真我実現はない???????

どうやって????

真我実現とは真我として実現することです。真我として実として現れることです。では真我実現前はどうなっているのですか???真我が実現される前があって真我が実現されるという事後があるのでしょうか???事実では、、、真我は最初から真我であって真我が真我でない状態など存在しません。真我実現とは最初から真我実現です。ではなぜそのような言葉が存在するかと言えば、、、真我の影を「実在」とする動きが起こった時、、私はこの体であるという思考が起こります。この状態が苦しみであり、、、これから解放された状態を真我実現と呼ぶのです。

では一体何を実在としたのか???

この世界は真我の影です。この体も真我の影です。この体という影を「私」とする動きがやはり影として起こります。この動きが「無知」と呼ばれます。真我の存在が忘れ去られ、、この体を「私」とする動きです。この無知な状態の時「恐れ」が生まれ、、苦しみが生じます。この苦しみを取り除きたいから、、、影の世界で解消を図るのです。これを地獄、餓鬼、畜生、菩薩などと呼ばれる世界です。影の世界で、、、何かを得れたら、、、この苦しみは消えるのではないか、、、、、、という希望がある期間は苦しみが続きます。

真我の影を影と見抜けず、、、これを実在と信じた時「苦しみ」が始まるわけですが、、、その解消方法も、、、影を影と見抜けずに、、この実在と思っている世界で、、、成し遂げようとします。この期間は地獄界、餓鬼界、畜生界、、、と呼ばれ、、、菩薩界もやはり同じです。この世界の何かではこの苦しみは消えないのでは、、、と気づき、、内面に入って行った時、、、、真我という存在に気づく時が来ます。真我発見です。影を影と見抜けない思考が、、、ついに真我を発見します。

真我が発見されて

真我が発見されて、、、この見える世界の全ては真我の影であると気づかれた時、、、、影を追い求めて救われることがないことも分かってしまいます。次第に影に関心が無くなっていき、、、影の大元である真我とは何か???に関心がシフトします。真我とは影の内容全ての「気づき」であり、、、影の内容の大元です。影は変幻自在に変化することから、、、大元の真我は「無限」でもあり、、、、真我の正体が発見されていくのです。

何者かでなくてはならない

強迫観念

我々は何者かでなくてはならないという強迫観念を持っています。会社員でなくてはならない、企業人でなくてはならない。学生でなくてはならない。主婦でなくてはならない。。。。などなど、、、です。なぜそのような思考、概念が一般通例なのでしょうか????なぜ?????それはこの見える何かがあまりにもリアルだから、、、我々も当然この見える何かに違いない、、という強迫観念が起こるのです。あまりにもこの世界がリアルだから、、この私も見えるリアルに違いない、、という観念です。よって私は〇〇◯べえであり、肩書きは「イラストレーター」であり父であり、日本人である、、、、となります。こういう肩書きがないと不安で不安で仕方ないわけです。

だがしかし

真実では我々はこの見える何かでは絶対にありません。見える方ではないのです。見える何かに「気づく」方です。ですから、、、、肩書きで現せる「何か」では絶対にないのです。そしてこの見える何か、、肩書きの方は、、、真我『気づき』の影です。影の変容です。突き詰めれば全て真我の影です。私は〇〇○ベエ、、、というのは見える方ですからそれは真我の影のことです。真の私は真我であって影では断じてありません。ですから何者かでなくてはならない、、、という固定観念は真我であることを忘れた思考です。

苦しみ

何者かでなくてはならないという固定観念こそが苦しみの原因であり真我発見されるまではこの苦しみは続きます。苦しみとは真我を探し出すまでの衝動です。だから愚直に「見える何者か」になり続け、、最終的に、、、この連続では苦しみが消えないと「悟り」見える何かではないかもしれない、、という気づきに入ります。ですが何十年間という期間、この見える世界が実在と信じてきたが故に、、、、、頭では分かっても真我実現が達成できません。ですが見える何かに執着する期間は苦しみが続くことから、、真我実現に向かうことも必然なのです。

実在と影

これ

これは影です。この世界は影です。影は存在するためには「実在」が絶対的に必要になります。実在とは、、、紛れもなく存在するものです。それは「気づき」です。影に気づく「気づき」が実在です。ですからこの世界、この私、あなた、彼、、、全ては「気づき」の影です。影にも関わらず影に名前がついています。この命名行為が影の動きです。結果的には影しか存在しません、気づきが実在で影が存在します。

