大御所が不幸に見えてくるのは???

大御所芸人、大御所歌手、、、これらが不幸に見えるのはなぜ???

才能をフル発揮して生きてきた人々、、大御所芸人や大御所歌手がしかし不幸に見えてしまうのはなぜでしょうか?????彼らは頑張ってきた、、努力してきた、、、、一心不乱に、、、仕事に打ち込み、、、そして圧倒的成果を獲得した、、、、、にも関わらず周囲からは腫れ物に触るように扱われる、、、なぜ????

周囲への判断が始まる、、、、

結果を出してきた社長、、、結果を出してきたスポーツ選手、、、みんな周囲の判断を始めます、、、俺はこれだけやった、、、お前はどうだ????と。。。。これぞ自我の延命戦略、、、、自分を全肯定できても周囲はできないだろ???です。。。周囲との関係の中で自我は延命措置を図るのです。。。。残念!!!!周囲の動きの全て、、、周囲の言葉の全ては、、、、神羅万象の動きです、、、、ただそれだけ、、、完璧な神羅万象の動きがあるのみです。否定できる存在など居るわけがないのです。

この自分の言動も神羅万象の動きでしかなかった

この自分の言動すらも、、、実は神羅万象の現れでしかなかった、、、、これだけの努力、苦労、、全部、、神羅万象の現れ、、、、え?????じゃあ自分が成し遂げたというのは勘違い????そうです、。大勘違いです・・・・・。高らかに周囲に振りかざしてきたこの功績は自分の功績ではないのか????その通りです。

このことが絶対肯定

自分の言動も他人の言動も全て、、、、神羅万象の現れであるならば、、、全肯定するしかない、、、批判すべき周囲も批判する自分も、、、もう居ない、、、、、だって全部神羅万象の現れだから、、、、全部神羅万象の現れならば、、、もう自分なんて存在意味ないですよね????ある意味そうです、、、、自分と他人との差なんてないのです、、、神羅万象には。神羅万象をもしも引き裂くことが出来るならば、、、それは大脳の中だけです、、、

絶対肯定

全部を肯定していく

今までなぜ自分を出して来なかったのだろうか???違います、、ただそれが起きただけです、、、今までなぜあの仕事をやらなかったのだろうか???違います、、ただそれが起きました、、、、なぜ????なぜ????なぜというのは自由意志がある人の考え方です、、、自由意志はありません、、、つまり起きたことはtだ起きたのです、、、完璧に、、、、過去の人生全てを肯定すると、、、、、自分の中に否定が無くなります、、、すると見える世界に否定が無くなります、、、、

周囲の人間を否定しなくなる

なぜこの人はこんな格好を、、なぜこの人はこんな仕事に、、、なぜこの人はいつも怒っているの?????これらの疑問が全く出てこなくなります、、、、、なぜならばそれがただ起こっているからです、、、、あらゆる因果応報、うん億年間の因果応報の結果としてそこにただ現象が起きたのです、、、そこを判断するのは無意味です。すると否定が全くできない、、周囲に否定を作れない、、、自分の中に否定が作れない、、、この自分の存在も人生も否定できない、、、、

ジャックナイフのように生きて、、、

若者は尖っています、、、ジャックナイフのように、、、自分を否定し、周囲を否定し、、、、自分をそれでも守っていく、、、、究極の否定、、、ですが、、これはこの体の生存戦略です、、、誰も信用しない、、、これも一種の生存戦略です、、、、ですが非常に苦しい、、、、ここから全肯定にシフトしていきます、、、先ずは自身の才能を、言動を、、、、そして周囲の存在を、、、、世の中には自由意志は一切なく、、、全部が神羅万象からの起こり、、、それを否定することはできません。世界が完全統合されます、、、自分が完全統合されます、、自分と世界に境目が無くなります、、、そこに気づく空の存在、万物の動き(色)、、、空と色が統合されます。

松本人志が映画監督に???

なぜ???

