機能としての自分を生きる

自分とは機能

悟りを開いたから、、、この個人とは全く無縁に生きていく、、これは不可能です、、、名前としての自分、機能としての自分は存在します、、、この夢の中で。交通違反をして警察官に呼び止められているにも関わらず「自分は居ないから」と言って逃げれば捕まります。機能としての自分を果たしてしっかりと違反切符を切ってもらう方が楽です。つまり機能としての自分はしっかりと果たしていくことになるのです、夢の中で。

どんな機能を果たしたいですか???

思考が湧いてもただ全体から起こっただけ、行動が湧いてもただ全体から起こっただけ、、このように気づきの意識の立場で言動の観察を始めますと、、、空白の時間が増えていきます、、、、自称自分に全く邪魔されない時間が増えます、、、役割を果たす時間が増えていきます、機能としての自分を果たす時間が増えていくのです。その時に中から湧いてくる衝動こそが気づきの意識そのものの衝動、機能としての自分をいかに果たすかの衝動です。

全ては自分の捉え方次第

この個人絶対的に存在すると考えますと、、、思考の波に飲み込まれていきます、、、思考はこの個人の損得のために一日中フル活動しているのです、、、、これが個人で生きている人たちの苦しさなのです。全部の言動はただ全体から湧いている、、このような視点で言動を観察しますと、、、思考が湧いてこなくなります。。。思考は観察されると静かになるのです、、、その結果機能としての自分が果たす役割が増えていきます、、この状況は深刻さがなくただ楽しいが湧いてきます。

苦しいに「私」をくっつける

苦しいがただ起きる

痛いがただ起きます、、そこに「私」が痛いのだ、、、という思考が湧きます、、、こうやって人間ドラマが続きます、、、、暑いが起きます、、、そこに「自分」が暑いのだという思考感覚が湧きます、、、これでドラマが進んでいきます、、、、夜寝ている時の悪夢を思い出してみてください、、、ストレスフルな日常の時には悪夢をみやすい、、、そうすると、、その登場人物が辛いというドラマが展開しやすいのです、、、つまり湧いてくる感情に、、「私」をくっつけているだけなのです。

苦しいを苦しいで終わらせる

苦しいが湧いてきても、、、、なぜ私が苦しのだ???私を苦しみているのは誰だ???に持ち込まない、、これをやると、、、あいつのせいだ、、、こいつのせいだ、、、どうやって仕返しをしようか???になっていきます、、、、そうではなく、、、ただ「苦しい」が全体から湧いてるなーと観察します、、、、するとこの苦しいは消えていきます、、、そこに主体客体のドラマをくっつけないのです。主語としての「わたし」をくっつけないのです。

「私」が苦しいとは何事だ????

なんかモヤモヤする、、、、「私」をモヤモヤさせたのは誰だ????あいつだ、、、、どうしたらいいもんか???こうやって人間ドラマは喜怒哀楽劇場化していきます、、、、、モヤモヤする、、、、が全体から湧いてきたことを、、、に気づきます、、、そのモヤモヤは神羅万象のただの動きです、、、ここを理解します、、、「私」を無視します、、、、すると私が居なくなります。。。

被害者に甘んじるのではない

自分という機能として、、、、自分の目的を邪魔する存在を避けるのは何も問題ありません、、、、仕事の邪魔をする業者がいれば、、、避ける、攻撃する、、は当然やるべきです、、、、、重要なことはそこに感情をくっつけない、、、感情+自分という自分劇場に持ち込まないことです、、、機能としての「私」「自分」は淡々と機能を遂行していきます。そしてその動きも神羅万象の動きです。

私は在る、、以外は全部観念

この意識以外は観念

気づきの存在、私は在る、、、というこの感覚以外は全部観念です、、、あらゆる思考は全て観念です。この体の中に自分が居るという大前提での思考は全て観念です、、、この神羅万象は私は在るの中で繰り広げられ、、人間ドラマを作り出しました、、、、そのドラマに気づき続ける存在が私は在るという気づきの意識です、、、本来はたった一つのエネルギーが神羅万象として動き続けるだけです。

人間たるもの、、、

人間たるもの、、、法律はしっかりと守った方が良いよね、、お金のことはしっかりした方が良いよね、異性問題はトラブルよね、、、全部観念です、、神羅万象の動きの一つです、、、そこに良否、善悪、優劣は一切ありません。人間という個別分離した存在はそもそも居ません。ですから人間が居るという大前提の思考は全て観念です、真実ではありません。ただしその観念も神羅万象の一つです。