影の姿

そしてこの影は変幻自在に変化します。時間も現れ空間も現れます。思考も感情も現れます。影が変幻自在であることから大元の「真我」が何かが分かってきます。真我は無限なのです。だから影が変幻自在に変化するわけです。そして人類は常に90億人、、幸福を求めます。つまり幸福を知っているわけです。生まれた時は幸福そのものだった、、つまり真我とは幸福だということです。真我は幸福であり、無限であり、気づきです。

影は実在が何かを教えてくれる

人間の体を太陽が照らせば「影」ができます。その影を見て、、実物はこんな形なんだ、、、、と気づくのです。この世界は真我の影です。影がどんな形をしているかで真我の姿が分かってしまうのです。この世界は変幻自在で動き、、無限の表情を作ります。つまり真我とは無限であり、、幸福であり、、気づきなのです。

叶えた瞬間

毎秒ごとに、、、

大きな大きな夢を叶えた瞬間「感動」のピークが起こり、、そこからは毎秒ごとに感動が薄れていきます。この事実をおかしい、、と思う人はなぜいないのでしょうか????欲しかったベンツ最上級クラス、、、念願の夢、、、仕事で成功したら絶対に手に入れてやる、、と信じていた、、、が、、、手に入れた瞬間から毎秒ごとに感動が薄れていきます。なぜ?????なぜ???????これを不思議に思わなくてはダメなんです。つまり、、、、「手に入れたモノ」が本当に実在するならば感動が薄れるって変なんです。ですがそのことがあまりにも普通だから人はそういうこと、、と捉えるのです。

つまり

みんながみんなそうだから、、そういうことでいいんだ、、、で終わってしまうわけです。ですが本当は変なんですよ、、、、だってベンツ最上級クラスは、、、毎秒ごとに価値が下がるんですか????経年劣化で下がるのは事実でしょう、、ですがそれにしても急速過ぎやしませんか??????そうです、、急速すぎるのです。。。30年ローンで建てた一軒家、、、次の日に売りに出せば、、、価値は半分ぐらいになる、、、なぜ????何のこっちゃ、、、です。

では答えを言っちゃいます。。。全て影なんです。真我の影です。影だからそれはどんなに実在しているように見えようとも実在しないのです。そしてそのことはどこかでは分かっています。さらに言えば、、、それを手に入れた私も影です。影が影を手に入れたのです。。そしてそのことがどこかでは分かっています。だから感動も起こるけど消えていきます。感動も影です、、影は消えるのです。儚い影を実在と信じる苦しい思考が蔓延しているのです。だから、、いつそれに気づくかです。いつ影を影と見抜くかです。影と分かってしまえば、、手に入れることに執着は無くなります。だって所詮は影ですから。

ラマナ マハルシ

頭痛

ラマナは言います。あなたが頭痛になった時、なぜそれに気づくのか????そして頭痛が治ることを願えるのか????願える理由はただ一つ、、頭痛がない状態を知っているからです。では今あなたは幸福を願っていますね????人類90億人が幸福を願っています。なぜならば幸福であることを知っているからです、そして今不幸だからです。幸福とは何かを知っている状態で今不幸だから、、幸福を願えるのです。

つまり

我々は全員が全員、、幸福とは何かを知っている、、、、生まれた環境は千差万別だったにも関わらず幸福を知っているのです。なぜ????なぜならば、、、、あなた自身が幸福だったからです。あなた自身が幸福そのものだったからです。だから全員が幸福とは何かを知っているのです。そこから不幸が始まり、、不幸ゆえに幸福を願えるのです。

私自身が幸福????

幸福に条件が必要ならば、、、人類全員が幸福を知っているというのはおかしなことです、不可能です。全員が全員幸福を知っているということは人類そのものが幸福だったということです。オギャーと生まれたその時は「幸福」そのものであったということです。だから幸福を願えるのです。ではその幸福が不幸になった理由は何か???そこが分かってしまえば、、、幸福に戻れるはずです。幸福になるための条件を揃えるのではなくなぜそもそも幸福だったのかに気づくのが先なはずです。

思考

思考が現れる前、、我々は全員が幸福そのものだったのです。思考が、、真我の影を実在とする動きを見せたことで不幸が始まったのです。この体を実在と信じる動きが起こった時、、この体を守らなくては!!!という思考が起こり、、不幸が始まったのです。この体を「花子ちゃん」と呼び出した瞬間、、、孤独感が始まったのです。思考です、思考を作りだす記憶です。ここにどうやら問題がありそうです。

