マリオ

マリオは観察する王のアート

分離はない

この世界には本当は分離はありません、ということは全現象を観察する王、我々の本質は、、マリオ(体)とは分離していないということになります。そしてその通りです。ですがこの現象の世界はどこまでいっても分離しているように見えてしまう世界です。。このマリオも背景の中で自由に個別に動けるように見えるのです。なぜそのように見えるのか???それは観察する王がそう見えることができるから、それだけです。

そう見えることに感動する

本当は全く分離していないにも関わらずそう見えること、これこそがこの世界の脅威なのです、感動なのです。真実が分かってきますと感動のポイントが変わるんです。完全に分離して見えるそのことこそがこの世界が神の遊び場、王の遊び場である証拠でしょう。絶対に分離していないにも関わらずそう確実に見えるということ、、これがアートと呼ばずして何なんでしょうか。。。

だから分離を楽しむ

だからこの分離を逆手にとって楽しむのです、、分離というアートを観察する王として徹底的に楽しむのです。マリオ体験は強烈な分離体験でありそれ自体は何も悪くもありません。ただしこのマリオを完全な分離体であると信じると「苦しみ」が湧いてきます。マリオは分離体験を起こしてくれるアートであるという認識が重要なのです。

マリオの思考に釘付けはやり過ぎ

マリオから湧いてくる思考の数々、、この世界が分離の世界であるという前提のニュースの数々をあまりに信じ過ぎてしまうと苦しくなります。それは嘘です。ですからこの嘘を嘘であると分かってこの世界で遊ぶのか、、、分離を現実と信じ切って遊ぶのかは大きな違いがでます。どこまでいってもこの世界は分離が起き得ない世界なのです、構造的に。

観察する王とマリオの個性

我々の本質は王

マリオには個性があってこれが変わることはありません、マリオのジャンプ力、走力、反射神経、、マリオの初期設定は変わらない。。。そしてそれはこの現実と呼ばれる世界でも同じです。名前をもらったこの体には個性があってそこは変わらないのです。観察する王はマリオと完全分離できている場合、、マリオの全行動、全思考、全感情を楽しめるようになります。それは上手くいくとかいなかとかじゃなく、評価されるとかされないとかじゃなく、カッコ良いとか悪いとかじゃないんです。ただマリオの活動が楽しいのです。

観察する王

この体、このマリオと観察する王は全く違う次元の存在です。観察する王は一切の変化が起きません、つまりいつも在るのです。ところがマリオは年齢を重ねて年老いていく毎日が実は違う存在です、、そのマリオを完全な王として観察するならば我々は大いにこのマリオ活動を楽しめるのです。王は王ですから、、ただそこに居るだけで楽しい、清々しい、安らぎなのです。

思考が湧いたら王に戻る

マリオから思考が湧いたら王に戻って観察します、思考が湧いたら王に戻って観察するのです。。多くの方は王が思考そのものになってしまい思考が湧くと王が消えるのです。王が王として君臨しない世界はただ苦しい世界です。思考が湧いたら王に戻って観察する、、思考が湧いたら王に戻って観察する、、、これを習慣化しますと威厳のある王が戻ってきます。思考に飲まれないのください、思考は王が観察する対象でしかないのです。

マリオ(私)と王(本当の私)が分離すると

悟った状態

マリオと王が分離した状態を悟った状態と言います、解放、覚醒、ノンデュアリティ です。もうそこにはマリオを自分だと勘違いする王がいないんです。ではその時マリオはどうような活動を起こすのでしょうか?????マリオそのものの行動を起こします、、、マリオのキャラを謳歌するのです。そこには王を目指さなくてはいけない、、、という負荷も重荷も重責もなく、、ただマリオが起こるのです。これを真の至福、平和、愛と言います。