観念に良否はない

神羅万象の動きである観念に良否などは全くなく、、、ただ動きとしてあります、、、そしてそれらの全てじが観念であることを見抜き、、自己の不在を見抜き、、自分は誰かに迫っていきます、、、この人間ドラマの夢から醒め、、私は在る、、、に戻る、、、これだけが真の目的です、、、、ですがその動きがいつ起きるか???それすらも神羅万象の動き次第、、そこに関われる自己はいません。

「自由意志がある」はサレンダーではない

本当の降参

降参とはもう参りました、、完全なる敗北を認めることです、、、完全なる敗北、、すると自由意志があるという認識は真逆、、、何かを自由に決めることができる自分が存在するならば、、、敗北では終わらない可能性があるのです、、、気持ちとしては完敗を認めましたけど、、、、いやいや明日になれば分からない、、、これは降参、、、サレンダーではありません。

悟りとは降参

自由意志も、自分も全く存在していなかった、、、これこそが個人の完全敗北、降参でしょう。。。これを認めてしまったらもう何もない、、、、勿論夢の中では、、、この個人は自由意志を発揮して、、、何かにチャレンジするでしょう、、夢の中では、、、、ですが視点を変えれば個人は何もしていないのです、自由に、夢ですから。

夢としてだったら自由意志をフル発揮していいのか???

勿論です、、、ですが夢であることが本当に腹落ちした状態で、、、、果たして自由意志をフル発揮してまで成し遂げたいことが本当に湧いてくるのでしょうか??朝起きて夜寝る瞬間まで多忙を極める、、を望むのでしょうか????恐らく起きないでしょう、、、それよりも夢から覚めた感覚を追い求めるのではないでしょうか。

探求も神羅万象からの起こり

探求は悪くない

個人が真理を探求する、、、その個人が真理を隠している、、、その通りです。。ですがその個人の探求もまた神羅万象から起こっておます、神羅万象の動きそのものです。ですから行動が劣っているなどは絶対にないのです。ですが個人が真理を、神羅万象全体を探しても、、見つからないというのは事実です。ですが真理、真我、への探求が起こっているという時点で何かしらの存在に気づいている真我がそこに居るのは事実です。何も気づいていないにも関わらず真我、全体、気づきの意識への探求が起きるとは思えないからです。

探求が止まらない

探求が止まらないようならばそうなのです、、、そのような人はほぼ居ませんから、、それは凄いことです。探求することに義務も要求もなく、、ただ探求は真我へと誘っていきます、、、益々真我気づきの意識が身近に感じれるようになっていきます。。。最後は真我、気づきの意識が個人の不在を見つけ、、そのメカニズムに気づきます。その時に自分、自分以外の概念が紛糾し、、真我そのものが残ります。気づきの意識そのものが残るのです。

自分と自分以外

自分が居て、自分以外がある、、、、これが我々の認識です。自分がこうだから、、自分以外がこう、、です。自分+自分以外で全部です。自分以外とはこの見える世界全てのことです、、、ところが自分という存在自体の概念が壊れ、、真実を発見しますと、、、自分が居ないことが分かってしまいます、、すると自分以外の概念がぶっ壊れるわけです、、、今までの誤認識がはっきりと分かってしまう、、気づきの意識がそこに気づく瞬間です。

「優しい」人

優しいに個人をくっつけた

無我に入る習慣がある人、、、瞑想などで無我を過ごす機会が多い人は、、、、優しい人は多い、、例えば大谷翔平選手などは性格の良さが滲み出てますね、、、、無我に入る習慣があると、、、無我に直に触れていきますから万物の真理そのものが、、大谷翔平を演じているだけになっていきます。すると優しそう、性格が良さそう、、になります。優しいのは個人ではありません、、優しさ(真我)が、、大谷翔平を通じて話をしているのです。

性格が良いを演じても無駄

性格を良く見せよう、、、この試みがほぼ失敗に終わるのは、、、優しさとは作れるものではなく、、、どれだけ多くの時間を「優しさ」そのもので居れるかにかかっているからです。真の優しさとは真我、気づきの意識そのものであり、、、それを演じるのは不可能です、、触れる、、成る、、、時間を増やすしかありません。一瞥体験で、、、真理が分かってしまっても、、、真我になっている時間を作れない方は、、、「優しさ」が先行しません。

ただ「優しさ」に触れ続ける

性格が良いというのは、、、相手に損をさせないとか、、厳しい発言をしない、、とかそういうことではないのです。毎日の中で「優しさ」(真我)そのものになっている時間が長くあるか否かなのです。。。ですから優しくなるのは不可能です、、、優しさそのものになることは可能です。性格が良い人になろうとする試みは失敗に終わります。