最終回答

では答えを言ってしまいますね。。。目に見える世界は真我の影なんです。真我の影が見える世界として今ここに現れています。その真我の影を影ではなく実在と信じる動きが思考によって起こったのです。この瞬間から、、苦しみが生まれました。この体も真我の影ですがこの影を実在、、つまり本当に存在すると信じたことから、、、だったら守らなくちゃ、、が起こり、、、恐怖心が生まれました。そしてこの実在する体を「私」と信じたことから、、、私を守らなくちゃ、、という思考が起こります。これが恐れです、孤独です、罪悪感です。ですが本当は全て真我の影であって実在しないのです。影を実在と思っていなかった頃は幸福そのものだったのです。影を実在と信じ始め、、苦しくなっていったのです。

オーラ

気になる

我々は、、オーラ、前世、過去世、守護霊、指導霊、、、、、、あらゆる不思議な現象が大好きです。パワースポット、ゼロ磁場、、、、不思議な世界を愛してます。ですがそれらは全て真我の影です。真我の影の動きです。影は影であり影を越えることはできません。そしてあなたはその影ではなく影の大元である真我です。なぜ影のことばかりに関心があるのですか???なぜ影ではなく影の大元に関心を寄せないのですか???影を追いかけても影しか見つかりません。我々は影を超えた存在であり影から影響を受けるような柔な存在ではないのです。

影の存在意義

オーラが見えていいのです。オーラがあっていい、。。。ただそれが指し示すことはその根源である真我です。対象が指し示すのは真我であり、、、その真我の存在に気づくために全てはあります。なぜならばオーラ博士になったところで、、、苦しみが消えることがない、、、、、じゃあどうすりゃいいんじゃ、、、、、となった時、、、真我を探す動機が生まれます。やっぱ悟らなきゃ苦しみは消えないや、、、です。

真我実現

地位や名声を得て、、、不思議な世界も勉強し、、、全て学んだ、、、、、でもこの苦しみは消えやしない。。。。。そんな時、、、、、悟りのことが気になり始めます。結局のところ、、、自我を残して、、、苦しみは消えないのではないか、、、、、、、です。そこから人は究極の存在「真我」に関心を寄せるのです。真我探究です。本当の私はオーラでもない、エーテル体でもない、アストラル体でもない、、、、、思考でも過去世でもない、、、、その全て、、に気づく「気づき」です。そしてまさかのその全ては真我である気づきの「影」です。それが分かった時「真我実現」です。

これからの人生

いかに生きる???

AIが急速に進化していますが、、、これから人間は何を仕事にして生きていけばいいんですか???全く先が読めない時代をどうサバイブすればいいのですか????答えが分かりません。生きる明確な方法を教えてください。。。。では回答します。その回答の前に、、あなたは今までどうやって食べてきたんですか????何を明確な指針にして生きてきたのでしょうか???先ずはそれを教えてください。。。。え????どうやってって、、、、自分の中で最善な選択肢を選んできたんです。。。。

誰が????

誰が最善の選択肢を選んできたのでしょうか????誰が????私に決まっているじゃないですか!!!!私に。。。。。残念ながら違うんです。残念ながら、、、、あなたは選べないのです。つまりこういうことです。変わっていく環境に対して自然に最適な選択がただ起こってきたのです。その自然に起こった最適な選択を「自分」がやったという思考が起こっていただけです。つまり、、、本当はあなたは何も選んでもいません。だからこれからも選べないのですから何も心配しないでください。

生まれて死ぬまで

この体が生まれて死ぬまでの一生においてあなたが選べる選択肢は何もありません。何一つあなたは選びもせずに死にます。だから安心しまくってください。失敗の選択というのは存在しないのです。失敗というのは選択権があるケースにおいてのみ発生する事態です。ですが選択というものが存在しないのです。結果、失敗も成功も空想です。妄想です。選択権があると盲信しているから、、、成功者、失敗者という概念が生まれたのです。

真我の影

影ゆえに

この世界はそのまま真我の影です。見える世界、聞こえる世界、味わえる世界、触れれる世界、香れる世界、、、五感が生み出す世界はそのまま真我の影です。真我の影が、、その五感を生み出します。そして現れた影はそのまま真我に気づかれます。そこに思考という影、感情という影が現れたのが我々人類の特徴です。人類を通じて五感、思考、感情という影が現れでることが可能になったのです。ですが全てが影であることに違いはありません。

故に

全ては影ですから現れては消えます。何万回影が現れようとも、、、何億回影が現れようとも、、、影が消滅することは絶対にありません。この影は真我の影であり真我は消えないのですから、、影も消えません。真我は永遠であり無限ですから、、影の内容も無限です。真我の影と人間の影が異なるのは、、真我自体が無限であり、、その影も当然無限だということです。だからあなたの経験は無限にこれまで現れてきましたよね???それこそがあなたがこの体ではなく真我である決定的証拠です。

