自分を無くす動き

夢中になる

自分が死ぬなんてありえない、自分が危険な目に遭うなんて考えられない、自分が恥をかくなんて絶対にごめんだ、、、そう日々考えて生きているにも関わらず、、、、、我々の日頃の活動は「YOUTUBE 」に夢中になる、「NETFLIX」に夢中になる、大谷翔平に夢中になる、ギャンブル、お酒、、、、、と自分を忘れるような活動をします。そうです、、、、自分を思い切り大切にしておきながら、、、いかに自分を忘れるかに命をかけています。

にも関わらず

そんなにYOUTUBEが好きならば、、、、YOUTUBEチャンネルやっちゃえば!!!!と告げれば、、、、、冗談じゃない、、、そんなの絶対に嫌だ、、、だって見られちゃうじゃん。。。。。。。です。え??????この矛盾に気づきますか??????自分を徹底的に大切にしておいて、、、日々の活動はいかに自分を忘れるか、、、に没頭します。大きな大きな矛盾的活動に勤しんでいるのです。自分は何よりもNO1 、、だが、、普段は自分を徹底的に忘れていたい、、、、、、、です。

この気づき

何が起こっているかを説明します。真我の活動であるこの気づきを「この体」がやっているという勘違いの動きが起こり、、、この体が消えてしまったら、、この気づきも消えてしまうのでは、、、という恐れを生み出します。この存在が消えてしまうのはごめんだ、、だからこの体を大切にしなくては、、、、です。ですが同時に自分のことを考えていると「苦しい」、、、、、でも理由が分からない、、、、、だから普段は自分を忘れさせてくれることに囲まれていたい、、、となるのです。

そのために

家に帰れば一瞬で「YOUTUBE」「TIKTOK」「Instagram」、、、などのSNS、、、それに飽きたら、、Netflix、DAZON、、、、、、と次々にアイテムを渡り歩くのです。散々散々自分のことを無視しておいて、、、、一番大切なのは「自分」です。だから、、、、自分が目立つなんて怖い、、、、みんなと違う行動なんて怖くてできない、、、、、となります。自分を大切にしないと!!!!!!自分を忘れる没頭できる何かを!!!!という衝動は、、、全て勘違いの記憶が生み出す経験です。

違う

では解決方法をお伝えします。その自分幻想です。本当の自分はその体ではなくて、、、全幻想を生み出し、全幻想に気づく「気づき」です。それが真のあなたであってこの世界、この体は全部幻想です。だからもうこの体を守らなくちゃ、、、とか辞めてください。。それ意味ないです。だって幻想ですから。。。あなたはその幻想の生みの親でありその気づきです。だから今も全幻想に気付いていますよね、、、、今も思考という幻想に気づき、感情に気付いていますよね????どうですか????もう自分を忘れるために頑張らないでください、、その自分、自分じゃないです。

猛暑

幻想????

焼けつくような暑さ、、地面からヒリヒリと熱気が上がってくる、、、背中には冷や汗、頭はボウっとしてくる、、、、はい、、、これ、、、幻想ですか?????これが幻想?????冗談は辞めてもらいたいものです。では回答します、、、、間違いなく幻想です。なぜって、、、そう感じるわけです、、そのような感覚が途切れなく起こるわけです。。。それを今あなたは感じているわけですよね???つまり、、、感じることができる五感こそが幻想です。そしてそれは真我の影であり、、、真我がこれに気づくのです。

だから

あなたはこの熱気、半端ない熱気に気づく「気づき」です。そして、、その熱気こそが、、、真我の影です。その熱気が起こるから、、、、、今年の夏は半端ない、という幻想思考が起こり、、、やはりそれも気付かれます。そして明日暴風雨が来れば、、、、その熱気は暴風雨に変わって、、、気付かれます。だから、、だからこれは幻想なのです。幻夢なのです。。。。現れては消えるのですから。。。。この現れては消える五感、思考、感情こそが真我の影であり、、、今日も間違いなくこれが起こることから、、真我は消えない証拠です。

猛暑

歴史的猛暑が起ころうとも、、、次の日が普通にくるのは、、、真我が絶対だからです。真我は猛暑によって消えはしない、、だから猛暑だろうと寒波だろうと、、、次の日が来ます。途切れることなく気候が変わっては行きますが、、、今日が来ない日がない、、、だから真我は絶対であり、、、影も起こります。真我は絶対不変であり、、ゆえにあらゆる気候が毎日来るのです。この消えない毎日こそが真我の絶対証明であり、、あなたが真我です。

次元

11次元????