10年ぐらい前に松本人志が映画を作りました、、、大コケしましたが、、、あれは大変重要な活動なのです、、、松本人志ぐらいに有名人になると失敗が許されない、、、全ての活動には大予算が付けられますから、、、、どうしても慎重になっていきます、、、ですが本人からすれば、、、、、売れたのだから好きなことやらせてくれ!!!当然です、、、、そしてそれは大変重要なことなのです、、映画が売れる売れないよりも彼の今まで隠してきたパーソナリティが燃焼したのです、、日の目を得たのです、、、顕現化されたのです、、、ここが重要です。

隠してきた才能が、、、世界を分離させる

隠してきた部分は、、、自身の否定してきた部分です、、、、この部分は見える世界を分断します、分離させます、、分離した投影を作ります、、、その分生き辛くなります、、、この部分を認めてあげて、、癒すのです、、、松本人志は映画自体は大コケしましたが、、、その後見える世界が変わったはずです、、生きている世界が変化したはずです、、再統合されたはずなのです。これが真の目的なのです。

やり方は自由

なにも才能を人に披露しなくてもいいのです、、なにも隠れた性格を人に披露しなくていいのです、、、これは自己完結でいいのです、、、自分が自分を絶対肯定していく作業だからです、、、やり方は何でもいい、、、体を動かしていくことで、、才能を開いていくのも良いでしょう、、、学校に通い、、そこで開くのもありです、、重要なことはその成果ではなく、、、隠してきた自分の部分の顕現化です、、、自身の分離を終わらせ、、、見える世界の分離を終わらせます、、、この事実が腹落ちしますと、、、、我々は変幻自在の世界に居ることに気づきます、、、神羅万象の世界に居るこちが腹落ちします、、、

この部分は人には見せないようにしよう

本当はアートが大好き、、でも見せない

幼少期に本当の自分を出さないようにすることで、、、両親から嫌われないようにする、、というのは子供の生存戦略です、、、例えば教育熱心な両親の元で生まれたならば、、、アートに興味があるなど言わない方がいい、、、となります。ですがここで押さえ込まれた感情、才能は、、、個人の中に分離を作り、、、この分離が見える世界を分離させるという投影を作るのです。

自分の中の統合、、、

本当はこれをやりたかった、、、、本当の自分はこんな自分、、、本当はこんな弱い部分もある、、、本当は、、、、こうやって隠しきた部分が自分の中にありますと、、、その隠した部分と表に出してきた部分の二極化、分断化が生まれます、、、これが見える世界を分断化、分離化させます、、、つまり自身の分離が見える世界の分離、、分離感、孤独感です。今見える世界が、、、息苦しく見えるならば、、、自身の分離を解消してしまうことです。。。本当は、、、の自分のパーツを絶対肯定していくのです。

そんなこといきなり言われても、、、

そんなこといきなり言われても、、、何からしていいか分かりません、、、そのような時は体に意識を向けます、、体の動きを改善していきます、、体の細胞一つ一つを意識的に動かしていきます、、ヨガ、体操、太極拳、水泳なんでもいのです、、、すると体中に溜め込められた感情が溶け出し、、その感情に自覚的になるのです。その感情には嘘がなく、、、それが隠してきた自分です。自分の再統合が起きます、、、いきなり、、、海外に行きたくなることもあるでしょう、、いきなり音楽をしたくなるかもしれません、、、いきなりジャニーズの追っかけになることもあるでしょう、、、、いきなり氷川きよし改めKIYOSHIのファンになることもあるでしょう、、、体の中の感情を溶かし、、、その感情に素直になって動くことで自身の再統合が起きる時、、見える世界の再統合が起きます。

で??明日からどうすればいいのですか??

どうもできない

ノンデュアリティ、悟り、覚醒のメッセージは分かりましたよ、、、、で結局明日からどうすればいいのですか????どうもこうもそれを決める力が見かけ上の個人には無いのです、、、見かけ上の個人はやっているつもり、考えているつもり、感じているつもりしかできません、、、それじゃあ廃人と同じですよね????違います、、それを物心ついてからずっとやってきたのです、、だからこれからもやっていくのです、、、、唯一の違いはそのことに自覚的であるか否かです。。。。見かけ上の自分以外に、、神羅万象、気づきの意識があり本当の自分はそっちだったという気づきがあるか否かです。

どうもできないなら死にたい

どうもできないなら、、生きていてもしょうがないですよね????見かけ上の個人が完全自由意志で行動してきたと勘違いしていた状況から、、完全に神羅万象そのものであったという気づきが起きると、、、そのような感情、発想が神羅万象から湧き出すこともあるでしょう、、、、、ですが神羅万象の動きそのものであるという気づきは本当に退屈でしょうか??本当に無感動でしょうか???私はそうは思いません。

