マリオ

飲酒は疑似悟り体験

思考を緩める

お酒を飲んで数学を解く、、できませんね!!!つまりお酒とは思考出来ない状態に持っていくツールです。お酒を飲むと多幸感を感じれるのは、、自我を緩める、思考を緩めているからです。自我、思考に意識を向けることが難しくなり、、その結果、、 分離の世界、緊張の世界から一時的に脱出できるのです。だから多くの人はお酒を毎晩飲んで一時的に思考の世界から本質の世界、本当の世界に舞い戻っているのです。

だがしかし

お酒の問題点は、、簡単に本質の世界に戻れてしまうがゆえに依存性があるということです。誰しも本質の世界に戻りたいのは当たり前でありそれが飲酒という安易なツールで達成できてしまうがゆえに依存性があります。呼吸法、瞑想、マントラを唱えるよりも簡単完結です。だからこそ人は飲酒を覚えると悟りへの渇望が無くなってしまうのです。どうせお酒さえ飲めばハッピーに戻れるのだからと。

飲酒よりも悟り

飲酒の弱点は、、飲んでいない時間はどっぷり思考の世界、分離緊張の世界にハマってしまうということです。飲酒時間以外は、、しっかりと思考分離緊張の世界の住民に戻ります。仕事をしていない時間以外はひたすらに飲酒に依存し我を忘れる方向に動きます。これを続けていては悟りという本当の解放から遠ざかります。

なぜ今ここなのか????

今ここが私(神)

神がTVゲームの画面に入り込み、、画面そのものになってマリオをやっているのがこの世界です。つまり神とは画面です、、、画面とは今ここにあります。ところが画面上のマリオは将来のこと、過去のことを悩んでばかり、、今ここに神が鎮座しているにも関わらずこの画像には一切興味を持たず、、イメージの世界に入り込みます。マリオは実は神で画像も全部神だから、、そこが一番のホームにも関わらず、、イメージの世界に入り込みます。ですがそこには神は居ません、、これによってアウェイになり苦しいのです。

今ここに戻る

今ここが苦しいから将来や過去を振り返っているんです、、今ここが安心安全最高ならば、、将来に期待なんてしませんよ!!!!今ここ、画面が神でマリオも神、クッパも神、ノコノコも神で、、、なぜこの世界は争いばかりなのか?????おかしいじゃないですか??????今この世界を見れば争いが起こり続けていますよ!!!だから将来に期待をしているんです。

マリオ(画像)は神だが経験者ではない

マリオは画像です、この画像は間違いなく神です、、ですが、、画像はこの中では経験者にはなれないんです。つまりあなたはマリオとしてマリオの人格として経験を積んでいるつもりかもせんが、、実は経験者は神です。つまりマリオの人格だと今神がそう勘違いを起こし、、その勘違いこそが苦しみを生み出しているのです。その勘違いが終わった瞬間にこの世界には一切の勘違いが消滅し、、神は神の安らぎを得るのです。

マリオゲームの限界点

視覚聴覚以外は体感できない

TVでマリオゲームをやります、、、視覚、聴覚ではこのゲームを楽しむことはできるでしょう。ですが味覚、触覚、嗅覚は全く体感できません、それはずプレイヤーが画面の外に居るからです。ではどうしたら全五感を使ってゲームができるのか???それはどうやったらいいのでしょうか????簡単です、プレイヤーが画面の中に入っちゃえばいのです。プレイヤーが画面の中でマリオに一体化すれば、、五感を使ってやれます。

だがしかし

残念!!!!マリオの中にプレイヤーが入り込んでも、、周囲はデジタルですから、、触ることはできません。クッパもノコノコもクリボーもデジタル画素ですから触れもしないし、匂いもない、味も全くしないんです。マリオの中に入っても無駄でした。違います、マリオの中じゃだめんです、、画面そのものになってクッパもクリボーもノコノコも全部中に入るのです。すると全デジタル画像がアナログ(リアル)になるんです。

画面になっちゃったらマリオ(主人公)を味わえない

いや、、それじゃあ、、、全画面だから、、マリオをやっている感が全くないですよね?????私がマリオに成り切ることが出来ないじゃないですか????いやいやそれができるんですよ!!!だって今までもマリオじゃないのにマリオになり切っていたじゃないですか???全画面になっておいてマリオになり切るのはできます。

悟りを本を読んでいるのは誰だ???

