真我
我々は真我に「成る」ことは不可能です。なぜならば最初から真我だからです。そして真我の完成を目指すのもまた不可能です。なぜならば真我は最初から完成されているからです。つまり真我実現とは、、最初から完成されたものであり真我非実現という状態こそが不可能な状態なのです。ではこの不幸は何か???この不幸とは真我実現の中、真我の中に「不幸」が現れたに過ぎないのです。真我の中に「苦しみ」が現れたに過ぎないのです。
つまり
我々は最初から完璧な真我であり、、真我以外になったこともなく、、完全完璧な真我なのです。そのことをすっかりと忘れ、、ここに現れる現象を自分自身とする思考が起こることで「不幸」を起こしました。真我は「対象」と同一化できるはずもなく、、なぜならば真我とは全てだからです。世界全てが真我です。にも関わらず「真我=この体と心」とする思考が起こり、、、苦しみが起こりました。ですがこれは完全な勘違いです。この勘違いを消去したくてもさせてくれない心の動きを「ヴァーサナー」と呼びます。
単純明快
本来であれば単純明快なこの真実に気づかせてくれない動きが「ヴァーサナー」です。見える世界を実在とする思考の動き、この体を自分とする動きには傾向がありリセットできません。事実では「私」の中に世界が起こります。「私」の中に心を通じて世界が起こっているのです。ですがその事実をスッカリと忘れてこの体と心を「私」とする動きが起こっているのです。これが分離感、恐れ、不幸を起こすのです。
とはいえ
真我がこの苦しみを取り除くぞ!!!!と意気込むことも全くなく、、ただこの苦しみの動きを解消しようとする動きが自然に起こっています。この解決に向ける動きにも自由意志はなく、、ただ起こるのです。ですからそういう意味では完璧なのです。完璧な真我の中でこの苦しみを解消しようとする動きが完璧な姿で起こっています。真我から「高次の力」が起こり、、この苦しみを解消しようとする真我探究が起こっています。