何かになろうとしないマリオ

私はマリオだ!!!という勘違いが抜けた王は、、、もうマリオに成り切って何かを目指すという動きが起きません。だって最初から今も王で、、、この現象の全てに気づいていますから。クッパの動きもノコノコの動きもクリボーの動きも全部把握しているのは王で在る私です。マリオにはその能力は一切備わっていないのです。だからこれからはマリオを大きく見せなくていいんです、マリオを目立たせる必要はないんです、バカにされたと怒らなくていいんです。いつでも私は王としてこの場所に君臨しているのですから。

マリオを好きにさせると

本当の私としてマリオ(私)を好きにさせると、、、、緊張感がありませんからマリオが周囲から好かれるという皮肉が生じます。今までは一生懸命王がマリオに成り切って好かれよう評価されようと頑張っていたにも関わらず、、、マリオ(私)を好き勝手させれば、、、逆に人気者になっちゃうんです。だって全くもって狙いがないから、打算がないから、駆け引きがないからです。

マリオの思考から離れる

マリオからはあらゆる思考が生じます、、あれが欲しい、これが欲しい、あれをしたくない、、あれもしたくない、、、これらの思考に王が執着することで苦しみが生まれます。。。。全部放置です、、、勝手に生まれた思考は勝手に消えますから放置です。マリオの勝手な行動も勝手に起こり勝手に消えます、、だから放置でいいんです。王がマリオの究極の観察者に戻れた時、、、ゴールです。

最初からこの世界の王なのに

なぜかマリオで王になろうとする

我々の本質は完全にこの世界の王です。だってこの世界で起こる全てに気付けるのはこの本質、王だけなんです。今私が、、風に気づき、光に気づき、気温に気づき、、、と思っていると思いますが、、実はこれ本質が気付いています。ゲーム上のマリオ(私)ではないです。マリオ(私)には気づく能力は備わっていません。つまり本質の存在、王として、、、、気付いているんです、全てに。

ところが

ところが、、、自身が王であることをすっかり忘れてしまい、、自身をマリオと勘違いすることから、、なぜかマリオとして王(本質)を目指すという意味不明な行動にでます。本当は最初から王なのに、、マリオとして王を目指すという意味不明ゲームが始まるんです。マリオ(私)はこんなもんじゃない、、という感情が溢れ、もっと評価されもっと賛美されもっと称賛されるべきだ、、、が起こるんです。当たり前ですよねだって私は王であってマリオじゃないんだから。

ここからがきつい

しかしながらマリオはマリオであって、、、王じゃないわけです。マリオは単純にキャラでしかないですから一長一短、得手不得手、上手下手、があるわけですよ!!!!!王になれるわけがないんです。能力が最初から決まっているのですから。。。。だからこの勘違いが地獄の勘違いなんです。そして今もこうやって全現象に気づく王なわけですからマリオで王を目指す必要は全くないんです。

マリオと王を分離する

ということで悟りとは、、、マリオと王は別人で、、我々の本質王はマリオで天下を取る必要がないという気づきを体現することです。俺マリオじゃない、、、この気づきを体現することなんです、体感することなんです。そのためにはどうすればいいのか?????呼吸法です、断食法です。マリオに同化してしまい、、、すっかり自身をマリオだと勘違いしている王を叩き起こすのです。マリオから湧き上がる思考をシャットアウトしてしまい、、王がマリオに同化できない状態を作るのです。呼吸法と断食法はこれを体現するためのツールです。

悟ってからが本当の人生

今までは思考に乗っ取られた人生

悟りってゴールじゃないんです、、だって重い状態でヘトヘトに疲れ切った状態から、、その重りがボコっっと抜けるんですら、、そっからが楽しいに決まっているのです。マリオが一回でも穴に落ちたら終わりだとビビってプレイしていたのがゲーム全体が自分だったという気づきが起きるんです、、軽過ぎるんです。右に曲がるか左に曲がるかで思考の渦に飲み込まれていたのが全く思考が湧いてこない、、この状態が天国だということです。