何を目標に生きたらいいか分からなくなった、、、

もう何を目標に生きたらいいか分かりません、、、大丈夫です、、、その目標も神羅万象から現れます、、もしくは現れないこともあるでしょう、、、そしてそのことと、、至福感、静寂、、とは何も関係がないということです。苦しみとは何も関係がないのです、、、独立した個人であるという脳の錯覚が神羅万象から起こった時に苦しみが湧き上がり、、、これが脳の錯覚であるという気づきが神羅万象から起きた時に苦しみが終わります。

神羅万象の動きに大脳がドラマを付けた

神羅万象はただ動く

神羅万象はただ動きます、、これだけです、、、宇宙生命体は全てこの神羅万象の動きの中に在ります、、、、ではその中で人間はどのような動きをするのでしょうか????人間も例外ではなく完璧に神羅万象の動きのなかにあります、、、、コーヒーを飲むという動き、思考活動の全て、、、全部です、、、神羅万象の動きそのものです。え????コーヒーを飲もうは、、、自分で考えていますけど????そうです、、その考えも神羅万象の動きです。

神羅万象の動き以外の動きがあったらもうそれは神羅万象ではない

神羅万象が神羅万象であるのは、、、宇宙空間の全動きを支配しているからです、、、神羅万象が支配できていない活動があるならば神羅万象は神羅万象では無くなってしまいます、、、つまり我々人間の活動全て、脳の活動全て、、、は神羅万象の動きそのものなのです。。。つまり神羅万象の動きとは全く関係なく、、人間が個別自由に活動するなどありえないのです。

脳の動きも神羅万象

神羅万象の動きに脳が名前を付けてあたかも独立した者同士、物同士が関わり合っているように見せています、、本当は神羅万象の動きだけがあります、、、そこに脳の機能でそのようなドラマを誕生させてみせたのです。この活動も当たり前に神羅万象の活動です。そしてこの活動の最中は苦しいが湧きます、これも神羅万象の活動です。。。。そしてあまりに苦しい時に、、この活動を見抜いて、、苦しいを終わらせるという活動も起こります、、これを悟り、覚醒、、ノンデュアリティと呼びます。

陰謀論について

現象として起きる可能性がある

陰謀論、、、世界には世界を牛耳る裏の存在が居て、、、、とありますが、、、これって真実なのでしょうか????陰謀論というこのアイデアは神羅万象の現れ、現象の現れです、、、これが紛れもなく現れたのです、、、そこは事実です、、、ですがそこに書いていることが現象として現れるかどうかは分かりません、、、現象界で何が起こるかを分かっている誰かはいません、、、これは現象を起こす空すらも分かっていません、、、つまりこの世界で次に何が起こるかを予想できる誰かは居ないのです。

宇宙人も、、、

宇宙人の存在は????これも現象として現れる可能性はあります、、、ですが私の目の前に現れていない限り、、そのままです、、、情報としては現れるかもしれません、、、、目の前に現れるかもしれません、、全ては現象ですからそこにはルールは皆無、先のことは誰にも分かりません、、、重要なことは、、、、そのことと至福にることとは全く関係ないということです、、、、どのような現象が起こっても、、、それが現象に過ぎないことを見抜く以外に価値はないのです。

宇宙人のメッセージには興味ある???

宇宙人のメッセージが人類に役に立つかもしれないじゃないですか????それも現象としてあるかもしれません、、ですがその現象(宇宙人のメッセージ)は現象であって、、、、それを見抜いた上でそのメッセージを楽しむのは何も問題ないでしょう、、、ところがそのメッセージが事実であるという思い込みは注意しなくてはなりません、、、

日本の将来を心配するという杞憂

神羅万象の現れを心配する個人

朝まで生テレビ、、、日本の将来を占う、、、やってますやってます、、、ですがこれらは全くの「無意味」、、、論点が完全に間違っています、、、、起きる現象は全て神羅万象の現れ、、、ここに関われる個人は誰もいません、、、いやそんなことはない、、、優秀な総理大臣が出れば日本は変わるではないか????その通りです、、、神羅万象の現れとしてそのような人物(見かけ上)が現れれば変わりますよね、、、、

そんな他人任せじゃなく、、、

そんな他人任せ、風任せではなく、、、そのような総理大臣を我々が選ばなくてはならないじゃないか、、、、違います、、、それを選ぶことが神羅万象から起きれば選ばれます、、、神羅万象からそれらが選ばれなければ、、それで終わりです。。。。全ては神羅万象次第????その通りです。。ここに関われる我々は存在しません、、、なぜならば我々も神羅万象の現れだからです。

じゃあ、、日本の将来を憂うのに意味はないのか???