世界には次元あって11次元まで存在するのだ、、、そのような話を聞きますが、、本当にそうなのでしょうか????私は11次元説には懐疑的です。私はこの世界という次元があって、、、それに気づくという次元がある、、、これで終わりだと思っています。真我という次元があって、、、その影という次元がある、、、だから全ての影は真我によって気付かれる、、、で終わりです。実在は唯一真我のみでありそれ以外は全て影です。影が影に気づくことは不可能でありよって、、全ては唯一の実在「真我」によって気付かれます。

我々にはまだ認識できない次元の世界がある???

もしもそもような世界が現れでたとしてもそれに気づくのは唯一無二の存在「真我」です。そして真我に気づけない現象は存在せず、、よってそれは今現れていないのです。現れたならば確実にここで「気付かれ」ます。気付かれない現象、幻想、幻夢は存在せず、、よって、、、それはまだ現れていないわけです。ここで固定観念が変わり、、その反映が変わった時、、、新たに現れる現象が起こるでしょう。ですがそれも唯一無二の実在、真我によって気付かれます。

存在するが気付かれていない存在は存在しない

つまりこういうことです。存在はするにも関わらず、、存在しない存在は存在しないのです。現れた現象は例外なくここで気付かれます。だからまだ現れていない現象は当然気付かれもしません。実は11次元まで存在して、、、それが気付かれていないだけなんです?????現れていないのです。現れれば確実に気付かれます。意識が物質にフォーカスすれば物質が展開し、意識が思考にフォーカスすればそれが展開する、、感情にフォーカスすればそれが展開する、、、、全てはどこにフォーカスするかです。ですが全て幻想です。幻想の中に階段を設けることはできます。幻想の細分化です。幻想の細分化を次元というのであればそれは存在します。ですが全て幻想、幻夢、現れ、影に過ぎません。実在ではない、、という意味では全て同じです。

足りない

現代人

現代人の特徴は「常に何かが足りない」です。もっと美しくなれれば、もっと稼げれば、もっと活躍できれば、もっと安定すれば、、もっと、、、もっと、、、、ではなぜこの「もっと」という思考が起こるかといえば、、今が不満足だからです。今が不満足だから何かをもっとえれば、、それが叶うと思っているわけです。ですが我々の本質は最初から完璧であって付け足すべき何かは一切必要ないのです。皮肉なことに我々の本質は最初から完璧だからこそ、、今この幻想に気づくのです。

幻想に

本来この幻想は幻想に過ぎず、、、そこに不足はないのです。ただこれを不足だとする思考が起こります。ですがそれも幻想の思考です。その思考が起こるから、、、もっとこうしたら、、、という思考がやはり起こるのです。ですがそれも幻想です。そして我々の本質はこの幻想思考に気づく「気づき」です。完全完璧な真我が我々です。その完全完璧な真我から影として幻想が現れ、、、それが完全完璧な真我によって気付かれるのです。

真我に意識がフォーカスされる

この完全完璧な真我に意識がフォーカスすると、、これまで湧いていた勘違いの思考が大人しくなっていきます。勘違いの思考とは真我を無視した思考であり、、この思考こそが苦しみを起こしていました。ですが真我が意識によって思い出され、、真我前提になった時、、、ここに現れる思考は苦しみを生み出す思考ではなくなります。思考はただ起こりはしますが、、それは自我前提での思考ではなくなります。

真我の心=ブラフマン

一般の心

一般の心とは「真我」に気づかずに、、現れでる現象を「自分」と認識し、、分離した世界を構成する心の状態です。自我が現れでた瞬間に心が世界を作り上げるわけですが、、その世界を実在とする思考が現れでるのです。自我ベースの心が一般の心であり、、それが奏でる世界には「不完全」が必ず起こるのです。なぜならば、、「自我=体+心」という思考こそが完全に不完全でありよってそこから現れでる世界も不完全となります。不完全な世界が現れ出てくれている理由は「自らの心」が不完全である証拠なのです。

不完全な心

不完全な心の状態が不完全な世界を生み出しれます。そして不完全な世界に住んで、、散々散々苦しんだあと、、心は外に向かわずに内に向かうようになるのです。外的環境をどうにかしようという試みが終わります。ヴァーサナーという心的傾向、、、が、、燃え尽きて、、真我探究に向かうようになるのです。そのためには外的環境をどうにかして変えて幸福になろうとする動き(ヴァーサナー)を燃やし尽くさなくてはなりません。

完全焼却

勘違いの心が完全に燃え尽きて、、、真我探究にしか興味がなくなった時、、、真我実現が訪れます。外的世界をすでに実在とは全く思わず、、外的世界=心であることを見抜いています。ただただ真我に寛ぐのです。その状態の心をブラフマンと呼びます。世界は心によって生み出され、、心は真我によって生み出されていることに気づいた状態での心です。もうその心は外的世界には無関心になり、、、真実の幸福にしか関心がありません。

孤独

どうやって???