「私」じゃないんですか???

マリオがゲームの中で本を読み理解するって可能でしょうか????桜木花道が漫画の中で本を読み理解するって可能ですか????間違いなく無理です、、、ゲームをやっている人、漫画を読んでいる人しかそれは不可能ですね。つまりつまり悟り本を読んで内容を把握するのは「真我」「神」「大いなる存在」です。だんだん悟り本が分かってくる????その気づきは神から起きているんです。

神以外は誰も経験していない

この世界、この夢の世界で、、経験できる存在はこの夢を見ている神だけです。神以外に経験者が居るとしたらその時神は何をしているのか????暇すぎますよね????私が経験し神は見守るだけとしたら神は暇人になってしまいます。。。私が極旨ラーメンを食べている時、、神がそれを観察するだけならば神はめちゃくちゃ暇ですよね、、だいたいなんのための世界なんだ???ということです。ですからこの世界の経験は全部私と思い込んでいる神がやっているのです。

美味しいラー麺は神が味わっている

美味しいラーメン、エグい映画、めちゃくちゃ強いタバコ、、、味わっているのは全部神です。神が全部味わっておいて「私」が味わったという勘違いを神が起こし、、そして美味しい、不味い、という感情を起こし、、神がそれを経験しているのです。この全てが完全自動運転で起こっているのです。これを操作する神はなく、、ただ全現象が神から起こり神が感じるを続けています。

神が腹を立てる?????

もしも全経験を神がしているならなぜ神が腹を立てるんですか????ショボすぎでしょ、、、、、残念!!!この世界は全感情、全思考、全行動を経験する場所なのです。そのために神があらゆる仕掛けを起こし腹立つ!!!!という仕組みを作ったのです。「私」という存在を立ち上げ、、「私がやられた!!」という思考を立ち上げ、、それに体が反応し、、怒り!!が湧きます。全ては全部化学反応です。「私」という感覚すら化学反応で起きたのです。「私」という思考が「私が悪口を言われた」という思考を作り出し「私が悪口を言われた」という思考が「怒り」という感情を起こしているのです。化学反応が連鎖しているだけです。

感情じゃない

ゲームをやっている時の感情は全部フェイク(刺激)

TVゲームをやっている時の感情って全部フェイクなんです、、毎日毎日ゲームに夢中になる少年はその中で喜怒哀楽の全てを堪能するかもしれません、、、毎日毎日ゲームをやって「悟った」「解放した」「至福に至った」ってならないんです、、なぜか????それはゲームの主人公に成り切った状態で味わう全ての感情はゲームの主人公になり切った故だからです。これは刺激なんです。

人間をやっている時の感情は全部フェイク(刺激)

この人間ゲームを自分がやっている間に味わう感情の全ては全部フェイクです。卒業式、受験失敗、卒業旅行、友人との親和、、、仲間との絆、恋愛、結婚式、、全部フェイクです、、主人公をやっている間は。なぜ毎日毎日感情を求めるのか????それは主人公は私だと思っている間の感情は全てフェイク、刺激でしかないからです。だから毎日必要なのです、何かしないといけないんです。

自分ってマリオじゃないかも、この体じゃないかも

本当の安らぎ、本当の愛、本当の平安って、、、自分ってマリオじゃないかも、この体じゃないかも、この思考じゃないかも、、、ていう気づきから起きます。要は一生懸命マリオやったりこの体をやっているうちは起きえないのです。「このマリオ、この体、この思考、この感情が自分」っていう思い込み、感覚が苦しみを生み出し、それを一瞬でも忘れるためにあらゆる感情が起きていたんだという気づき、、それが真の安らぎ、真の愛、真の平和を生み出します。

言葉とはゲーム用語

ゲーム用語で本体を語る矛盾

ゲーム用語ってゲーム内でしか成立しないんです、マリオ、クッパ、ジャンプ、Bダッシュ、、全部スーパーマリオゲームの中でしか通用しない言葉なんです。我々のこの言葉とはまさにこのゲーム内幻想内夢内でしか通用しない言葉なんです。だからこの言葉で真理を語ろうってこと自体が無理ゲーなんです。語れば語るほどにゲーム内夢内に入り込んでいくんです。

