事実に詳しくなる

目の前の現実だけが事実

我々は多くのことを抱え込み苦しくなっています。自分を中心とした人間関係全ての悩みを抱え込んで重く重く生きているのです。ですが本当はこの世界に居る人は目の前のみ、、、今目の前に居る人以外はこの世には存在しません、ですから今目の前の人としっかりと向き合えばいいのです。この街を守らなくては、この日本を守らなくては、この世界を守らなくては、、、遊びとしてこれをするのは大いに結構ですが仕事になってしまったら大変です。

苦しいという感情を見たことがあるか

周囲の人々全員が苦しい苦しいと嘆いていても一切気にする必要はありません、なぜならば苦しいと嘆く姿は事実ですがその人に苦しさが湧いている事実は確認できません。苦しいという感情がその人の中を流れているという事実を見ることは絶対にできません。苦しそうな表情だけが確認できます、そうです、事実はそれしか起きていないのです。もしも苦しそうだから本当に苦しいが湧いていると思うのならばそれは思っているだけ、、事実ではありません。

周囲の人間100人が苦しんでいても

苦しそうというのは事実ですが苦しいは事実ではありません。空想です、ですから何も考えなくていい、、事実に向き合ってください。事実は苦しそうにしている人々が居る、これだけです。それが確認できる、これだけです。その事実とあなたの幸福とは一切関係ないのです。もちろん周囲を助けることが楽しいのであればやればいい、もしも楽しくないのならばやらなくていい。なぜならば事実としては周囲は苦しんでいないのですから。

悟りへの欲求が無くならない理由

みんなどこかで気づいている

みんなどこかで気づいています、この世界に生きている限り本当の幸福には出会えないということを。どんな目標を達成してもどんな夢を叶えてもどんな称賛を得ても絶対にそれでは満たされないことを知っています。頭で考えて足を知るを実践しよう、欲張った生活をやめようと心がけてもそれで満たされることはない、、、私たちは本当の幸福にいつか出会えるのだろうか?と思うのです。

ストーリーの世界には至福はない

私が居る、これを認識しながら至福に至ることは絶対にありません。私が居る世界には至福はない、、ここは幻想の世界、妄想の世界、、息苦しい世界なのです。全員が息苦しいのですから争いは絶えず、競争も絶えない、奪いの世界、餓鬼畜生界になってしまうのです。もしも苦しみから解放されるには解脱しかない、、解脱とは「自分が居る」という記憶が抜け落ちることです。

先ずは無間地獄を理解する

どこまで幸福を追いかけても至福には絶対に至らないということを先ずは理解することがこの地獄を緩和する一つの方法です。このストーリーの中でこれを追いかけても幸福を手に入れるのは「自分」ですから難しい。この自分は記憶が作り出した思考であり幻想、実態がないのです。ですからこの自分を幸せにすることは不可能なのです。この自分が幻想であることを見破りこの自分に振り回されないようにする、この自分の幸福探しに付き合わないことが重要です。

自分の幸福探しはキリがない

自分の幸福探しは地獄の始まり、この自分を幸福にさせようと頑張れば頑張るほどに地獄に入り込んでいきます。この自分を幸福にしようと頑張ってもちっとも幸福にならない、むしろ苦しくなっていく、、なぜならばこの自分は実在しないからです。実在しない自分を幸福にしようなど不可能なのです。この自分が嘘であることに気づき五感を開いていきます。自分を作り出す思考主体の世界から五感という根源の世界を開くことで根源に近づきます。

何もないに戻ることに価値はあるのか?