よって

これからもあなたが生き延びれば無限の経験が起こることが保証されているのです。この体が生き延びる限り、、、無限の経験である影が起こりますし、、この体が死に絶えようとも真我自体が消えることがないため、、経験は起こり続けるのです。そして何がここで起ころうとも、、それは真我の影であることに違いはなく、、また真我には何も影響を与えません。影は実在に影響を与えることは不可能であり、、この影の存在理由とは、、、真我の中の真我の自覚だけです。

苦しみが嘘を暴く

形との同一化

この世界は真我の影です。真我の影ですから、、実在はしません。影としては実在します。影以外の何かであるという思考は全て嘘です。私は人間です、という思考は影としては起こり得ますが、、実際には全て影ですから、、人間という存在は事実としては存在しません。にも関わらず我々は、、この体であり、この思考であり、この感情であると断定しています。違います、全て真我の影ですから、、それは嘘です。嘘を信じた時「苦しみ」が生まれます。この苦しみは嘘を嘘と教えてくれるメッセージなのです。

つまり

この世界に出回っている99.999999999%の情報は「嘘」です。これはコップである、これはテーブルである、これは机である、これは人間である、これは、、、、、、、全部違います。全ては真我の影です。影がそのように「見える」だけです。ですから全部間違っていると決めちゃってください。本当に間違っているのですから。そして私は、、、、影ではありません。つまり人間も思考も感情も影ですから、、これは私ではないんです。私は影ではなく影の大元です。

嘘が嘘と見破られると

嘘が嘘と見破られると、、、、私はリッチで名声もあって、、社会常識人だ、、、、という執着が消えます。なぜならばそれは全て嘘だからです。私は影ではない、、以上です。影ではないのだからこの世界の中の何かではあり得ないわけです。そしてその影の大元「真我」だけが私であり、、この影は真我の一部です。つまりこの世界の全ては真我の影であり私の一部なんです。ですから苦しみも私の一部です。孤独も私の一部です。影の動きです。真実では真我はそのまま至福であり、孤独や悲しみ、苦しみは真我の影の動きに過ぎないのです。

なぜ私は悟れないのか??

私をどう捉えているか

なぜこれだけ理解をしているのに私はまだ悟れないのか????なぜ?????苦しみが消えない理由を教えてください。。。どんなに理解しているつもりでも「あなた」という感覚がまだ鮮明に残っているはずです。あなた自身が確実にそこに残っていませんか・・・・???あなたがここに歴然と残っているならば苦しみは消えるはずがないのです。なぜならば「あなた」こそが苦しみを生み出す張本人だからです。あなたが今その答えを聞いています。ですがそれも「あなた」です。あなたが消えるまでは、、苦しみは絶対に消えません。

どうしたら消せますか???

分かりました、ではどうしたら自分を消せるのですか????簡単です、真実に目覚めれば自分は消えます。真実に目覚めれば「自分=全てに気づく存在」はこの体の中には存在しないことが明白になるからです。つまり自分という言葉が定義する構造が崩壊します。自分という存在が真実に目覚めた瞬間、、存続不可能になるのです。自分とは全経験、全思考、全感情の所有者であるはずですよね????その所有者は「この体」の中には存在できないことが明白になるのです。

では本当の自分はどこに居るのですか???

真実に目覚めたら自分が崩壊するのは分かりました。では本当の自分は一体全体どこに居るんですか?????ではお答えしますね。本当の自分はこの物理空間、時空間には絶対に絶対に存在できないのです。まずここをはっきりと理解する必要があります。全経験、全思考、全感情がこの時空間で誕生するのはいいでしょう。ですがそれに気づける存在はこの時空間に存在してはダメなんです。それに気づける存在はこの時空間の外に存在しなくてはならない、、、だから本当の自分はこの時空間の外に存在しあるがままに「気づき」続けています。

真我

つまり私はそのまま存在してもいいのですがその私はこの次元には絶対に存在しないということです。つまり相対の世界には私は居ないんです。主体客体の世界には私は居ないんです。そこを超えた世界、、に私は存在します。そしてそこを超えた世界からこの世界を眺めればこの時空間が完全に幻想であることが分かるのです。かつての私も幻想であることが分かります。思考も感情も全て全て幻想であることが分かります。私以外の全てが幻想であることが分かった時、それが悟りです。真我実現です。