どっちでもいい

マリオじゃなくゲーム本体が自分なんですから、、右も左もどっちも自分です。穴に落ちても穴の中が自分です。穴も自分です。そんな気楽な世界なんです、、この世界は。。。子供の遊びのように、、、砂のお城が倒れては笑い、、砂のお城が爆発しては笑い、、、どこまでいっても深刻さが湧いてこないんです。つまりこの世界は神の遊び場、マーヤです。絶対に死ぬことがない絶対に存在できなくなることがない遊びです。

思考の声を自分の声と勘違いする

湧いてくる思考の声を信じちゃだめなんです、、散々この声によって振り回され苦しめられしているんですから。この声は、、この体の中には私がいて、このたった一回の人生を絶対に悔いが残らないような生き方をする、、、というミッションに則った声ですから重いんですよ、、はっきり言って。何も決められない何も決断できない、、、声です。

呼吸法で声を消す

我々はこの声を信じることから苦しい人生が始まります、、この声は聞かなくていんです。ですがガンガン勝手に湧いてきますよね、、それこそがこの声が「あなた」ではない絶対的証拠でしょう。勝手に湧いてくる思考が「私」だったら支離滅裂ですよね。。。ということでこの声を強制的に止めてしまいます、呼吸法で、、意識を思考から体全体にシフトさせます。意識が思考の意識している時、、思考が湧くだけです。意識が思考ではなく体全体に意識すれば、、、思考が止まるんです。マトリックスの世界は意識が思考に意識するように仕向けます、、そこに乗ってはいけません。

タオに遊ぶ

燻んだ世界を生きて

我々は生き抜くためにあらゆる学習を重ねていきました、なるべくならば学歴はある方が良い、なるべくならば有名な会社に勤めた方が良い、なるべくならばそういった人と結婚した方が良い、なるべくならば潰れない業界が良い、、、です。こうして確実にこの体を生き伸ばせることと引き換えに、、、この世界を燻んだ世界に変えました。生き延びるために学習し、その学習がこの世界を燻ませるのです。

困った、では学習だ!

現在の人間の進化においてはこの流れは絶対に逆らえない、、なぜならばこの体を維持していくのがこの体にとって最も重要なことだからです。ですがそれとは引き換えにこの世界を燻んだ世界にしました、本当は今ここで輝いてるこのリアリティの世界を観念越しに見ることで燻みが入るのです。そしてそのことを完全に忘れてしまったがゆえに引き返すことができないとこまでいくのです。

学習の先の悟り

学んでも学んでも達成しても達成しても満たされないというこの無限地獄を出るには、、悟るしかないわけですが、、ここで大きな問題が起きるのです。それは悟りとは観念を観念と見破り、、観念を落とす作業なわけですが、、、学習すれば学習するほどに観念が増えていくという矛盾をはらんでいるのです。例えば私は本当はマリオで、、みたいな悟りのメッセージを概念として覚えていきます、すると観念が書き換わるのです。観念を落としていきたいにも関わらず観念が増えていくという苦しみです。

苦しみが一切消えない

つまり悟りを学びとして知識を増やしていく段階では苦しみは全く消えないという苦しみを抱えているのです。ですがもう悟しか道はないと気付いた者は辛かろうがなんだろうがこの道しかないのだ、、、という気楽さを持っています。ですから悟りの学びを途中で終わらせるということもないのです。そして徐々に徐々に日常生活において思考が減っていくという段階に進みます。なぜならば悟る以外に道がないと気付いた者はもう執着が他にないからです。悟るという執着以外が落ちるのです。

悟るという執着

人間が最後に持つ執着、それが悟りです。ですがこの執着を持つ時は、、他に執着すべきことがないという完全な消去法です。そして「最後の執着」である悟りがそこにあるわけです。どの道も全く終わりがなく辿りつけば満足できないということを知っている者だけがこの最後の砦に挑むのです。そして悟りの道も案の定途中まで全く楽にならないというオチです。