「自由意志はない」は個人には絶望的

自由意志はない、、、これは個人にとって絶望

10代の若者に、、、自由意志はない、、、と伝えれば逆上するでしょう、、、これからの人生をどう生きようかと悩んでいる若者にこのメッセージは絶望的に映るはずです。。。ですがこれが30代、40代になると変わってきます、、、なぜか????自由意志を行使してきたけれど、、、もう疲れたよ、、、無いと言い切ってくれた方がありがたい、、、だって責任がまったくこの自分にないのだから、、、です。

あると思い込んでいる方が絶対にきつい

真実では自由意志はないのです、、、にもかかわらず有ると思い込む方が絶対に辛いのです。。。後悔後悔後悔、、、これをエンドレスに続けてしまう人もいるでしょう。。。大きな大失敗をし、、人に一生の怪我を、、、後悔、後悔、後悔です、、、、そんな時に「自由意志はない」のメッセージは、、無罪釈放宣言に匹敵します。

本当はないのだから、、、

神羅万象の動きしかない、、だから分離した個人の「自由意思」は幻想、、これが真実です。。。夢の中では自由意志はあるように感じることができる、、、ただ実際にはないのです。。。だから後悔もなければ期待もしなくていい、、、そんな無責任な人生でいいのか???いんです、、なぜならば責任の取りようがないからです。自分が居ないし、自由意志もないのですから、、夢以外では。

バシャールはいるのか???

ストーリー上

夢の中ではバシャールという宇宙人はもしかしたら登場するかもしれません、そしてもしも登場してもそれはただの夢というストーリーの中でのキャラです。宇宙人の存在は、、、世界各地で発見されたというニュースはよく出てきます、夢の中で。実際に夢の中で宇宙人が登場するかは分かりません。はっきり言えることはもしも目の前に宇宙人出現してもしれは神羅万象の夢バージョンの現れです、主体はありません。

見抜く

これは夢だ!!!!そう確信したうえでこの夢の中での出来事に一喜一憂するのは逆に難しい、、そうです、、、これは夢です。個別分離した存在があるように見える夢です、、神羅万象には分裂は絶対になく、、だからこそ100%夢なのです。神羅万象は、、、生命そのものです、、、、その生命そのものがあらゆる物、者に七変化しているように見える夢です。

じゃあ、、道端で老人が困っていても

そうです、夢の中での話です、、、本当は個別分離した老人は存在しません、、存在いているように見えるだけ、、、ですが助けるのも自由、助けないのも自由です、、、そしてその判断を行うのも神羅万象、神羅万象から判断が起こるかもしれません、、起きないかもしれない、、、そこに個人という分離した存在が自由意志を発揮するという真実はないのです、夢ですから。

結果にこだわらないどころじゃない

プロセスにもこだわれない

起承転結、、、全ての行動には始まりがあり、経過があって結果がある、、、この全てにこだわってこそ勝負師、分別ある大人、、プロフェッショナル、、、残念!!!!全部神羅万象の動きです、、、神羅万象の動きですから、、、結果は神羅万象の因果、因縁、縁起次第、、、ここに関われる個人など存在しなせん、、、、個人の動きも全部神羅万象の動きです、、、、全自動洗濯機、全自動縁起システムです。

自分は今疲れている、、と気づきの意識が気づいた

全部が全部

全部が全部このパターンです、、気づいているのは全て気づきの意識です。私はコーヒーが嫌いだとう思考が湧くのを気づきの意識が気づいた、、、、私はりんごが好きだ、、という思考が湧くのを気づきの意識が気づいた、、、、です。。。この自分は、、、どんな思考が湧いても、、、それに気づくことはできません。気付くののは全て気づきの意識です。

あの人は元気だなー、、という思考が湧くのを気づきの意識が気づいた

人のことも全部コレです、、、、あの人っていっつも元気だよなー、、、という思考が湧くのを気づきの意識が気づきました。あの人って性格悪いよなー、、、、という思考が湧くのを気づきの意識が気づきました、、、という感じ、、、そうです、、、全部気づきの意識の中で気づかれているのです、、、、この神羅万象は気づきの意識が気づくためのステージなのです。

だとしたら、、、目の前の体調が悪そうな老人の感情は??

目の前に老人が居て、、調子が悪そう、、、そのことに気づきの意識が気づいています、、、映像として、、、ですが老人の感情は分かりません、、、そうなると気づきの意識はそこは気づかないのか???そうです、、気づきはありません。。。。え???調子が悪そうに見えているだけで実際には老人に感情はないのか???はいありません、、あれば気づきの意識が気づきますよね。。。。

究極の諦めは気楽、、、

究極の諦めです、、、目に入る周囲の人々の感情は実在していない、、、芸能人が、、、TVで謝罪会見、、、ですが感情は実在していない????例えばVTRであれば当然、、映像のみですから、、見た瞬間には感情は湧いていませんよね、、、、ですがこれが生放送でも同じことです。。。これで他人のことを深刻に考えるのが不可能になりました。