ありません、、、日本の将来を憂うということは神羅万象の動きを憂うということになります、、、、神の動き、空の動きを憂うことになります、、、、意味ありますか????神羅万象はそれだけで完璧であり、完全、、この動きが不完全であるわけがなく、、、、神羅万象の動きに不平不満を言うのは、、、その動きを観察する「個人」がそのように見ているからです、、、事実、真実ではなく、、、、脳が見る世界を見せられているのです。

個人にはいつまで経っても神羅万象が完璧には見えない

個人の観点からはこの神羅万象の動きは完璧には見えません、、、常に問題、問題、問題ばかり、、、そうではなく完璧な神羅万象が完璧に見えないことが問題なのです、、、、、ではそうしたら完璧な神羅万象を見ることができるのか????それは神羅万象そのものであることに気づくことです、、個人ではなく、、神羅万象そのものであったことに気づくのです。事実、真実に気づき、、、脳のカラクリから脱却することです。

手に入れた瞬間の安堵感を求めて

何かを得た瞬間、、安堵感が広がる

我々は常に何かを求めます、、異性、お金、地位、名誉、仕事、家族、安定、、、なぜこれらを常に求めるのか???それはそれを得た時の安堵感が欲しいからです。。。????対象でる、、、異性、お金、地位、名誉、、、、、などは実は何でも良くて、、、それを得た際の安堵感が欲しいのです。。。なぜ???それは今が苦しいからです、、、、今苦しから、、、、なんとかしてこれを拭いたい、、、これを拭う唯一の瞬間こそが達成なのです。

そのやり方は疲れる

しかしながらこのやり方は疲れます、、キリがない、、、、生きている間中、、、何かを目指さなくてはならない、、、、苦しい、、、、そうです、、、結局これも苦しのです。。。ということで我々はこの安堵感を目標達成から得るのではなく、、、、ダイレクトにそれを得たい、、、、これが悟り、ノンデュアリティ、覚醒です。

事実をただ理解する

そのためにはどうすればいいのか????事実をただ理解するだけです。。。この世界がどうなっているかに気づくだけでいい、、、何もしなくていい、、、気づきの意識がこの事実に気づくだけでいいのです。。。私ではなく????そうです。私が気づくのではなく、、、気づきの意識が私が居ないことに気づくのです、、そして私が居ないどころか、、、見える世界に広がるあらゆる対象(分別区別)が実は分離していなかったということに気づくことです、気づきの意識が。

私が気づくのではないならば、、不可能???

私が気づくのではなく、、、気づきの意識が気づくのならば、、、不可能ではないか???気づくの意識が気づくの待ちならば、、、こっちは完全な無力じゃないか?????まさに!!!その通り、、、、個人は常に無力なのです、、個人には何の気づきも起こせないのです、、、生まれてこのかた、、、個人が気づくというのは、、現象以外全く起きていないのです、、、全部は気づきの意識が気づいてきました、、、だから今回も気づきの意識の気づき待ちです。

トラウマの炙り出し

究極の防衛反応

トラウマとは究極の防衛反応です。自分という存在にとって脅威になる対象に対し(思い込み)強烈な緊張が走る状態です。このトラウマは悟りを開く際に邪魔になります、、、なぜならばトラウマを抱えるのは自分だからです、、この二つはセットです。。。強固に連携しています、、ですから自身がどんなトラウマを抱えているかを確認することは非常に重要になります。

自分では分からない

怖い対象がトラウマですから、、基本的には顕在意識には上がってきません、、、怖いのですから。、、これは何か事件、出来事があった時に急に現れるのです、、、、だからこそ厄介、、、自覚がない、、、、でも自分と強固に繋がっていて自我を完全防備しています、、

とはいえ無理にこじ開ける必要はない

とはいえこれを無理にこじ開ける必要はありません、、準備ができた時に勝手にそこの意識が向きます、、、悟りという事実に向き合っていく過程で、、、安心感からそこに意識が向く可能性があります。我々はどこまでいっても気づきの意識からの湧き上がりに委ねるのみ、、、安心してお任せです。お金に対しトラウマがある方は、、、全てを諦める(悟り)の際にお金がボトルネックになるのは当たり前のことです。。どこでお金の恐怖心と向き合うことになるかは分かりません。