呼吸法

呼吸法で視界を変えてしまいますと、、今この場所で幸福を味わえるようになります。さっきまで燻んだ世界が光り輝いているのです。そうだ!!!これだ!!!もう何も手に入れる必要はないしどこにもいく必要がないのです。勿論何かをやりたい!!!が起こりますがそれは全くもって結果を期待しない行動なのです。子供が遊ぶように目的や利益がそこには全くないのです。悟りの学びが呼吸法で体現できるようになります。

覚者が解放を語りたがらない理由

周囲はストーリーを聞きたがる

どのタイミング、何をやって、どういう状態で解放が起きたんですか?????悟り本、ノンデュアリティスピーカーにまつわるエピソードでここがもっとも注目トピックです。質問者の多くがここが知りたい!第定番です。ですが、、覚者はこの質問にウンザリした顔をします。なぜでしょうか??????それは多くの人はエピソード、ストーリーを聞きたがるからです。ところが見かけ上の覚者が気づいたことは、、ストーリー、私が思考が作り出した幻想だった、、、という気づきです。ストーリー上の何かの要因がそれを起こしたのではなく、、ストーリーそのものが幻想だったっという気づきなんです。

マリオに何を聞く????

見かけ上覚者になったマリオに、、、質問者が聞きます、、、クッパを倒したその瞬間に悟りが起こったんですか????第7ステージで何度もドラム缶から落ちたときに悟りが起こったと聞きましたがなぜなんでしょうか????マリオはある時、、確かにこの画像が全てゲームで、、このマリオも画像に過ぎないことに気づきました。時間も空間も実はゲーム上のことだったと、、その気づきと、、クッパ、ノコノコ、、第何ステージ、、、とかあまり関係ないんです。

そうか!!クッパを倒せばいいんだな!

マリオがたまたまクッパを倒し切ったとき悟りが起こったと聞けば、、多くの方は、、、、よし私もクッパを倒して悟りを開こう!となります。ですが状況は実は悟りとは何も関係がないんです。ゲームがゲームに気づくタイミングって千差万別過ぎるんです、、、全状況によって異なるはずです。だからそこはあまり重要ではないんです。しかも気づくのはマリオじゃないんです、、マリオこそが画像に過ぎないという気づきですから。

呼吸法

呼吸法とはマリオというキャラの脱皮です、、ゲームの中から抜け出す方法です。呼吸法で思考、マトリックスの世界から飛び出します。思考に意識が意識している状態から意識が思考ではなく体に意識するように誘います。視界がはっきりと変わるまでこれを行うとき、、、マリオを通じた世界ではなく、、世界が世界を認識するようになります。世界がコーヒーを味わい世界がコーヒーの香りを感じます。そこにはもうマリオが居ないんです。

全員が最短最速で悟りに向かっている

犯罪者も成功者も

犯罪者も成功者も全く同じように最短最速で悟りに向かっています。最短最速以外の道が用意されていないのです。なぜならば人間はデータ上ベストな選択しか選択できないという自由意志に支配されて行動していますので毎日毎日それに則って経験をさせられているのです。つまりそこには実は主体性は一切なく完全な受け身です。犯罪者ですらもそのような法則に則って経験をさせられています。だから重要なこと、、人の行動を判断するのは無駄です、そして自分の行動を判断するのも実は無駄です。

経験の先にあるもの

この私、自分が居るという想定の動きの中にいる時、、、苦しみ、緊張、孤独が必ず伴います。ですからそこから逃げようとする動きが必ず起こります、、、それが私前提で動く場合、、実はこの苦しみがなくなることはありません。そのことに気づくまで最短最速であらゆる経験を積まされるのです。全観念(思い込み)が観念(お見込み)であることが分かるまでこれは続きます。そして最後にこの体の中に私が居るという観念(思い込み)が落ちるのです。そこが分かるまで最短最速で人は経験を積まされます。

