地動説

悟りに関する書籍がなぜ読まれにくいのか?

天動説で全て説明がついているにも関わらず

天動説が地動説に切り替わった時に恐ろしいほどの時間がかかりました。なぜ100年近くの歳月が必要だったのか?答えは簡単、天動説は地球上の人々にとって何も矛盾がなかったからです。生活をしていく上で天動説で全て説明がついてしまっていたからです。ところが一部の研究者だけが天動説では説明がつかないことがあった、研究者は地動説ではないとこの先の研究が進められなかったというだけです。だからこそ天動説をベースに生きていた多くの人は絶対にそれを認めなかったのです。

悟りに関する内容もこれと同じ

悟りに関する内容もこれと非常によく似ています。人間の中に個別の自分が居るというこの共通認識は人間が生きていく上で何も矛盾がない、、にも関わらずこの身体の中には自分がいない、、という悟りの内容は都合が悪すぎるのです。そんなことが解明してしまったらこれからの人生どうすればいいのか?そんなことを言われても困ることの方が多い、、、こんな感じでしょう。

地動説に切り替わり人類は飛躍的にテクノロジーが進化した

天動説から地動説に切り替わることで人類の進化に拍車がかかったことは間違いありません。地動説に切り替わり天文学は180度ベクトルが変わりました。これと悟りも同じ、もしもこの人間というのが全体が操るマリオに過ぎないことが分かれば人類永遠の悩み、苦しみが解明されます。生きているだけでなぜこれほど苦しいのか?この究極のお題が解消されることになります。

地動説以来の大発明「自分が錯覚」

自分が錯覚であることに気づいたら二度と戻らない。。。

自分が錯覚である、この感覚の気づきは、、天動説が地動説に切り替わった時の人類の驚きと同じです。そもそも地球は平坦で、その周りを宇宙が回っていると真剣に信じ込んできました、研究者が実は地球こそが太陽の周りを回っていると唱えても変人扱い、病気扱いをされたモノです。今回の提案、実は自分とは錯覚であるというアイデアはその当時と全く同じ扱いを受けます。この体の中に自分が居るというのは思考のアイデアです。思考と記憶が作り出した画期的なアイデアです。

人間同士は自分の存在を共有し続ける

天動説が人間にとって当たり前の定説だった時、それに異を唱える動物は皆無でした。人間だけが人間同士で勝手にそう思いこんでいただけです。人間全員がそう信じればそれに異を唱えるのは誰もいないのです。今回の自分錯覚説も全く同じです、人口の99。999パーセントがそう信じていれば先ずこの理論が覆されることはないでしょう。もしも自分錯覚説に気づいた者が現実的に目の前に現れても病人か変人に扱われて終わりです。

自分というのはアイデア

人間がどれほどのテクノロジーの進化を遂げても体に中に「自分」を発見できることはできません。断言できます。なぜならば自分とは思考と記憶が作り上げたアイデアだからです。この体の中に思考も湧いてくるし、感情も湧いている、そして五感もガッツリ感じている、、、だからこの体の中に自分が居るというアイデア、理論です。この体無しに思考も感情も湧かないではないか!その証拠に熟睡中は何も湧いていない!ということです。ですが実際は思考、感情が湧いた時にこの体の中に湧いたのだと信じ込んでいるだけです。マリオがゲームの中で味わう辛酸はマリオのものだと言い張るのと同じです。スーパーマリオの中で辛酸を味わっているのはマリオではなくプレイヤーです。

もしも動物の感情が読めてしまったら大変

動物の精神状態が理解できてしまったら

もしも人間がテクノロジーを発展させて動物の精神状態を読み取れるようになったら、、、大変なことが起きます。悩み苦しむ動物も将来に不安になっている動物も、過去を憂う動物も皆無だからです。つまり人間よりも遥かに精神状態が安定しているということです。そんなことはない、、人間様がこれほど不安や不平を抱え毎日ストレスを背負いながら生きているのになぜ動物の方が心穏やかなのか?と思うでしょうが事実です。人間だけが将来不安に怯え生きているのです。

何億光年先の惑星すらも発見できる人間が、苦しみのメカニズムを発見出来ない

人間はとてつもない進化を遂げてきました、船を発明し、飛行機を発明し、スペースシャトルを発明し、、何億光年先の天体すらも発見しました、、ですが人間は人間の苦しみ原因をまだ発見出来ずにいます。ジョークです。釈迦やキリストがかつてそこの解明に至ってもそこから携わる人間がまた誤解を繰り返し全く異なった解釈が行われています。人間は自身の苦しみ解決のため今日も新しいテクノロジーを進化させ、便利な生活用品、快適な住居を開発しますが人間の苦しみの本質が解消されることはありません。

まさか人間の初期設定が勘違いだった、、、

渋谷駅に行けば見渡す限りに何千人という人間が居ますが、その中でこの体の中に実は自分が居ないという事実を知っている人はどれほどいるでしょうか?恐らく一人もいないでしょう。この体の中に自分が居るという大誤解は天動説から地動説に切り替わった時ぐらいの衝撃的発見になります。人間は何万年もの間、この体の中に自分が居るという勘違いを続けてきました、そろそろその勘違いが訂正されてもいい時期です。