最上級のワインを飲んでみる

価値があるかどうかが思考として湧くのはそれに触れたことがないということです。醤油ラーメンと味噌ラーメンどっちが好きかを考える人はいません、経験にすれば分かることです。これは悟りも同じこと、根源に触れることに価値があるかどうかは経験すればわかる、経験するまでは答えはでないということです。至福に一回でも触れた人間がそこに興味が失せることはないでしょう、価値があるかどうかの思考が湧いている期間はまだ至福に遠い場所にいます。

最上級のワインも最上級のヒレ肉も、、飽きる

なぜ最上級のワイン、車、ホテル、住居、異性、、、全てに飽きが来るかと言えば、、、それは全体の代替品に過ぎないからです。根源、全体そのものに戻らない限り、、「自分が居る」という思考に縛られている限りこの代替品を貪り続けることになります。代替品を貪るが湧いてきます。代替品を貪るから全体に戻るには代替品を貪ることが意味がないことを経験する必要があります。全ての代替え品には飽きがくることをいかに早く気づくかです。代替え品に飽き切った人がさらなる代替え品に興味を持つとは思えません。

根源、全体は飽きない

根源、全体に飽きることはありません、飽きるという思考が湧かないからです。思考と自分はセットであり飽きるという思考は自分が居るがあってこそです。ですから根源、全体に戻れば飽きはこない、それまではとにかく飽きに襲われます、人格者と呼ばれようが徳が高いと呼ばれようがそんな評価には一切関係なく飽きがきます。体の中に自分が居るという思考が湧き続ける限り全体の代替品を貪り続け飽き続けます。

深刻になれないことが本当に良いことなのか

良いことでも悪ことでもない

子供はディズニーランドに夢中になれるのはミッキーやピノキオ、プーさんがまるで実在するかのうように感じることができるからです。だからこそ喜怒哀楽をその場で味わうことができます。大人はこの社会で喜怒哀楽を経験できるのは上司や部下、家族が実在していると勘違いすることができるからです。実在していると本気で思うことが出来なければ喜怒哀楽の感情を味わうことができません。

大人のディズニーランドは根源の表現

あなたの人間関係を彩る全ての人々は根源の現れでしかありません。喜怒哀楽豊富な人々は根源の表現です、完璧な根源の表現ですから見えるもの、感じるもの、が全てです。それ以上も以下もありません。凄い幸福そうに見える友人は何の根拠もなくその表現があるだけです、なぜ?幸福なのか??と想像してもそれには意味がありません。それ以上も以下もないのです。

根源の表現に善悪などあろうはずがない

全ての人間の活動は全部根源の表現ですからそこに善悪などあるはずがありません。善悪とは個人という存在が想像されてその個人にとって善か悪かの判断が起きただけです。こんな人生はしょうもない、、、ですがその人生は全て根源の表現でありそこに個人(思考)の力など完全に無力です。全人類全人生がただの根源の表現でしかありませんから人を羨む人を妬む、人を尊敬する、人を軽蔑するなどの感情は意味がありません、ただそれも根源の完璧な表現として湧きます。

一年中ニュースを見なかったらどうなるか??

恐らく幸福になる

ニュースというものを全く見る必要がないのは、、、あなたが今生きている世界、見渡せる世界で起こっていないことは事実では起きていないのです。ですからブラジルで、ニューヨークで、中国で、、というニュースを見る価値は全くありません、起きていないからです。では日本のニュースはどうなのか???それも見なくていい、なぜならば事件は目の前で起きたもののみが重要であってそれ以外は起きていないのです。「私」に関わるニュースは目の前で起きた事件だけです。

見なければ事件は起きることができない

あなたがYahooニュースで日本の残虐事件があったことを知ったその瞬間にその事件が誕生します。あなたがそのニュースを見なければそのニュース、事件はこの世になかったのです。そんなニュースに価値があるのでしょうか、、、そしてそのニュースに恐れ慄き怯えて生きることになります。ですが事実としてはそのニュースをあなたが見なかったら存在しなかったのです。

あなた無しでは何もかもが起きることができない

残虐殺人事件が大したニュースではないのはあなたがそれを認識しなければそのニュースはこの世には誕生していなかったということです。一年間ニュースを全て絶ったならば事件は一年間皆無になります、その程度のことです。見なければ事件が起きないのならばなぜ見る必要があるのか??という話です。現実から目を背けて、、というレベルの話ではありません。認識しなければ何もかもが起きることができないのです。