初心者は9面には行けない

スーパーマリオは初心者がいきなり9ステージまで進むことはないです。必ずその人のスキルにおいてギリギリのところ、ステージで止まり、、そこでの右往左往が起こります。これは人間も同じ、、その人の気づきステージのレベルで右往左往が起こるのです。経験をがっつりさせられます、、ですから全くもって無駄はなく、、完璧な配分でこの経験は進むのです。ラスボス「私」が徐々に徐々に近づいていきます。

後悔する心配するも罠

自由意志ががっつりある、、、、こう信じるステージが着実にあります。このステージでは後悔、心配を繰り返しまくるのですが、、それこそが最短最速で起こるのです。全く無駄はありません、、マリオに熱中しマリオに成り切るのがベストな時期があるのです。その時は人一倍心配し、後悔するのがベストなのです。我々はデータ上ベストな選択しか起こせないように設定されていますから何も心配せずに、、心配後悔を繰り返せばいいのです。

悟りの勝利

全人類が敵???

悟りに関して言えば、、完全なる孤立無縁状態、、、この状態で戦うことを楽しめないと難しいでしょう。なぜならばマトリックスの世界で苦しむ人々は、、、、ここから出られることを嫌います。一人だけ何楽な世界に行こうとしてるんだ!!!です。そして悟りを開いた?????嘘に決まっている、気持ち悪い、、、という反応を示すでしょう。スクリーンの中に閉じ込められた人々にとってここから出るというアイデアはパニック以外にないのです。

静かに静かに

だから悟りは声だかに宣言しては駄目です。。。静かに静かに水面下で開きます。エージェントスミスの手口を完全マスターし、、、今どのような手口を戦っているかを理解していきます。スーパーマリオの100倍面白い戦いが始まります。だって周囲は完全に盲目、無知、勘違いですから、、、その中で悟りを開くって最高に面白いのです。

手当たり次第に

煩悩がまだ残っていればその煩悩は全部現象化して「私」の前に現れるでしょう、、、それらから逃げるのでなく体験していきます。。。なるほどこんな感じね!!!です。つまりこのゲーム、幻想は悟りがゲームクリアですがだからといってワープが素晴らしいのではないのです。何も体験しないではい悟り!!、じゃないんです。経験したいことは根こそぎ経験でいいんです、、、ですが重要なこと、、その経験が苦しみから救ってくれることはないということです。苦しみの解放は悟り以外にありません。

自由意志があると思っている限り

思うことはできる

この世界では自由意志があるとハッキリ思うことができます。これは事実です、私もいるし、あなたも居る、そう思い込むことができるのは事実です。ですがその思考の内容は真実ではありません、そのためその分の緊張感を味わうことにあります。真実の中で真実ではない事実をイメージし続けるのは緊張力が必要になるのです。なぜならばその緊張を解いてしまたら途端に真実の中に溶け出すしてしまうからです。

そして夜中は溶ける

真実ではないことを信じ続けるのは緊張しづけることであり疲れます、そのため夜になると眠くなり、、その緊張を一旦解こうとする動きが起こります。それが睡眠です、、人間が過剰な睡眠を欲するのは真実ではないことを真実であると信じ続ける緊張感から起こります。緊張とは嘘を信じた時に起こるのです。嘘とは方便であり我々はこの方便を生き抜くために両親から散々教え込まれ、、方便が完全に染み渡った状態で社会に出るのです。

自由意志を放棄すると

自由意志がないこが理解できますと、、、人をみて羨ましい、おかしい、などの判断が薄れていきます。なぜならば自由意志を行使する人格もないため、、、自由意志の結果競争が無くなるのです。私が成し遂げた、あの人が成し遂げた、、、という自由意識競争が消えます。マリオカートをみんな自由意志でやっていると思っていたら実は自由意志じゃなかった、、、というオチです。このオチは面白さを半減させますが、、緊張が抜け、全く次元の違う緩やかさが訪れます。