。その経験が起こる前、起こった後に左脳から捏造された思考が起こり、、その思考のままに認識が起こる時、、、エピソードが追加されていくのです。このエピソードを真実であると捉える思考がさらに起こることで人間業界は成り立っています。その事実を受け入れた時湧いてくる思考を深刻に捉えなくなるという事実が起こるかもしれません。

バタ足ノンデュアリティ

金森将

今ノンデュアリティのメッセンジャーで最も注目されているのがこの方です。この方のメッセージの特徴は悟り用語を完全に廃して悟りを伝えるということです。悟りとは言葉ではありません、悟りとは概念でもありません、ですが人が人に何かを伝える時、、言葉が使われます。だから我々は「常に何かを理解する」=「言葉による理解」と勘違いするのです。

実感

金森さんは常に常に「実感」を説きます。自分なんてものはどこにも居ないから実感してみてください、コーヒーを味わう時自分なんて本当に居ますか????????パスタを食べる時に本当に自分なんて出てきますか???思考も行動も起こる際に自分なんてものは出てこないんです。全てが全てそうだから実際に確かめてみてください。こんな感じです。

苦しみ

金森さん曰く「人間の苦しみというのは自分が全部やっている」この勘違いから生まれているということです。本当に自分とやらがいるのか、、、先ずは確認をしましょうと。。。。すると、、、そんな存在は居ないわけです、、、そんな存在が居ないとなった時、、、神やブラフマン、ワンネス、マーヤとやらがそこにはありますか?????そんなものはないですよ、、、自分の代わりに大そうな何にかがあるのではなく、、ただ何も変わらない実感だけがそこにあります。言葉のお遊びから抜け出して事実に戻りましょう、これが金森さんのメッセージです。

トニー・パーソンズ

トニーの教えの特徴は、、完全な全体性、個人という概念を一切寄せ付けない無の表現に徹することです。そこにはトニーパーソンズという見かけ上の個人もほぼ登場せず、、ひたすらに無、全体の表現だけがここにあることを伝えます。真実ではこれしか起こっていない、、ここをひたすらに伝えるこのメッセージは寄り添いがないのです。これが見た目の上のトニーの真の優しさです、見た目上の彼の体から起こるメッセージはそこにブレがなくよって混乱する思考を一掃します。

トニーは個人の活動の全ては「夢」と表現します。トニーが経験した全ては夢です、、思考が作り出した夢です。夢ですから実際にはそれは起こっておらず、、そういうことが起こったという思考が後から起こっているのです。起こる認識の全てを個人が起こしたという発想が起こり続け、、それが夢なのです。実際にはただ認識だけが起こります、主体が一切存在しない認識だけが起こるのです。その後に私がそれを認識したという思考が起こりますがこれが夢です。

オープンシークレット

彼の教えの最大の特徴の一つそれがオープンシークレットです。公の秘密、、常に常にこの秘密は公開されているというメッセージ、、、まさにその通り、、、悟る前から全く同じこのシステムが起動していて悟ったという気づきの後も何も変わらずにこのシステムは動きます。その時、、あれ今までも全く同じように起動していたにも関わらずそのことに気づいていなかっただけだったのだ、、、という気づきが起こります。個人など最初から居なかったのだ、という気づきです。