究極の至福に触れれば触れるほどに近づいてくる

なぜあの人はあの苦痛に耐えられるのか

ブラック企業に勤めほとんど睡眠時間が確保できていないにも関わらずなぜあの人はあの会社を辞めないのか??実はその人にとってその生活はそれほど苦痛ではないというのが答えです。至福に触れるとより至福に触れることができていきます、至福とは根源、事実のことです。事実は根源からできていますから事実に触れていくと根源、至福が近づいてきます。思考とは実在しない、これはファンタジー、幻想ですから思考に触れれば触れるほどにファンタジー、幻想に取り込まれていきます。ここは根源(至福)が喜怒哀楽を味わうことができる場所です。至福が自分(思考)を作り出し喜怒哀楽を味わうことができる場所です。

辛い時期は根源(至福)が自分(思考)を作り出し辛いを完璧に味わいたいのだ

20代の頃は本当に辛かった、、、これは至福(根源)が自分(思考)を湧き出しファンタジーの世界を作り出し辛いを経験したかったのです。至福は至福のままでは辛いを経験できない、そのために自分(幻想)を作って辛いを味わったのです。自分とは至福以外を経験する道具(思考)です。至福でしかない至福は至福を経験することもできないのです、だからこそ至福ではない状態(自分)を湧き出し自分を使って至福を再発見させるという経験を積んでいるのです。

人生が辛い、、、完璧

至福は至福のままでは辛いを経験できない、、、だから自分が居る(思考)を湧き出し自分になりすましファンタジーの世界を経験しました、それがこの世です。この世とは喜怒哀楽を経験する場所なのです、だから今人生が辛いのならばそれは至福(根源)の狙い通り、、完璧なのです。友人が辛そうで悲しくなる、、その友人の辛い経験こそが至福(根源)の狙い通りなのです、そして辛そうにしている友人は実在せず辛いという経験だけが事実です。辛そうにしている友人の正体は根源そのもの、根源から湧く思考です。

相手のことを考えたら怒りで寝れない

その相手はこの世に居ない

恨んでいる相手が居てその相手のことを考えたら寝れなくなった、、今その相手が楽しんでいるかと思うと悔しくて寝れない、、、そんなことを人は考えて生きていますが、、、事実を話せばその人は居ません、この世に。絶対に実在していません、なぜならばあなたの目の前に居ないのならばその人は実在できないのです。あなたの五感が認識できなければその人は実在することができないのです。電話をかければ声を通じて声だけが実在できます。テレビ電話をかければ声と画像としては実在できます。

この世に居ない相手を考えて恨む無駄

今頃あいつは、、こんなことを考えて悔しがるほど馬鹿なことはないのです。居ないのですから。もちろん約束をして直に会えばその瞬間その人は湧き上がります。それだけです。自分の五感が働かなければ実在できない相手のことを考えるって意味があるのでしょうか。ないです。自分の五感が働かなければ尊敬するあの人も敬愛するあの人も、憧れのあの人もこの世に誕生できないのです。大した価値はないのです。

自分一人部屋でTVを、、悔しい

みんなは公園に行ったり、ショッピングをしたり、家族団欒したり、、、なぜ自分だけが寂しく一人で家でTVを観ているか???違います。その時みんなはこの世に居ません、自分しかいない場所ならば、、、その時は自分以外がこの世から居なくなります。ですから他人を羨むことは完全に無駄なのです。今目の前に居る人だけがこの世に誕生しています、銀座に行けば大勢が急にこの世に誕生します、ただそれだけです。

身も蓋もない話

会社が倒産してしまって今後どうしたらいいですか???