悟り、解放、解脱

この言葉を使った瞬間に全体はこの言葉を読み込んでイメージ化します、、このイメージの世界がこの夢、ゲーム、幻想を作り出すのです。だから「私を解放しましょう!!!!」という言葉はそのまま全体に読み込まれイメージ化されます、、私が解放されるイメージが誕生します。ここから抜けたいにも関わらず。だから覚者は「黙して語らず」「言葉が指し示す先に悟りがある」「あなたが悟るのではない」と意味不明な言葉を発するのです。言葉はこの世界に誕生した瞬間イメージ化されるのです。

イメージの先にあるもの

言葉が作った世界から抜け出すためには言葉が何をしているかに気づく必要があります。言葉がこの世界に誕生した瞬間に何が起きているかが分かれば今ゲームが上映されていることに気づきます。ゲームが上映されていることが分かればもうゲームの外に居ることになります。ゲームの外に居るのは誰ですか????「私」ではありませんよ、だって「私」はゲーム内のキャラですから。つまり私から脱出できているんです。そこには本当の安らぎ、平和が漂っています。

収縮したエネルギー「私」

ゲームに熱中する時

スーパーマリオを初めてやる時って、、ゲームに集中できないんです。右ボタンを押しても、、マリオが動いているって実感が湧かないんです。実際は動いているんですがそれが何かに気づけないんです。次にジャンプボタンを押します、マリオがジャンプしてますがそれに気づけないんです。だからマリオをやっている実感が湧かないんです。全体がマリオをやっている感が湧かないんです、、しばらくは、、だから集中できない。そして5分もすれば一旦休憩に。しかしながら二回目三回目となるとゲームを立ち上げた瞬間にマリオになり切れるんです、マリオに意識が意識し始めるんです。

私に熱中する

この体に意識が意識するころに慣れてきますと「集中」できるんです、、この体に、、そして「自分」がやってる感が出るんです。これが自我の完成です。マリオに集中できる、この体に集中できる、全く同じです。そしてその時は全部のトラブルを全部の功績を味わえるんです、マリオとして、この体の中の自分として。マリオ最高、自分最高です。だけどどうじにいっつも「苦しい」ことに気づきます。マリオは二時間もすれば休めますが、、この自分は休ませてくれません、、寝てる時以外。

ゲームをしながら自分を辞める

だからこの人生は苦しみが常に伴います、、マリオは二時間、この自分は24時間営業です。結果この苦しみを解消しよう解消しようという動きが起こり、、自分はあらゆる娯楽、何かにしがみ付いていきます。でも本当はわかっているんですマリオを辞めないと、自分を辞めないと、、、この苦しみは終わらないことを。そのことに気づき始めると悟りの本とかを読めるようになります、、自分をやったままではこの苦しみが終わらないことが分かっているからです。

集中するの辞めちゃえば

本当は本当はこの体の中の自分に集中しなくたって実はこのゲームは大丈夫なんです、、なぜか???全自動で動きからです。いままでも全自動で動いていたんです、、本当は。自分という感覚を持ちながら実は自動運転だったんです。そのことが徐々に分かってきます。そうするとどこかで全体が手を離す、コントローラーから手を離す瞬間が起こります。これが解放です。

救わなくていい

救っている暇はない

マリオはゲーム中常に苦しいのです、マリオの中に自分が居るというこの感覚によって違和感不足感が消えないのです。常に憤りを感じゆえになんとかこれを解消しようと前に前に進んでいきます。より高いステージに上がれば人生は向上するはずだ、、この違和感が癒えるはずだと。ところがマリオが感じる感情の全ては根本の不足感を癒すことは絶対にありません。なぜか???この不足感違和感はマリオから生じていないからです。生じているのは本質からです。だからクッパを倒した、レベルが上がった、楽勝だった、、というマリオありきの感情がこれを癒すことはあり得ないのです。

マリオになっちゃった苦しみ

マリオになっちゃった苦しみこそがこの苦しみの本質にも関わらずマリオがこれを解消しようとする動きは本末転倒、意味不明、無理ゲーです。ということでマリオの中には自分が居ないという気づきは起きるその時までこのラットレースは続くのです。だからだから、、途中でノコノコも救わなきゃ、クッパも救わなきゃ、クリボーも、、、は邪念です。