あなたがもしも無人島で生まれたった一人の親に育てられたとしましょう。その状況に孤独を感じるでしょうか???絶対に感じませんね。我々は言葉を知る前「孤独」を知らなかったのです。孤独とは言葉が生み出すイリュージョンです。そしてそのことをどこかでは確実に知っています。確実に知っているのです。だからいつか「悟りたい」と願うのです。

その動きも

皮肉なことに孤独を生み出すその動きすらも愛の動きです。愛の動きが孤独という愛の動きを生み出したのです。世界でたった一人ぼっちの私という感覚が愛によって生み出された時、孤独という愛の動きが起こるのです。その愛とは「この」意識です。今ここで絶対的に感じている「意識」これが思考を起こし孤独を今生み出しています。犯人がこの意識だと気づくと、、絶対的安心感が出てきます。なんだよ、自分で孤独を生み出していたのか、、、と気づきます。

自作自演

自作自演とはこのことです。今ここで絶対的に感じるこの意識が思考となって孤独を生み出しています。孤独を生み出した原因は何だ????と犯人を追いかけてみたら「この意識」だったんです。なんだこれは???となります。全ては意識です、今見えている視界の全てが「この意識」です。この「意識」ですからいつもいつもいつも「ここ」に在る意識です。なんてことでしょうか????生まれた時からこれまでずっとずっと一緒に存在していた「この意識」が視界の全てだったんです。

何が起こっている???

正確に知る

あなたは砂漠の向こうに見える蜃気楼に関心を持ちますか???もしもあなたが蜃気楼という存在を知らなければ砂漠を歩く際に「向こうに見える泉」に半端ない関心を持つのは当たり前のことです。ですが一旦それが蜃気楼と分かれば、、2度とそこに関心を向けないでしょう。では、、この世界が実は心の産物と分かってしまって関心を持てますか????持てませんね、、このアタッシュケースに3億円の現金が入っていても、、、、それすらも心の動きと分かってしまうと何かが変わるのです。

世界情勢

世界情勢も心の動きです。心の動きが世界情勢を生み出します。心とは分離した世界情勢は存在しません。だから世界情勢=心です。何が起こってもそれは心の動きでしかないのです。3億円の宝くじが当たってもそれも心の動き、、最愛のパートナーを見つけてもそれも心の動きです。つまり心の動き以外が知覚されることはないのです。そしてあなたはその心の動きに気づく永遠の気づきです。つまり心は永遠の気づきの中に現れ、、心が世界を生み出すのです。世界は永遠の気づき「あなた」の中で起こっているのです。

だから

だからあなたはこの世界の中に登場することは不可能なのです。だってあなた(気づき)の中に世界が現れているのですから。ゆえに心が変われば世界も変わります。世界は心の思うがままです。ですが、、、この世界が豪華絢爛、贅沢三昧になったところで、、、それも心の動きでしかなく、、あなたはそれをゲットできません。あなたの中にその豪華絢爛な世界が映し出されたに過ぎないからです。それを享受する「私」を思考で作った瞬間、、苦しみが起こるのです。

私の中に私

この世界に宝くじ3億円のチケットが見つかって、、それを手に入れるとき、、世界の中に「私=体+心」を作り上げるはずです。3億円をゲットする「私」を間違いなく作り上げるでしょう。その瞬間その私は世界とは個別分離した私になります。これが分離感、孤独感、恐怖、不幸です。「私」の中に世界があって3億円を手に入れる私はその世界には存在しないのです、事実では。ですがその3億円をゲットするためにこの体を私とする思考を作り上げれば、、、苦しみもセットでついてくるのです。

ヴァーサナー

真我

我々は真我に「成る」ことは不可能です。なぜならば最初から真我だからです。そして真我の完成を目指すのもまた不可能です。なぜならば真我は最初から完成されているからです。つまり真我実現とは、、最初から完成されたものであり真我非実現という状態こそが不可能な状態なのです。ではこの不幸は何か???この不幸とは真我実現の中、真我の中に「不幸」が現れたに過ぎないのです。真我の中に「苦しみ」が現れたに過ぎないのです。

