何もないに戻ることに価値はあるのか?

最上級のワインを飲んでみる

価値があるかどうかが思考として湧くのはそれに触れたことがないということです。醤油ラーメンと味噌ラーメンどっちが好きかを考える人はいません、経験にすれば分かることです。これは悟りも同じこと、根源に触れることに価値があるかどうかは経験すればわかる、経験するまでは答えはでないということです。至福に一回でも触れた人間がそこに興味が失せることはないでしょう、価値があるかどうかの思考が湧いている期間はまだ至福に遠い場所にいます。

最上級のワインも最上級のヒレ肉も、、飽きる

なぜ最上級のワイン、車、ホテル、住居、異性、、、全てに飽きが来るかと言えば、、、それは全体の代替品に過ぎないからです。根源、全体そのものに戻らない限り、、「自分が居る」という思考に縛られている限りこの代替品を貪り続けることになります。代替品を貪るが湧いてきます。代替品を貪るから全体に戻るには代替品を貪ることが意味がないことを経験する必要があります。全ての代替え品には飽きがくることをいかに早く気づくかです。代替え品に飽き切った人がさらなる代替え品に興味を持つとは思えません。

根源、全体は飽きない

根源、全体に飽きることはありません、飽きるという思考が湧かないからです。思考と自分はセットであり飽きるという思考は自分が居るがあってこそです。ですから根源、全体に戻れば飽きはこない、それまではとにかく飽きに襲われます、人格者と呼ばれようが徳が高いと呼ばれようがそんな評価には一切関係なく飽きがきます。体の中に自分が居るという思考が湧き続ける限り全体の代替品を貪り続け飽き続けます。