マリオじゃないが分かれば

自分はマリオじゃない、、、これが分かれば、、、、全ての苦しみから解消されます。その時にクッパもノコノコもクリボーも、、、救わなくてはいけない可哀想な人々だということがないこともわかるんです。世界に救ってあげなきゃいけない人々は実は居ないことが明白になります。明晰な意識がそれを露わにします。

ノンデュアリティ とはPCのこと

二元とはPC内のイメージのこと

悟りとか覚醒、解放のことをノンデュアリティといつしか呼ばれるようになりました。ノンデュアリティ とは非二元、、なぜこのような分かりにくい表現を使うのか????非二元だったら一元でいいではないか???という話です。ですがこの非二元という表現は的を得ていて、、、このドラマが二元の世界、主語述語の世界ですから、、そうではない、、という意味なのです。二元に見えているけど本当はそうじゃないですよ!!です。

この二元の世界は、、、

この二元の世界とはPC内の画像なのです、、PCというたった一つのマシーン機械の中に二元に見える世界を作り出したのです。プログラム言語と呼ばれる、、我々の思考言語でもって、、このPC(全体)に二元に見える世界を作り出すことに成功したのです。マリオがいてクッパがいる、山があり川がある、、私がいてあなたがいる、、私がコーヒを飲む、、、

このイメージの世界での覚者

二元の世界では様々なことが起きていますが視点を変えてPCを外から見ると何も起きていなんです。PCの形状は一ミリも変わらないんです、、、、PCからしたら時間も空間もないんです。時間も空間もPC内でそれがあるように感じることができるだけです。PCには何も起きていないのです。イメージの世界の覚者はこう言います「何も起きていないんです」「これしかないんです」「私が居てというのは錯覚ですよ」「時間も空間もないんです」これをイメージの世界の中でイメージとして言われちゃうから困っちゃうんです。

マリオが動きを止めること

マリオがステージを上げ続けるのを辞めた時に

私たちは基本マリオです、マリオをずっとやってきたんです。第一ステージ、第二ステージ、第三ステージ、、、どんどん難易度は上がっていきますが、、それが成長と教わり、、、、一応ゲームスキルは上がっているはずなんですが、、いったいこれからの人生どこまでステージを上げればいいのか????です。なんとなくですがこのままステージを上げ続けても終わりがないような、、、、、大正解!!!!!!分かってらっしゃる、お見事!!!

そして

私たちはこの体(マリオ)を自分だと思ってこれまで頑張ってきたんです、社会の要求(新しい敵)に応えてきたじゃないですか!!!!!マリオには責任が増え続けそしてそれは時にやりがいだったりもします。ですが常に苦しいが隠れていて、、正直しんどいんでえすよね、、、まああと十年も働けば引退も見えてきますしそれでもいいような・・・・。

来世あるかもよ

今世はマリオでそれなりに頑張っても、、もしもこの自分という存在の嘘に見抜けないと、、来世もしっかりやっちゃうかもしれないんです。この観念は残りますから、どこかに。だからここでこの嘘を見破っちゃっていいんです。マリオのことを自分と信じてきましたが本当のあなたはマリオじゃないんです。スーパーマリオ本体なんです。本体がマリオを通じてゲームを楽しんでいただけなんです。だからマリオがステージを上げ続ければ何かになるなんてことはあり得ないんです。どこまでステージを上げてもマリオはマリオです。ですが自分はマリオだっていう思考こそが憤りという感情を作っていますからそれは絶対に消えないわけです。だからステージを上げ続けても意味がないんです。

進むな!!!!

なるほど!!!言っている内容は分かりました、、、で????私(マリオ)はこれからどうすればいいんですか?????どうにかしちゃダメなんです、、動いたら今までと同じになっちゃうんです。マリオ真祖を暴くの巻に入っちゃうんです。違います違います、、マリオが暴くんじゃなくて、、、スーパーマリオ本体がどうやっていままで起動していたかを暴くんです、マリオじゃなく本当の私(本体)が。

いきなり????

いままでマリオを私と信じていたのは私(本当)ですから、、、私(本当)として、、、このゲームのカラクリを納得できればそれで終わりなんです。私(本当)がマリオになり切っていたんですからマリオじゃないのならば、、ではクッパ、ノコノコ、ゲーム全体、時間、空間がなぜ起こっていたかを理解しないとマリオじゃないっていう腹落ちが起きないんです。その腹落ちが起きた時、、、もうマリオを自分だと勘違いすることはなくなります。