どうもしなくていいです、どうもしないとハッキリと決めきってみてください、、、何もしないとハッキリと決めきってみてください。面白いことに二日後には転職活動を始めている可能性があることです。今あなたがハッキリ何かを決めたとしても二日後に浮かぶ思考、行動は誰にも分からないのです。つまり自分自身の思考、行動など誰にもコントロールできない、、これが答えです。今悩むことができるのは今湧いた思考が、、、明日明後日の決断行動に大きく影響を与えると信じているからです。ですが違います、明日の行動が誰にもコントロールできないのです。

今までも全くコントロールできていなかった

いやそんなことはない、、今まで私はあらゆる困難に対ししっかと処理をしてきた、、だから今回もそれをしたい、、そういう思いが湧くでしょう。ですが事実は違います、事実はその時その時に好き勝手に思考が湧き、好き勝手に行動が湧いてきただけです。事実は「自分」などまるでコントールできていなかったのです。それを「自分」が決めてきたという思考が湧いているだけです。

悩むことがどうしてもできない

今2時間真剣に考えても明日起きる行動はまるで関係なく起こることが腹落ちしてしまったら、、、もう逆に悩むことができなくなります。何も関係なく行動が起こるならば悩む価値はあるのでしょうか、、ないのです。自分など明日明後日の行動に何も影響を与えない、、この事実を受け入れてしまうことです。すると深刻に悩むということができなくなります、深刻な思考が湧いてこなくなります。

大借金を抱えた友人の対処法

先ず友人の中に友人は居ない

大前提として目の前に居る友人Bの中にBは実在しません。80億人の人類の中からこれを発見した人は誰もいません、なぜならば居ないからです。その上でこの話を進めなくてなりません、大借金をしたからお金を貸して欲しいという言葉がでても先ずは借金をしたBは居ないということです。その上で、、、なぜ借金をしたかの説明が2時間あったとしましょう。その話の内容は100パーセント事実ではありません、なぜならばあなたの目の前でそれが繰り広げられていないからです。確認が取れていない話は全部本当は起こっていないのです。

その上でどうするか???

もしもあなたの中からお金を貸してあげたいが湧くかもしれませんし、湧かないかもしれません。深刻に捉えることが難しいですから、、何もアクションが起きないかもしれません。それはあなたにも分からないのです。その話を聞いてあなたの中からどんな行動が湧くか、、これが誰にも分からないということになります。そしてどのような思考が湧いたとしてもそれと行動とはまるで関係がありません。これが事実です。

先のことなど誰も分かりません

全ては根源の現れですから、、、友人Bが今後どうなるかを分かる人は誰もいません。そしてその話を聴いた「あなた」の中からどんな思考、どんな行動が起きるかも誰も分かりません。大切なことは何が起きようとそれを深刻に捉える必要がないということです。誰にも何もコントロールができないのですから。深刻になることができるのは「自分」も「友人B」もコントロールできると信じているからです、信じるが起きているからです。答えは簡単川の流れのようにただ事実が起き続けていきます。

辛そうな友人の対処法

辛そうに見えるが事実

明日にでも自殺をしたい、、そう相談してきた友人をどう対処したら良いのでしょうか??答えはこれです、先ずその友人が辛そうに見える、、これは間違い事実です。そこには何の疑いもありません。ですが苦しんでいる友人Aは実在するのか???これはしません。友人Aの体の中からAを探し出すことはできないのです。そして昨日から苦しを多用し自殺を図ったという言葉をAから聞いたとしてそれは事実ではありません。24時間悩み続けているとAが言ってもそれも事実ではありません。その言葉以外は。

その事実を腹の底まで落とし込むと

そこまで腹落ちしますと何が起きるか???深刻になることがどうしても出来ないのです。先ず友人Aが実在しないにも関わらず友人Aを心配するというのがどうしてもできなくなります。そしてどんな深刻な相談をされてもどうしてもそれを深刻に扱うことができないのです。真剣に聞くことはできても深刻に聞くことができないのです。

目の前で確認できる事実以外は思考(ファンタジー)

友人Aの声が聞けた、、これは事実です。友人Aが深刻そうな表情をしている、これも事実です。ですが友人Aが体の中に居る、、これは事実ではありません、、、友人が昨晩全く寝れなかった、、これは目の前でそうでないのならば事実ではありません。彼女が話す内容は全てファンタジーであって事実ではないのです。これでどうしたら深刻になることができるのでしょうか。そしてその話を2時間聴いた「自分」の存在、これは事実ではありません。ファンタジーです。ファンタジーの中で「自分」とAが話をしたのです。深刻になれるわけがないのです。