つまり

我々は最初から完璧な真我であり、、真我以外になったこともなく、、完全完璧な真我なのです。そのことをすっかりと忘れ、、ここに現れる現象を自分自身とする思考が起こることで「不幸」を起こしました。真我は「対象」と同一化できるはずもなく、、なぜならば真我とは全てだからです。世界全てが真我です。にも関わらず「真我=この体と心」とする思考が起こり、、、苦しみが起こりました。ですがこれは完全な勘違いです。この勘違いを消去したくてもさせてくれない心の動きを「ヴァーサナー」と呼びます。

単純明快

本来であれば単純明快なこの真実に気づかせてくれない動きが「ヴァーサナー」です。見える世界を実在とする思考の動き、この体を自分とする動きには傾向がありリセットできません。事実では「私」の中に世界が起こります。「私」の中に心を通じて世界が起こっているのです。ですがその事実をスッカリと忘れてこの体と心を「私」とする動きが起こっているのです。これが分離感、恐れ、不幸を起こすのです。

とはいえ

真我がこの苦しみを取り除くぞ!!!!と意気込むことも全くなく、、ただこの苦しみの動きを解消しようとする動きが自然に起こっています。この解決に向ける動きにも自由意志はなく、、ただ起こるのです。ですからそういう意味では完璧なのです。完璧な真我の中でこの苦しみを解消しようとする動きが完璧な姿で起こっています。真我から「高次の力」が起こり、、この苦しみを解消しようとする真我探究が起こっています。

自我(心)を心で消す???

不可能

この世界の苦しみを取り除くには、、自我(心)を消す必要があるわけですが、、その自我(心)を消すために、、、心(思考)で消そうとする試みは成功可能でしょうか?????不可能です。心(自我)を同じ心(思考)で消すのは不可能です。じゃあ自我はどうしたら消せるのか????どう思考したって、、不可能ですよね???そうです。では、、、回答しましょう。。自我とは何か???ここを見抜くのです。自我は何で出現し、何で構成されているのか????ここに迫るのです。自我が何かが分かってしまえば自我は消えます。なぜならば自我とは何か分かっていない期間だけ出現できる代物だからです。

真我

我々の本性は真我でありその真我は思考ではありません。真我とは不変であり永遠であり唯一無二の実在です。思考では全くないてはに対して、、自我は現れて消える思考です。故に自我は真我では絶対にないのです。自我が思考だからこそその自我を取り巻く心が生み出され、、この世界を生み出したのです。つまり世界とは心であり、心は自我という思考によって生み出されるのです。

思考とは何か????

自我の構成要素(思考)、心は何か?????真我は絶対に動きません。真我は不動です。ならば心、思考は動くのだから真我ではなく、、真我の影です。真我は不動ですが真我の影は動きます。真我が動かないならば心は非真我ということになります。自我=思考=心=非真我=真我の影ということになるのです。だから自我は真我無しでは出現できません。自我は真我の影として現れているに過ぎないのです。この瞬間自我の実在性が消え去り、、自我は消えたのです。そして自我は真我の影として、、もはや真我の偽物ではない影として実在を取り戻すのです。ですがその自我は自我という実在ではなく影としての実在です。

世界もこの体も

自我が消え失せてしまった以上、、世界も体も真我の影に戻ります。最初から真我の影に過ぎないのですがそれがはっきりと自覚されるのです。だから、、、この世界と体を遮る何かは存在しません。分離も100%不可能です。分離とは自我が生み出す幻想に過ぎないのです。真実では分離が一切ない真我の影であり、、その自覚の中で、、分離という幻想が心によって生み出されていたのです。

エゴ

原材料

全てが意識です、全てが「この」意識です。全てが意識であるということはエゴも意識です。あの人はエゴが強い、そのエゴも意識です。意識は愛でできていますからつまり強力なエゴも愛でできているのです。つまり愛の動きでしかないということです。愛が動く時苦しみという愛の動きが起こるのです。なんてことはない我々は最初から愛の存在なのです。愛の中に勘違いの動き(愛)が起こった時、苦しみという愛の動きが起こるのです。

原材料が愛だろうと

原材料が愛??愛だろうとなんだろうと苦しければなんでも同じですよ!!!屁理屈並べたって苦しみが消えないなら意味ないです!!!!そうです。その通りです。それを頭で理解していても実は何の意味がないのです。ですがあなたは頭ではもう知ってしまったのです。時限爆弾を埋め込まれてしまいました。その時限爆弾は定期的にもしくは不定期に爆発を起こし続け、勘違い(カルマ)が消えるまで爆破し続けます。お楽しみに。